いたいけな意思表明
祖父母は、寛の両親とは思えないほど、汚らしい顔をしていた。
美純は、皺が汚いものだとは思わない。
歳をとれば皺ができる、それは当たり前のことだ。
問題は、
どこにどのような皺があり、
どんな表情をしているか、だ。
そしてこの人達は、
皺のつき方も表情も汚らしいったりゃありゃしない。
この人達の佇む空間のあたりだけ、黄ばんでいるようにすら見える。
「かわいいねぇ」とニタニタ顔で言いながら、
笑みらしきものを孫娘に向けてはいるが、
瞳が笑っていないので気持ちが悪い。
そして何より美純のプライドを逆撫でしたのは、
まるで犬猫を撫でる時と同じように、
髪の毛を触られ撫でられたた事だ。
これにはさすがに腹が立ったので、
皺くちゃの汚い手を跳ねのけ無言で睨んだ。
母は、
「こら、美純、失礼でしょう!」と、彼女を叱り、
軽く抱きよせるように、祖父母から娘を引きはが下したあと、
「失礼しました、お義父様お義母様。」と、謝った。
そして祖父母は、
「おやおや気位の高い子だねえ」と、
相手が子供だからといって、
どこまでも見下したような傲慢な態度を崩さなかった。
美純は無表情を取り繕いながらも、内心腸が煮えくりかえり
怒鳴り散らしたいほど怒っていた。
祖父母だけではなく、おじ・おばその他親戚も大変不快であった。
誰それが大儲けして女遊びに博打に車に奢侈を尽くして天狗になっているだとか、
誰それが事業に失敗して破産しただとか、
そんなことばかりを嬉々として話しているばかりか、
父に向って、
これ見よがしに、
あからさまなおべっか・お世辞・社交辞令・美辞麗句を、
馬鹿の一つ覚えみたいに並び立てている。
しかし美純にとって最も腹立たしかったのは、
ナンセンスな農薬まみれの薔薇園でも、
家畜のように自身を扱った祖父母のことでも、
下衆な大人達のする金儲けの話でも、
父に対する媚びへつらいでもない。
あれだけゾロゾロと父に擦り寄っておいて、
父から離れた途端、
祖父やおじ・おばが、
父の悪口を言ったことだ。
「あいつ、俺達の中で一番金持ちだからって、調子に乗ってやがる。」
「あいつがちょっと融資してくれりゃあ、
俺達だってもっと金持ちになれるのによお。ケチな男だぜ。」
「なあ?あいつがどういう暮らしをしてるか、知ってるか?」
「そういえば知らねえなァ。俺達にはそういうこと、何にも言わねえからなあ。」
「あいつ、泥まみれになって園芸なんてしてるんだぜ、貧乏人みたいにさあ!」
それを聞いて美純は、怒りではなく絶望を感じた。
人間が、人間の不可侵の領域を不躾にも覗き見した挙句、それを謗る。
家族で築き上げた不可侵の領域を、
温もりの聖域を、土足で踏み荒らされたような気持ちだ。
こんな不条理や理不尽が、
この世界で許されるはずがない、許されるはずがない!
美純は激しい怒り以上に、無力感に苛まれた。
「私は、この世の不浄や穢れから隔絶され守られ、
無菌培養された蘭の花のようだ。
父は、その背中でこの世の穢れを受け止めることで、
私という蘭の花が、病魔に侵され腐ってしまわないよう、
精一杯守ってくれていたのだ。
私は、本や百科事典を読んだだけで、
何もかも知った気になっている、ただの子供だったのだ。
今の自分の幸せが、地平線の向こうに至るまで約束されていると、
理由もなく思い込んでいた、ひ弱な存在なのだ」
そのように沈思黙考していると、
自分の怒りがひどく矮小なものに感ぜられた。
しかし、
知性と感性の鋭さ故に繊細な美純は、
この不浄の蔓延る屋敷、それも、
この世の縮図であろうそれを受け入れ、上手く処世するなど出来なかった。
もはや青い顔をして、立ち尽くす他なかった。
あたりを見渡すと、美純以外にも、
ツンと澄ました顔をした子供達が、
煌びやかなおべべを着て、部屋の隅で並んでいた。
そして、美純と同い歳くらいの女の子達が、
薄化粧を施した顔で、親し気に話しかけてきた。
「ねえねえ、あなたのお父さまって、
この一族の中でも、ズバ抜けてお金持ちなんですってね。」
「あなたのお父さまって、どんなお方?園芸をなさっているんですってね?」
「こんなところ退屈でしょう?私達と一緒に、他の部屋で遊びましょう!」
親が親なら子も子。
美純は、彼女達の装いや立ち居振る舞いから「下品」を感じたが、
さりとてこの部屋に居座る理由もないので、仕方なく同行することにした。
広間から離れた、婦人向けの部屋。その一室に入り、少女達は腰を下ろした。
ヨーロッパ貴族のサロンにでも感化されて、猿真似でもしているのであろう、
広間でお行儀よく佇んでいたのとは打って変わって、
しどけない横座りで、これ見よがしにドレスの裾をヒラヒラさせながら、
ペチャクチャと下世話な話に花を咲かせていた。
「この宝石、パパに強請って買ってもらったのよ!
けどパパったら、『親に宝石を買ってもらえる子供は、
この世に滅多にいないんだから、感謝しろ』、ですって!
そういう自分は、時計や車を沢山買ってるくせにねぇ!?」
「あなた、そういうやり方はナンセンスよ?
『買って頂戴』、だなんておねだりするのは、娼婦や女郎のやることだわ!
どうしても手に入れたい宝石があるときはね…。
じーっと、お目当てのものを、見つめ続けるの。
そしたらパパも、すっかりその気になって、宝石を買ってくださるのよ!」
「あらあらあなた達、随分苦労しているのね。
私のパパとママは、私の事を愛してくださってるから、
私が頼まなくても、宝石なんてジャンジャン買ってくれるのよ!
ほら見て!このダイヤモンド、すっごく大きいでしょう!?」
「まあ、本当、羨ましいわぁ!
…ところで、あなた、えーと…?美純さんでしたかしら?
あなたのお父さま、大変なお金持ちなんですってね?
きっと私達のなんかより、
ずっと大きな宝石を沢山お持ちなんでしょうねえ…ねえ、どうなの?」
おおよそ彼女たちの親が、「あの娘の父親の事を聞き出してこい」と、
娘達に入れ知恵したのであろう。
しかし美純は動じず、毅然とした態度と顔つきでこう言った。
「ごめんなさい、
私はあなた達とは違って、宝石にもドレスにも全く興味がないの。
宝石なんて、手に入れたら後はボロボロになって割れていくだけだし、
それに、ほんとうの美しさを持っているのだとしたら、
派手に着飾るよりも、質素な身なりをしていた方が却って、
美しさは際立つものだと思うの。
私は父から宝石やドレスを強請ったことはありませんし、
父も、衣替えの季節以外に私に服を買い与えたりはしません。
だけど私の父は、
楽譜と楽器と、画集と画材を、
そして花や木の苗をプレゼントしてくれました。
そして一緒に楽器を演奏したり絵を描いたり
一緒に泥だらけになって庭仕事をしてくれます。
確かに父は、お金持ちにしては風変わりで、
お金を使わないしケチで貧乏人臭いのかもしれない。
それでも私は、私そのものを愛してくれる父の事が、大好きです。
私の愛するものを、私と同じように愛してくれる父の事が大好きです。
私は、
宝石やドレスを沢山買い与えて子供の機嫌を取ろうとする父親なんかよりもずっと、
お父様の方が、華族に相応しい魂の持主だと思います。
そして私は、そんな父を誇りに思っています、愛しています。
…北条寛の娘、北条美純がそう言っていたと、
あなた方のお父様やお母様にも是非、教えてあげてちょうだい。」
美純の背後で、
「なにあれ嫌味?」「お高くとまっちゃってさ」と、謗る声が聞こえる。
美純は振り向きもせず部屋を出ていき、広間にも戻らず、
薔薇の庭に出た。




