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世忌花娘  作者: 仲渡 温紀


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愛が、私を鈍くしてくれた

しかし彼は当時、華族にも関わらず大変な遊び人で、

派手好きのブランド好き、

夜の街へ繰り出して、煙草を吹かして酒を呑み女を口説く、

『ドン・ジョヴァンニのような男性だ』と、

世事に疎い私の耳にも入ってくるくらいの、有名人でした。

見た目もスポーツマン体型のハンサムで、よく女学生が彼の話をしていました。

ある日私は、事もあろうに、彼にから告白されたのです。青天の霹靂でした。

正直、嬉しさよりも、疑問の方が先に湧きました。

『こんなプレイボーイが田舎娘の私なぞを口説くのは、どういう了見だろう?

煌びやかな女に飽きたので、口直しに口説いているのかしら?』

そう思った私は、『ごめんなさい』と断りました。

それでも寛は食い下がって、『何故付き合えないのか』と尋ねました。

私は正直に、『あなたが私のどこを好きになったのかがよくわからないので、

付き合えないのです。私としてもあなたの事はわかりませんし、

あなたのようなプレイボーイが、

私のような田舎娘と付き合いたいと仰ったところで、

華美な女には飽きたので口直しに私を利用している…

そのようにしか思えませんの。だから付き合えません。』

と、そのように、はっきりとお断りいたしました。

さすがに当たりが強かったかな?などと思っていたら、

寛は極めて真面目な顔をして、

『確かに今の素行と身なりでは、

あなたにそのような誤解を与えても、仕方ありませんね。

もし僕が、あなたに相応しい男になれた暁には、もう一度、あなたに告白します。

僕の名前は「北条寛」です。忘れないでくださいね!』

と、そう申しましたの。

だけど、どこまでも鈍い私は、

『押しても駄目なら引いてみな、という要領で、

これまでも女性を口説かれたのかしら?

プレイボーイというものは、なかなか賢い人種ね。』だなんて、

悠長な事を考えていました。

だけど彼は、本気でした。

勿論、当時の私はそんな事には気づきはしませんでしたが。

これまた女学生達の『噂話』なのですが、

『彼が夜の街を出歩かなくなった』とか『酒や煙草をやめた』とか、

『身なりが質素になった』とか、そんな話を私は耳にしました。

そして噂話が私の耳にも聞こえるようになって間もなく、

彼が再び、私に告白をしたのです。

『…あなたに相応しい男になれたでしょうか。約束を覚えていますか?』

『はい、覚えておりますが…。だけど私には、何故あなたが、

そんなに私を好いてくれるのかが、わからないんです。何故なのですか?』

『君が、僕にまったく興味関心が無さそうだからさ。こんな言い方はなんだけど、

大抵の女の子は、僕の見た目や、僕の血筋を目当てに、僕の元へ擦り寄ってくるんだ。

それは僕の寂しさを紛らわせてくれるけど、決して僕の心を満たしてくれない。

大学でこんなに有名になってる僕にも、君は興味関心を持たない。

そして、真面目に大学の講義を聞き、周りと無理につるむことなく、

自分の意志で生きている。そんな君の事が、僕は好きになってしまったんだ。』

『自分の意志だなんて…。私はただ、何も考えずに生きているだけで…。』

『何も考えずにやっているから素晴らしいんだ!

気取って孤高になるなら誰にも出来る、

だけど、それを自然体でやるのは、難しい事なんだよ。』

『そうなのですか…。そこまで私の事を、気に入ってくださるなんて…』

『ええ、君の事を素晴らしい女性だと思っている。

そして次は、君の思いを教えてくれ。君は、僕の事が嫌い?』

『いえ、嫌いとか好きとかそういう話ではなくて、そもそも貴方の事を、

よく存じ上げないので…。』

『じゃあ、こうしよう。交際中、僕は君に手を出さない。

接吻はおろか、抱擁もしなくていいし、手も繋がなくていい。

ただ君は、僕のもとに居てくれるだけで良い。だめかい?』

『そういう事なら…。

ここまで殿方に慕ってもらえるなんて、私は幸せ者ですね…。

では、私の方からもお付き合い願います。』

『ほ、本当かい!?』

『はい、よろしくお願いします。

あの…以前より今の格好の方が、素敵だと思いますよ。』

寛は、手を挙げて喜んでいました。

当時の私は、彼の事をよく知らなかったたけれど、

それでも、彼が私を深く愛してくれているのだということだけは、わかりました。

愛されることはこんなにも幸せなことなのだ、ということも。

そして寛は約束通り、手すら繋ごうとはしませんでした。

私と寛は学年も学科も違うので、講義を受ける時は別々でしたが、

それ以外は合間を見つけて、一緒に過ごしておりました。

次第に私も、彼に愛されるだけではなく、彼を愛するようになりました。

胸が高鳴って頭がクラクラとして、まるで重力のように、

彼の手に、彼の胸に、彼の唇に目が引かれ、恐ろしいものは何もなく、

ただ一心不乱に、そこに飛び込んでしまいたい…そのような思いが。

そうして時を見計らった様に、寛が、私にプロポーズをしたのです。

『結婚しよう。

僕が君を、そして君との子供を、一生幸せにする。

一生愛してみせる。

僕が忍耐強い男であることは、君も知っていると思う。

だから僕と結婚してください。僕の奥さんになってください。』

感極まった私は、思わず体が勝手に動いてしまって、

彼の胸に飛び込み、そして接吻をしてしまいました。

そして寛は、私を強く抱きしめ、それを受け入れました。

彼はそれまで、滾る熱情を、懸命に抑え込んでいたのでしょう。

その熱を地平線まで放出する勢いで、一通り私を求めた後、

はめを外しすぎだと思ったのか、ばつの悪そうな顔で、

『今度、僕の実家に来てくれ。そして君の実家にも、御挨拶をしないと。』

…ええ。私は長らく、幸せでした。

寛に深く愛され、そして、寛に深く守られ。

私はその鈍さゆえ、寛の実家、北条一族のドロドロした人間関係に、

寛を毒殺されるまで、気づくことがありませんでした。

寛が極力、私と一族が鉢合わせしなくて済むよう、

私の見知らぬところで尽力していたのだろうと、今ならわかります。

かつて美純が、私にこう言ったことがあります。

『あの一家は魂が腐っているわ。私は嫌いよ、あの人達』

どこまでも鈍い私は、『人様の事を、そんなふうに言ってはダメよ。』と、

彼女の事を叱りました。

今思えば、彼女の感性は、間違いなく正しかったと言えます。

そう、美純です。しばらくは寛とのランデヴーに明け暮れていた私ですが、

恋愛感情も三年経てば風化し、肉体的な繋がりを求めなくとも、

安らぎや癒しによって、私達の関係は成り立っていました。

なので誠生さん、これは私が鈍いからなのでしょうけれど、

私は娘に、『夫を取られた』と思った事はないのですよ。

美純が産まれて、私以上に寛は喜びました。

そして美純は私とは違って、鋭い感性を持った少女へと成長しました。

寛は家にいる事も多く、美純とよく遊んでおりました。

それも美純は、富豪の娘にも関わらず、贅沢や虚飾を良しとせず、

質素な身なりを好み、楽器を演奏し絵を描き、

そして園芸をする事が好きな少女でした。

寛は器の大きい男でしたから、そんな自律的な彼女の事を喜び、

二人して楽器を演奏したり絵を描いたり、ときにはふざけあって笑いあったりして、

とても仲良く過ごしていました。嫉妬というほどではありませんが、

二人の趣味についていけない、と思う事ならありました。

私は山中で育った身ですから、楽器であったり、絵画であったり、

そのような高尚なものに関しては、観たり聴いたりするぶんには大変心地よくても、

では参加したいかと言われると、そこまでやる気にはならなかったのです。

寛と美純の創った庭に関しても、

煌びやかな交配種の花は美しいですが、

かといって田舎に行けば、美しい花はそこらに咲いているわけだし、

わざわざ外国でつくられたものを、日本で育てなくても…

等と思っておりました。

私はこのような考えやナンセンスの持ち主ですから、

私が遊んであげても、美純は満足しなかったでしょう。

私はひたすらに、寛に美純を任せ、

読書やら学術雑誌等を読んでいたのです。

例え趣味が合わなくとも、美純は私を慕ってくれましたし、

私は学問には多少造詣がありますから、

美純が小学校に通い始めたときなどは、勉強を教えたりもしました。

彼女も勉学にも関心のある娘でしたので、

寛ほどではなかったかもしれませんが、私も美純に好かれておりました。

…大変長々と惚気話、幸せ自慢をしているように思われるかもしれませんね。

ありがたい事に、私には、幸せな思い出が沢山あったのです。

だから誰かを羨ましがったり妬んだり、

恨んだり憎んだりする必要はありませんでしたし、その後に引きおこる不幸に対しても、

自分の心を壊さなくて済んだのです。

幸せな思い出の数々が、私を『鈍いな女』にしてくれたのです。

愛は愛として、悲しみは悲しみとして、受け止められるようになったのです。

私は夫が殺された時、心から悲しむ事ができました。

免罪を掛けられたときも、心から悲しむ事ができました。

真犯人がわかったときも、怒りに我が狂う事もありませんでした。

夫の事は、今思い出しても胸が苦しくなりますが、

だからといって、もう北条一族の事は恨んでいません。

彼らは『心中』という形で、充分すぎるほどの罰を受けましたから。


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