自罰のイエス・キリスト
しかし、
彼が望む望まないに関わらず、
優一は、大勢の同級生から好かれた。
同級生だけではなく、
年長者からも年少者からも、
そして教師や父兄からも、強く好まれた。
彼の、
『誰の心も傷つけたくない』という思いは、
他者に対する、『献身的な気遣い』として表出した。
そして、
『誰からも愛されてはいけない』という思いは、
『罪深い僕が、多くの人々に親しまれている。だから僕は、彼らから受けた愛よりも、
もっと多くのものを、人々に返却しなくてはならない。』
という、自傷にも似た献身へと変貌を遂げたのだ、
多くの人々へと愛嬌をふりまき、
献身的に人々を助け、
気の利いたジョークを話し、多くの人へと笑いを届けた。
そして彼自身も、
多くの人々と関わっているあいだは、『空洞』を紛らわす事ができたのだ。
大人や年長者が相手であれば、
背筋を伸ばし、
尊敬の眼差しをもって相手の顔をしっかりと見て、
世間話や学校行事、授業や学校行事ついて話し、
それでいて堅苦しくならないよう、ユーモアを持って接する。
もし注意や指導を受けたときは、
素直に非を認め善処し、
『僕のためを思ってくれて、ありがとうございます』と礼を言う。
そして年少者に対しては決して奢ることなく、
足を屈ませ同じ目線に立ち、
優しい笑みを浮かべて『うん、うん』と相槌をうち、
それが相談であれば、
相手の心情を慮る言葉をかけた後に、
『こうすればいいんじゃないかな?』と、解決策を提示し、
それが他愛もない話であれば、
適度なところで笑い、
そして自らも他愛のないジョークをふかし、皆を盛り上げる。
いじめられて泣いている子がいたら、
泣き終わるまで背中をさすってあげて、
泣き終わったらいくつかの励ましの言葉をかけ、
「先生に言って、叱ってもらおう。
『先生にチクった!』って苛められる事がないように、僕も傍にいてあげるから」
と、励ました。
さすがに、
年長者同士の苛めを直接止める事はできなかったが、
それでも、
苛めの現場を目撃したら、
職員室に駆け込み、すぐさま報告した。
『誰かを虐めると、
先生が張り付いていたかのようにやってきて、
厳しい説教と罰がくだる。』
そのような事が立て続けに起こると、
やがて、
低学年だけではなく、
高学年のあいだでも、苛めは無くなった。
このことについて優一は、少しだけ満足した。
『この学校だけは、僕の手によって、
誰も傷つかない場所へと、変える事が出来たんだ。』
優一の『空洞』が、僅かに埋まった。
しかしそれは、
『これはきっと、僕に与えられた使命なんだ。
母を殺し、父を傷つけた罰に対して、
神が与えた「贖罪」なんだ。だから僕はこれからも、
この世界から、憎しみや悲しみ、そして苦しみを消すために、
人々に仕えなくてはならないんだ。』
と、自罰的な考えへと、変わるだけであった。
そしてそんな彼であっても、どうしても耐えられない事があった。
学校中の人気者である彼は、
教師から、『特別扱い』される事があったのだ。
例えば…。
ある日、
感じの良い中年の女教師が、
放課後、職員室に来るよう優一に命じた。
そして女教師は、
職員室にある冷蔵庫から、『チョコレート』の箱を開け、
『はい、どうぞ』と、優一へと差し出したのだ。
学校内で、児童が菓子を喰うのは禁止されているはずである。
なので優一は、
「それは受け取れません…。だってそれは、校則違反じゃないですか…。」
すると女教師も、
その周りにいた大勢の教師たちもニコニコと笑って、
「優一君は賢くて優しいから、特別よ!」
と、悪気もなく、そう言ったのだ。
優一にとってそれは、決してあってはならない事だった。
『賢いのも優しいのも、僕が、贖罪のためにやっていることなのだ。
これは、僕自身への罰なのだ。なのにどうして、褒美が与えられるのだ?
僕は罪人だ、人殺しなんだ!褒美なんか受け取っちゃいけないんだ!』
そのように内心取り乱しつつも、
「ごめんなさい、それを受け取る事はできません。
先生方の好意はとても嬉しいです。
僕の行いや態度をよく観察してもらえて、とても嬉しいです。
だけど僕は、この学校の一人の生徒として、
この学校の規律を守り、見本となるよう努めなければなりません。
それは勿論、僕だけに課せられたものではありません。
この学校にいる全生徒が、守らなきゃいけないものだと思います。
だから、受け取る事はできません。ごめんなさい。」
などと思ってもない事を言い、
受け取らない口実をつくり、『失礼しました』と、職員室を出た。
しかし、
彼の心の中は、疑心暗鬼に陥っていた。
『優しくて賢い生徒も、愚鈍で心無い生徒も、
皆が一様に守らなければいけないものが「校則」、つまり「約束」なのに。
なのにどうして、優しいから、賢いから、という理由で、
誰かを優遇する事が赦されるんだ?
何故それが、「大人の世界」ではまかり通っているんだ?
それは「依怙贔屓」以外の何者でもないじゃないか!
約束が、恣意によって捻じ曲げられる。
では「法律」はどうなんだ?
優しいとか、賢いとか、お金持ちだとか、権力者だとか、
そんな理由で、捻じ曲げられてしまうのか?」
ふと優一は、
政治家たちの汚職疑惑のニュースの数々を、思い出した。
『白が黒に変わり、黒が白に変わる。
だとしたら、僕は、何を拠り所に、僕を「裁けば」いい?
何をもって「贖罪」とすればいい?
もし今やっている事が、なにひとつ、「贖罪」になっていないのだとしたら…?』
高学年の頃、こんな噂を聞いた。
北条という名のやんごとなき一族が、
ある一家を除いて次々と心中し、命を落とした事件。
北条家のうち、親娘三人で暮らしていた、『北条寛』の一家。
妻の『伝恵』と娘の『美純』。
『北条寛』は、
一族の中でもズバ抜けて資産持ちであったため、
『北条真』という一族の男から、遺産目当てで毒殺されたのだ。
そして寛の娘『美純』は、
父を奪われ酷く怒り狂い、
真に自首するよう脅迫したのち、一族全員を呪い殺したのだという。
彼女はかつて、
この小学校に通っていたのであるが、
その事件以来、外にほとんど出ず、引きこもるようになったそうだ。
彼女は呪いの目を持っているのだと、世間は言う。
優一はその噂を聞いて、
『愛する人を殺した実感と、
愛する人を殺された実感には、
比べ物にならないほどの隔たりがあるだろう』と、
北条美純に、心から同情した。
それでいて、
この噂話をどこか、『完成された美の物語』と感じていた。
悪が、悪として罰せられる世界。
醜いものが、醜さゆえに滅ぶ世界。
小学校へ通っていた頃の、北条美純の姿を思い出した。
聡明で自律的で、
華族に相応しい品性と、
器量の良さを持っていた少女。
クラスメイトと仲良く話をしている事もあったが、
嘘やお世辞を言うのを嫌っているのか、
自分の意見をハッキリと主張するところがあった。
そして気に入った友達には、年頃らしく明るく振舞うが、
粗野であったり暗愚であったり、
あるいは腰巾着のような者については、
あからさまな無視をするなど、気の強いところもあった。
そして優一も、
彼女のとっては、「気に入らない存在」の一人であったらしい。
優一は、
彼女と仲良くしたいと何度か声を掛けたが、
あからさまに避けられた。
きっと彼女は、
優一の中にある『空洞』を見抜き、
酷く軽蔑していたのであろう。
『彼女のような人が現われて、僕を、呪い殺してくれればいいのに。』




