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世忌花娘  作者: 仲渡 温紀


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僕が息子を殺したのだ

先程申したように、慈与は被爆していました。

しかし全く、それらしい兆候は無かったのです。

だけど、妊娠と出産による体力の消耗によって、

彼女の体の中に取り付けられた時限爆弾が、

ひとつ、爆発してしまったのです。

彼女は時折、動悸や息切れを起こすようになりました。

私は自分の行いを棚に上げ、優一の事を恨みました。

『お前が産まれたせいで、俺は慈与との時間をとりあげられた。』

『お前が産まれたせいで、俺は男として必要とされなくなった。』

そしてそのような身勝手な事を考える度に、僕は自己嫌悪しました。

成長していく優一の透明な瞳を見る度、聡明で優しい優一に触れる度、

己の分身を抱く喜びと、妻の愛を奪われた嫉妬に、僕の心は板挟みでした。

だけどそれでも僕にはまだ、余裕がありました。

僕が、優一の知らない『秘密』を知っていたからです。

優一には知ることの出来ない秘密を、妻が僕に託したからです。

『誠生さん。原爆症の事は、優一には知らせないで。

あの子はまだ幼いから、この世の残酷な真実を、知って欲しくはないの。

美しいものや優しいもので、彼の心を満たしたい。

私はかつて、花街の、両親が営むカフェで、両親や大人達の優しさに触れ、

客が踊るバレエや日舞を観て、客が歌うオペラアリアや、

蓄音機から流れるクラシック音楽のレコードを聴いていたわ。

それらの美しくて、優しい思い出がにあったからこそ、

私は何度辛い思いをしても、何度でも立ち上がることができた。

だから、まだ今は、彼に病気の事を知られたくない、打ち明けたくない。

彼には、幸せで明るい私の事だけを、知っていて欲しい…。』

この告白は、妻からの『叶えるべき痛切なる願い』であり、

そして、優一への『優越感』でした。

『お前は慈与の時間を独り占めして、

それが完成された幸せだと思っているのだろうが、

それは単なる錯覚だ。お前の幸せは、砂上の楼閣なのだ。

お前の母は原爆症を患い、そしてそれを、お前に隠しているのだ。

そしてお前が決して知ることのできない秘密を、

俺だけは知っている。俺だけは知っているのだ…!

俺がその気になれば、俺はお前を悲しみの底へと突き落とすことができるんだぞ!』

…と。なんて浅ましいのだろう、昔の事ながら反吐が出る!その秘密とは即ち、

『原爆症』と、私の行いから出でしものだというのに…!

そもそも何故僕は、あんなに優一の事を憎んでいたのだろう。

それが今になっても、わからないのです。

『俺が甲斐甲斐しく世話をして立ち直らせた慈与の寿命を縮めた挙句、

愛を奪っていったから』とでも思っていたんでしょうか…。

くだらない、不甲斐ない、実に情けない!浅ましい、穢れている、呪われている、

このうえなく醜悪な…!愛したかった、本当は愛したくて仕方なかった!

でも…僕のつまらないプライドが、慈与への依存が…

息子に対して、愛以上に、憎しみを募らせたのです。

そして、

息子の不注意で、

慈与が衝突事故を起こした時の、

母を失った時の彼の泣き顔。

僕は事もあろうに、『ざまあみろ!』と息子に対し思ったのです。

僕から慈与の愛を奪った敵が悲しんでいるのをみて、そう思ったのでしょう。

最愛の女性が死んだにも関わらず、そのような事を思ってしまう自分に、僕は恐怖すら感じました。

そして自分に言い聞かせるように、優一に、こう言ったのです。

『お前は絶対悪くない。母さんは原爆症で、どのみちそう長くはなかった。

残り短い寿命を、お前を守るために使うことができて、本望だったと思うぞ。』と。

これは息子への献身では決してありません。

彼に、僕の醜さを知られたくなかったんです。

息子を内心悪しように言っておきながら、

父親として拒絶される事だけは、怖く仕方が無かった…。

そして案の定、息子の曇りなき眼は、僕の醜い考えを見抜いていました。

そして勝手なことに、慈与が死んだ途端、僕は優一が無性に恋しくなりました。

しかしそれは、優一そのものへの愛などではなかったのでしょう。

ただ単に、『慈与の面影を宿した存在』が、『慈与の生き形見』が、

彼女を失った途端、恋しくなっただけなんです。

そして彼女と同じ瞳をした彼から、

『卑怯者!』

『臆病者!』

『愚か者!』

『お前は父親失格だ!』と、

心の中で罵られることが、僕には恐ろしくて恐ろしくてたまらなかったんです…。

僕は仕事を口実に、家庭から、息子から逃げました。

息子もそれを察して、僕から距離をとるようになりました。

幸いにも息子には、人に愛される才能がありました。

聡明で心優しく天真爛漫で、人の気持ちの痛みがよくわかる息子は、

大人からも子供からも大変好かれていました。。

彼は成人するまでのあいだ、いろんな人を愛し、いろんな人から愛されていました。

そして僕は、本当に本当に、救いようのない馬鹿者です。

世間には優しさをふりまき、僕には見向きもしない。

彼が何故、どのようにそうしていたのか、僕はそれに、気が付かなかったのです。

挙句の果てには、『どうして俺には構ってくれないのか』と、僕はどこまでも、

自分の事しか考えていませんでした。

息子が東京の大学へ行くといったときは、内心ホッとしました、

だけど、寂しい思うのではなく、安堵してしまうなんてね…。

大学費を前払いで全額払い、

高級賃貸マンションを用意し、

家賃も入金し小遣いを渡して、それですべての罪を償った気になって…

だけど、息子が大学の講義をサボり留年し、渡した金で放蕩し、

煙草や酒や夜の街で遊び耽り、僕の手配したマンションで女遊びをしていると、

彼の口から聞いた時は…本来なら親として叱るべき事なのでしょうが、

それでも僕には、この上なく嬉しかったのです。

品行方正な息子が自堕落な生活を送る…。

彼の行いが、僕の醜さをも肯定してくれている気がして…。

そして優一は、僕が与え続けた仕打ちに対して、怒りをぶちまけました。

僕にはそれが、とても嬉しかった。

僕にとってはそれが、最大級の『自己開示』に映ったのです。

それに感極まった僕は、、

『今まで放っておいて申し訳ない。全て父さんが悪かった。

お前が辛い思いをしたことも、お前が自分の事を責めるのも、

すべて父さんのせいだ。だから、自分の事を責めるのはやめてくれ。

責めるなら、父さんの事を責めてくれ。もしそれができないのなら、

お前の罰は、父さんも引き受けるべきものだ。やりなおそう。

失われた父子の時間を、温もりを、時間をかけて取り戻そう。』

と、本心からそう言えたのです。その言葉を伝えられた時、

僕の心から、つまらないプライドや憎しみ、嫉妬は全て消え失せ、

純粋な愛だけが溢れました。

『これでやっと、やり直せる…。慈与にも顔向けできる…』

と、どこまでもおめでたい事を考えていたのです。

だけど、全ては手遅れでした。息子の心は、とっくに壊れていたのです。

慈与が死んだその日から、

世界は彼にとって、

『母殺しの自分を罰する場所』になってしまったのです。

優一は、罰せられるためだけに生きていたのです。

そして、『お前は何も悪くない。悪いのは父さんだ』

と、善意のつもりで言った僕の言葉は、

彼から『罰せられる権利』を奪う、もっとも残酷な言葉でしか、なかったのです。

…そして地元に帰った彼は、

何故か、

僕を含む、全ての人に愛嬌を振りまくようになりました。

そして優一は、お嬢さん、美純さんへと恋をし、あの屋敷を買い取り

…そして、いなくなりました…。

彼は…優一は…僕には美しすぎたのです。僕みたいなダメ男の元ではなくて、

もっと優しい父親のもとで育っていれば…」


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