悪魔の知性
そして私の身にも、世間を呪うような出来事が…。
美純には黙っていましたが、当時私のお腹には、
子供がいたのです。
寛との、二人目の子供が。
私は、寛と美純と私と、そしてやがて産まれてくるであろう子と、
四人で生活をすることが、楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。
だけど寛が殺され、美純が怒りに狂っていくのを目撃した時…
それは単なる楽しみではなく、『使命感』へと変わりました。
『私達の心を癒してくれるのは、私達を元通りにしてくれるのはもう、
この子しかいない。怒りに狂い、愛まで捨てた私の娘も、
寛の半身であるこの子を見れば、かつての優しさを取り戻すかもしれない。
新たに人生をやり直すためにも、私はこの子を産まなければならない…!』
…だけど結局、流産したのです。
長きにわたる尋問へのストレスで、私の心身は弱っていました。
その結果だと思います。いいえ、そうとしか思えません。
私の腹の中の子は、産声を、世間に取り上げられたのです。
私はその時、胸の炎が静かに、それでいて溶岩のように沸々と、
胸の中を満たしていくのを感じました。
『お前達も死ね!』と、世間を、怒りと呪いの眼で睨みつけていました。
しかしそれも、あまり長続きしなくて済みました。
真犯人が、『北条真』が自白したからです。私は釈放された事に安堵するばかりで、
その違和感に気づきませんでした。
おそらく北条真は、自首したのではありません。
『自首するように脅迫された』のだと思います。
彼が真犯人である事は、間違いないのでしょう。
だけど、一家諸共毒殺しようとした男が、
この期に及んで自首するとは到底考えられません。
ある日、留置所へ拘禁されていた頃、娘との面会を許された日の事。
美純は鬼気迫った眼で、
最後に北条一族の屋敷を尋ねた日の事を、
手土産を受け取ったときの事を思い出せと、私に尋ねました。
そして私が『北条真』の名を思い出すと、
彼女の瞳は、獲物を前にした肉食動物のようにギラギラと光りました。
そして底知れぬ恐ろしいモノを、瞳の光沢の奥に宿していました。
そしてその後の、美純の言葉。
『その名前だけがわかれば大丈夫。真犯人は逮捕され、私達は解放される。』
彼女がそう言ってから、間もなく私は解放されました。
だけど、いくら聡明とは言え十かそこらの子供が、
真犯人の名前を知ったところで、
それを立証するための、確たる証拠を握る事など不可能なはず。
だから彼女は、『脅迫』という犯罪によって、真犯人に自首をさせた。
真実は藪の中ですが、いくらかの状況からそう推測する事ができます。
私は解放された後、美純が気絶し病院で入院していることを、知らされました。
病室の布団で寝ていたのは、美純とは思えない、みすぼらしい姿をした少女。
髪はチリチリに痛み、貧しい子供の身なりをした少女でした。
しかしその目鼻たちを、顔をよく見てじっくり観察すれば、美純であると気づきました。
逆に、母である私ですら、そこまでしないと気づきませんでした。
そして事もあろうに、美純が発見されたのは、北条真の屋敷であった、と。
何故そんなことになったのか理解できなかった私は、
お医者や警察に、執拗に食い下がって尋ねました。
『北条真の屋敷の一室には、ガムテープで両腕を拘束された惨殺された少女が二人、
二人を惨殺した少女が一人、意識を失った少女が一人。まずは気絶していたのは美純、
惨殺された北条真理愛と北条姫華、そして彼女らを殺害したであろう北条桃恵。』
が、現場にいたそうです。
そして北条桃恵はしきりに、
『全ては自分がやった』
『北条真理愛と北条姫華の父に向って、北条真を通報しろと脅迫したのも自分』
『真犯人は我が父である』と、
半狂乱になり小刀を振り回しながら、そう言っていたそうです。
これらのバラバラな情報を統合すると、
ひとつの恐ろしい結論へと辿り着きます。
『美純は北条真の娘を人質にして、自白をするよう彼を脅迫した。』
それだけにとどまらず、
『北条一族の娘を呼び寄せ、彼女らも人質にして、北条真を通報せよと脅迫した。』
おそらく、
少女達の両腕にかけられていたガムテープも、
そして、北条桃恵が振り回していた小刀も、
美純が用意したものなのでしょう。
北条桃恵が半狂乱になりながら発した、
『すべては自分がやった』
『北条真理愛と北条姫華の父に向って、北条真を通報しろと脅迫したのも自分。』
『真犯人は我が父である』。
これらの言葉はよく考えると、少し違和感があります。
まるで誰かを庇っているかのような…そんな響きがあると思いませんか?
それにもっとも不自然だと思う事は、
『真犯人は父である』という事を、何故あの場で発していたか、という事です。
北条真は、娘に宝石をいくつも買い与えるような男でした。
そんな彼が、自分が殺人犯であると娘に告げるだなんて、到底考えられません。
だからといって、美純と同じ年頃の彼女に、
真犯人が誰かだなんて突き詰められるとは思えません。
だって彼女の耳には精々、
『北条伝恵が犯人である』という情報しか入っていないでしょうから。
そして、髪をチリチリにして、貧しい身なりをし、親すら判別できないほどの変装をして、
気絶していた美純。
おそらく美純は、変装をして北条真一家の様子を探り、
北条桃恵が一人の時を狙って彼女を小刀で脅迫し、
北条一族の娘達を出来るだけ呼び寄せるよう、要求した。
そして娘達の父親に、
『娘の命が惜しければ、北条真が真犯人であると警察に通報せよ』
と脅迫した。
そして最後に、『自首しなければ娘を殺す』と北条真を脅迫した。
おそらく北条桃恵は、『ストックホルム症候群』に陥ってしまったのでしょう。
美純から恐怖を与えられ、父親が殺人犯であると知らされ、
混乱の最中わけもわからず美純に同情し、
そして彼女に肩入れするがあまりに、自ら罪を被った…。
人質が、犯人を庇う。
こういう事は、この手の事件にはままある事なのです。」
誠生は信じられないという顔をして、こう尋ねた。
「話の腰を折って申し訳ありません、しかし、十歳とかその辺りの子供に、
そんな犯行が可能とは到底思えません…」
「そう思われるでしょうね。だけど美純は、さきほどお話した通り、
十歳とかその辺りの時点ですでに、警察の厳しい尋問を、
科学的思考によって跳ねのけるだけの知力があったのです。
それに彼女は、人の心を傷つける方法を熟知していました。
事件が解決した後、私達母子に向かって、暴言を吐く男がいました。
美純は血相を変えて、男の頭を鞄で殴打した後、押し倒して馬乗りになりながら、
『人体で、一番拷問に適した場所がどこか知ってる?歯、よ。
神経が脳に近くて痛みを感じやすく、傷つけても血が出ないから、
ずっと相手を苦しめていられるの。さて。虫歯菌みたいに汚らしいお前の魂を、
私が治療してあげるわ。』と。男は半泣きになって、美純に許しを乞うていました。
男に恐怖を与えた後も、
『ふん、しょうもない。お前みたいな汚い豚の歯になぞ、誰が触れるものか。
デカい図体してる癖に、幼い娘にやりこまれ涙する木偶の坊め。
訂正する。お前は豚じゃない、ただの粗大ごみだ。』と、
尚も男の心を蹂躙したのです。男は蹲って、泣いていました。
激しい怒りが、彼女に『悪魔の知性』を与えたのでしょう。
だから私は、彼女が非合法な手段で自首させたのだとしても、
少しも不思議には思いません。
彼女は父を失ったときから、人間らしい情緒を、ほとんど失ってしまったのです。
悲しみを乗り越え、苦しみに耐え、怒りを糧として生きているうちに、
いつしか彼女の世界は、怒りと憎しみ一色に塗りつぶされてしまったのです。
そして…北条真が自白してからというものの、
北条一族が結託して、殺人を隠蔽していた事が公となったのです。
彼らはの末路は、刑罰を受けるだけでは済みませんでした。
かつて美純が世間から受けたであろう、誹謗中傷や罵詈雑言を、
今度は彼らが受ける事になったのです
そして北条一族は皆一様に、『心中』しました。
美純や私を尋問した刑事や警官も、悉く『破傷風』によって死にました。
そしてそれは『呪いである』と、世間を震撼させたのです。
私は鈍いので、人様に避けられたところで、なんとも思いませんでした。
地元に友達がいるわけでもないですし、
食料は安く沢山手に入るようになりましたし、
無駄な世間話に時間を割く必要もなくなりましたし、
むしろ、快適だと思いました。
それに、こんな事を言うのは良くない事とはわかっていますが、
当時の私にとって北条一族や警察とは、
寛を毒殺し、
娘の心を殺し、
そして、
私の腹の子を殺した張本人ですから。
『ざまあみろ』としか思わなかったわけです。そう、『ざまあみろ。』
私の怒りはそれで収まって、完全ではないものの、
悲しみや怒りも癒えもしましたが、
美純の心は、もはや手遅れでした。




