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世忌花娘  作者: 仲渡 温紀


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42/58

さようなら、我が故郷よ

四国の田舎の、山中にある家。

みすぼらしいほど古めかしい建物の中には、

不釣り合いな家財が置かれている。

牡丹の柄の布団の中で、伝恵は夢を見た。


真っ白な空に、

黒茶色の大地が一面に広がり、

そして、二人の男女が立っている。


夢から覚めたとき、伝恵は悟った。


『優一は、美純の後を追って、死んだ。

やはり、逃げてはいけなかったのだ。そして、逃げる事は出来ないのだ。

夫と娘の喪失を、その悲しみを刻み付けたあの屋敷。

あの屋敷さえ放り出せば、何もかもが解決すると思っていた。

しかしそれは甘かったのだ。

もう逃げてはいけない。

すべてを受け止めなければならない。

例え胸が苦しくとも、

あの屋敷へ帰って、

胸の内から溢れ出る悲しみも苦しみも怒りも痛みも、

すべてを思い出し、そして受け止めねばならない。

あの屋敷で産まれた苦しみは、あの屋敷と向き合う事でしか解決できないのだ。

何を思い出せばいいのかわからない、何を知ればよいのかわからない、

何をすれば良いのかすらわからない、だけどそれでも私は帰らなくてはならない。

それが何故なのかはわからない。

だけどこのまま、この田舎で安穏と過ごすことは許されない。

…戻るしかない、あの屋敷へ。』


そして翌日の朝、悲鳴のように黒電話がなった。


「ほ、北条伝恵さん!あの、わたくしは西郷誠生です、西郷優一の父です。

息子が、優一が、行方不明なんです!ご存じありませんか!?」


………


伝恵は汽車に揺られて、窓の外を眺めていた。

遠ざかっていく故郷。

だけどもう、

私のいるべき場所は、

あそこではない。

山に、

田畑に、

木々に、

虫や鳥の声。

私の原風景。

私が私となった、私の源。

情報の出入りが極端に少なく遅いために、

世の中のあらゆる醜い物事から覆い隠され守られた、美しい故郷。

世の中のあらゆる醜い物事が存在しない、無垢な自然と人々。

優しく朗らかな大人達の温かい眼差しや温もりに全てを守られ、

野山を駆け巡り子供達と遊び、

学校で沢山の事を学び、

山の木の実を菓子として食べ、

田畑を耕し稲を育て、

空と太陽と、

木々のざわめきと、

鼻を掠める季節の花に、

生命がほどばしるような、己の光り輝く汗。

『躍動のある生。』

第二次世界大戦の最中にあっても戦火から守られ、

身売りも徴兵も、

そして空襲も、

遠い国の悲しい物語として覆い隠してくれた、私の故郷。

だけど私はそれらと同じぐらい、辛い目にあった。

それらと同じぐらい、醜い自分の姿を見た。

もはや私は、故郷に相応しくない。

何らかの答えを見出すまでは、故郷へ戻ることはできない。

同じ景色を目にしても、心が変われば景色も変わる。

同じ人を前にしても、心が変われば人もまた変わる。

私は故郷を、心から楽しむ事などできなかった。

悲しく辛い思い出も、

幼き日を過ごした故郷へ帰れば、忽ち全てを忘れるだろうと思った。

だけど、

寛が、

美純が、

優一が、

そして、『あの子』が、

光の残像にようにこびりついて、

何を見ても何をしても、悲しみを忘れさせてくれない。

今のままでは何処にいようと誰といようと、

なにもかもが『呪われた地』になってしまう。

ならば『呪いの本拠地』こそ、今私が向かうべき場所なのだ。

さようなら、私のふるさと。

私はひょっとして、もう此処には帰る事はできぬかもしれぬ。

だけど私のふるさとよ。

私はあなたたちのおかげで、

鈍く意地汚く、強かに生きることが出来る。

ありがとう、私のふるさと。

私の魂の、原風景。


そして汽車が目的地へと、停まった。


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