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世忌花娘  作者: 仲渡 温紀


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僕の太陽

それから僕は、借家に慈与を呼んで、一緒に暮らしました。

男と同じ部屋で眠るのは怖いだろうと思って、

鍵付きの部屋に住まわせ、『外を出歩かなくても良いよ』と言い、

ひたすらに慈与が傷つかなくて済むよう、手配をしました。

男友達や仕事仲間を家に呼ぶのも止め、

彼女が誰にも脅かされないよう、

それでいて楽しく過ごせるよう、

甘い菓子や、色とりどりの手毬、洋服や、アクセサリーを買い与えました。

そうしているうちに、

彼女は少しずつ明るさを取り戻し、

家の掃除をしてくれたり、

食事を炊いて、僕の帰りをを待っていてくれるようにすらなったのです。

絶望から回復して、

以前のように明るく、蓮っ葉な物言いをする彼女が戻ってきて、

僕は心底嬉しい気持ちになりました。

そうして徐々に外にも出るようになって、

近所の女達と世間話や井戸端会議などをするようになり、

彼女はすっかり立ち直ったのです。

しかしすると今度は、

僕の仕事仲間や、近所の心無い住人たちが、

彼女の事を、悪く言い始めました。

『乞食の癖に、西郷誠生を垂らしこんで贅沢三昧をしている。』

『あの女はピカを受けた。あいつといるとピカの毒がうつるぞ。』

『どうせ股でも開いて、あの生意気な露天商を虜にしたんでしょう。』

『進駐軍に色目を使って乞食をしていた、アバズレ女!』

『貧しい身なりの人ほど、乞食に厳しかった』という彼女の言葉を、

その時身に染みて感じたものです。

なにはどうあれ、

こんな心無い噂が慈与の耳に入ったら、彼女はまた、ダメになってしまう。

僕は荷物も財産もすべて纏めて慈与を連れて、

広島ではない、もっと都会の方に行こうと思い立ちました。

それを彼女に話すと、快諾してくれました。

そのとき、彼女が僕の事を抱きしめてくれたのを、強く覚えています。

男から乱暴され、僕と同じ家で寝泊まりしているのだって辛かったろうに、

それでも心の底から、彼女の心が立ち直ってくれたのだと思うと、

それ以上嬉しいことはありませんでした。

彼女にとっても、そして両親を殺された僕にとっても、

忌しい思い出だらけの故郷。そんな場所に、いつまでも留まっている必要はない。

僕達は足早に、都会へと引っ越しました。

そして僕は広島にいた頃から、

『これからの日本では、情報が最重要視されるようになるだろう。

ラジオ、テレビ、そして、新聞や雑誌や、専門書、それからコミックや小説。

それらを広めるには、紙がいる。

印刷会社を立ち上げれば、儲かるのではないか』と考えていました。

この予感は的中し、都市で始めた印刷業はぐんぐんと成長し、

僭越ながら、『大手』と呼ばれるほどに成長しました。

僕はこの事が、心底嬉しくてたまりませんでした。

他者から踏みにじられ、奪われた彼女の人生を、僕が取り戻してあげられる!

そう思うと、僕は、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。有頂天でした。

『私はこれだけ悲しい思いをしたのだから、

これからは楽しい思い出が沢山待っている、

彼女のこの言葉が、今、僕の手によって現実になろうとしている。

僕は彼女に、毎日ご馳走を用意できるし、豪華な洋服でも宝石でも、

何だって買い与える事ができる。そうだ、海外旅行にも連れていこう!』

だけど僕の俗的な幸せとは打って変わって、

彼女が望んだのは、実に質素で、それでいて、とても美しいものでした。

『誠生さんがそこまで思ってくれいたなんて、私、とても嬉しいわ。

でもね、誠生さん。私はね、御馳走にも、豪華な洋服にも、宝石にも、

興味がないの。だって御馳走は、食べちゃえば無くなっちゃうし、

洋服はいつか破けちゃうし、宝石はいつか割れてなくなっちゃうもの。

だからね、食事はお野菜やお魚がたっぷりの、健康的なものがいいわ。

デザートは季節の果物があれば、それがいいわ。

お洋服や宝石は、

誠生さんの横に並んでも恥ずかしくない程度だったら、それでいいわ。

それよりもね、私、やりたいことがあるの!

日本舞踊やバレエダンス、それから、クラシック声楽をやりたいの。

私の両親は花街でカフェを営んでいたから、

舞いや踊り、声楽に触れる機会があったのね。

ほんの小さな、幼い頃の事だから、あまり覚えていないのだけど…

だけど、とても感動した事を覚えているの。

だから、誠生さんが赦してくれるのなら、やってみたいわ!』と、

彼女が目を爛々とさせて、僕にそう頼んできたのを覚えています。

そもそも僕は、彼女が花街のカフェで暮らしていた事すら、知りませんでした。

おそらくきっと、彼女の家族があまりにも惨い死に方をしたものだから、

悦ばしい思い出を、それまでは思い出せなかったのでしょう。

だけどそんな彼女のトラウマを、僕は癒すことに成功した。

そして僕が、彼女の幸せな記憶を、少しでも呼び覚ます事が出来たのだとしたら…。

舞いや踊りや声楽を習いたいと願う彼女の顔は、歓びに満ち溢れていました。

こんなにも歓ばしい事はないだろうと言わんばかりに、彼女の瞳は輝いていました。

勿論、僕は彼女の夢を叶えました。

彼女が習い事に専念できるように、広い屋敷も買いました。

仕事を終えて家に帰ると、彼女は舞いや踊りや、

その美しい歌声を披露してくれました。

僕は幸せでした。

会社の運営で忙しくとも、

家に帰れば愛する女性が、

僕のために全身全霊で、舞い、踊り、歌ってくれる。

それは彼女の言う通り、お金では買えない特別な時間でした。

そして僕が、『屋敷の庭をどうしようか。イギリス式がいいかフランス式がいいか、

それとも日本庭園風がいいか』と彼女に相談すると、

彼女は目を輝かせて、『私に任せて!』と言いました。

『彼女の事だから、きっと素敵な庭を創るんだろうな』と思っていました。

しかし彼女は、通り道を塞いだり増えすぎたりした雑草を、すこし間引くだけ。

最初は、彼女の美意識を疑いました。

しかし、彼女はこう言ったんです。

『誠生さん。この世に、雑草という名の植物はないのよ。

どの植物にも生命があり、人生があり、そして名前があるの。

私達人間はお空から見たらチッポケで、

お空と同じくらい大きな人が踏んでも気づかないぐらいだけど、

でも、それでも、私達には名前があるでしょう?

そして一生懸命生きているでしょう?

それに私は、人があれこれしなきゃいけない華やかな花よりも、

野に咲いてる草や花の方が、好きだな。だって、強いんだもの。

踏まれたって立ち上がって、立ち上がって踏まれてもまた立ち上がって、

私達も彼ら彼女らのように、生きられたらいいなって、そう思わない…?』

その言葉は、その哲学は、彼女の人生そのものなのだと、僕は感じました。

それから僕は毎日決まって、慈与と一緒に、野草の観察をしていました。

雑草と呼ばれるようなものも、よぉく目を凝らして観察してみると、

とても奥深く、面白いものです。そんな奥深い世界が、植物の数だけ存在する。

そしてこの家には、無数の『奥深さ』に満ち溢れている。

僕はすっかり、彼女の庭の虜になってしまいました。

何気ないものから大きな悦びや意味を見つけられる、彼女の魂。

もはや僕にとって彼女は、『女神』でした。

そして幸せの真っ只中、ある日、彼女が、僕にこう言ってくれたのです。

『誠生さん。お願いがあります。私、あなたの子供を産みたいのです。

だから、誠生さん。私と結婚してください。』と。

僕は全身が震えるほど、嬉しかった。

実を言うと僕達は、それまで、手を繋いだり抱擁を交わすことはあっても、

接吻をしたり、夜の営みをすることは、なかったのです。

いくら立ち直ったと言っても、男から乱暴された記憶が、

彼女の中からそう簡単に消えるとは思えなくて…。

だから内心、彼女と結ばれたいと思ってはいたのですが、

彼女の心的外傷が蘇ってしまうのではないかと思うと心配で、

誘うことが出来なかったのです。

だから、

『女性にプロポーズをさせるだなんて…』

と、男のプライドが多少傷つきはしましたが、

それ以上に、

彼女がトラウマを克服して、

僕のすべてを受け入れてくれるようになった事…。

正直言って、

僕の『男の幸せ』は、

この時が最高潮で、後は下がっていくだけでした。

僕はただただ、彼女に受け入れてもらえる悦びと、

『男と女』になる悦びと、

美しい彼女の官能を貪る悦びの事だけしか、考えていませんでした。

『彼女に子供を産ませる』。

それがどれだけ残酷な事か、考えていませんでした。

だけど僕の未熟さとは無関係に、

慈与は、『優一』が産まれた事に、涙を流しながら喜んでいました。

僕も、慈与が無事で、元気な子供が産まれたことを、この上なく喜んでいました。

彼女に、原爆症の症状が現れるまでは。」



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