慟哭
大手印刷会社の屋敷の庭とは到底思えぬ、
質素も質素、
世間が「雑草」と呼称する植物ばかりが、
ほとんど人為を介さず、勝手に茂って調和を成している庭。
手入れと言えば、
通路の邪魔をする雑草を引っこ抜いたり、
増えすぎた雑草を間引く程度であろう。
にも拘わらず、
その庭からは、寂しさや、あるいは汚さを感じる事は無かった。
足元には、
「烏のえんどう」や「仏の座」、
「庭石菖」や「菫」や「瑠璃唐草」や「露草」、
「薺」や「蒲公英」や「勿忘草」、「白詰草」や「蓮華草」等、
たくさんの草花がそれぞれ自由に伸び、
そしてところどころに、
「野あざみ」や「姫女苑」や「春紫苑」や「背高泡立草」や「芒」などが、
高低差をつけるためのアクセントとして、群れと茂みをつくっていた。
そして広大な敷地ゆえに、
鳥の落とした贈り物からか、
大小さまざまな木が敷地にぽつりぽつりと生え、
風の贈り物として、
零れ種で園芸種の花々が咲いていた。
無数の野草がおりなすレイアウトと、
零れ種で咲く華やかな園芸種に、
庭に陰をつくる鳥達の贈り物。
それから、かたちも大小も様々な木々。
伝恵は、思わず息を呑んだ。
美純と寛のつくった庭とは違い華やかさはないものの、
そこには、
自然や生命への畏怖と尊敬、
そして、それらに対する強い信頼や愛に満ち溢れていた。
植物や虫、鳥や小動物、あらゆる生命が繁栄し互いに競い合いながら、
ひとつの『コスモ』を成していた。
「この庭は…誠生さんがお創りなさったので…?素晴らしい庭ですわね。」
「はい、僕が創りました。だけどつい最近まで、
この庭は一面中、真っ白なコンクリートだったのですよ。
その前は、今とそっくりな庭を、妻が創り、管理していたのです。
だけど妻が死んだ途端、
それは『自然の調和する庭』ではなく、
単なる『混沌』に変貌してしまって…。
当時の僕にはまるでそれが、
妻の『第二の死』のように感じられて…。
当時の僕に、庭を手入れする余裕はありませんでしたし、
優一の面倒も見なければなりませんでしたから…。
庭師やガーデンデザイナーを呼んで、新しい庭園をつくることも考えましたが、
それが僕にはなんだが、『妻に対する不貞』のような気がして…。
『魂の不倫』、そのように思えてしまって…。
だったらいっそ真っ白に埋め立てて、
『妻は死んだのだ』と、心の中で整理をつけたくて…。
だから、真っ白に塗りつぶしたんです。
だけどある事があって…コンクリートを撤去し、一から創りなおしたんです。
亡き妻との記憶を思い出すために、息子と一緒に創りなおしたんです。
失われた家族の時間を、息子ともう一度、創り上げるために。
…だから、僕が創ったというよりは、
妻が創りあげたものを、僕が真似した、というところなのです。」
「…優一さんだけではなく、誠生さん、あなたも、
奥様に先立たれ、ずっと、苦しまれていたのですね。」
「…はい。そして今でも、苦しくて苦しくて、たまりません。
何故なら、妻の生き形見である息子を死なせてしまったのは、僕だからです。
優一が自ら命を絶ったのは、僕のせいです。
僕は、彼に父として温もりを与えず、苦しみだけを与えてしまった。
つまり僕は、妻を失い、妻の形見まで踏みつぶしてしまった。
優一を失った事は、僕にとっては、妻を失う事と同じです。
だから僕は今でも、妻を思い、苦しんでいるのです…。
すみません、この話は、この辺で勘弁願えますか…。」
それを聞いた伝恵は、鬼のような形相をして激怒した。
「いいえ、許しません。
わたくしが何故この地を訪れたのかわかりますか?
夫を殺され娘を失ったこの忌まわしい地に、私が再び訪れた理由が。
赤の他人のあなたとあなたの息子の為に、ここまで来た理由が。
それは、悲しみや苦しみと向き合うためですわ。
誤魔化したり嘘をついたり、沈黙したり無かったことにしようとしたり、
そんな事をしても私達の悲しみが癒える事などありませんわ!
悲しみから逃げようとすればするほど、
失われた人達の顔が目に焼き付いたまま離れなくなって、
何処にいてもどんな事をしても、誰と一緒にいても幸せを感じられないようになって、
ただただ自分や世界を呪いながら、一生を終える事になるだけよ!
私はそんなことは嫌です、断じて許しません!
愛する人を失い我が子まで失い、これ以上私達は何を失えば良いのですか!
私達は一生涙に頬を濡らしながら生きていかなくてはならないのですか!
それが一体何のために、誰のためになると言うのです!
そんなものが何の罪滅ぼしになるというのです!
今は悲しくとも、生きて生きて生き抜いて、いつか『答え』を見つけるんです!
それが、それが、それこそが…。残された私達に課せられた、『贖罪』なのです!
さあ、続きを語りなさい、語るのです!
悲しみに心が押し潰されるとしても、それこそが、あなたが贖うべき罪なのです!
さあ、語りなさい!」
伝恵の激励にも似た怒りの言葉を聞いて、
誠生は胸を打たれ心を打たれ、しばらく号泣した。
そして泣き疲れ、その心は不思議な安堵に満ちていた。
己の悲しみを掘り出すように、あるいは整理するように…
誠生は、語り始めた。




