心の墓標
それから誠生は、
仕事が忙しくなったと言い、夜遅くに帰るようになった。
また、
慈与の繊細な管理で成立していた屋敷の庭は、
管理する者がいなくなった途端、
『自然の調和する庭』ではなく、単なる『混沌』になった。
誠生はこの広大な敷地を、コンクリートで固めた。
誠生の経済力をもってすれば、
庭師を雇って、
日本庭園でもイングリッシュガーデンでも何でもつくれただろう。
だけどそうしなかったのはきっと、
慈与のつくった『自然の調和する庭』が、
単なる『混沌』へと落ちぶれていくことが、
彼女の第二の死を意味するようで、見ていて耐えきれなかったのだろう。
新しい庭をつくらなかったのも、
それが誠生にとって、『魂の不貞』のように感ぜられたのだろう。
コンクリートで塗り固めたのは、
世話が面倒なのでも、
心が乾いているからでもない。
『墓標』なのだ。
慈与を諦めるための、『心の墓標』なのだ。
優一は、そのように父の思いを捉えた。
母の庭を塗りつぶされても、さほど悲しくはなかった。
『雑草なんか、いくら踏んだって代わりはいる。』
自分を責めんが為に、
そのように強い言葉を使ったところで、
結局優一は、
雑草を傷つける事すら怖いのだ。
庭にある無数の野草が、
まるで心を持っているようで、
決して良い子ぶりたいわけではないのに、
どれひとつとして踏むことはおろか、
避けて通ろうにも、
草や蔓の先端を、うっかりと踏んでしまう事にさえ胸が痛んで、
ままならないのだ。
もはや優一にとっても、あの庭は脅威だ。
無数の生命がいて、
知らぬうちに、どれかを奪っているかもしれない。
それも、
食肉にするとか、生きるためにやっていることではない。
単なる趣味で命を奪ってしまうかもしれない、その悍ましさ。
かつて優一が必要もないのに外へ出て、
そして、母を殺した事と同じように。
あの命の蠢く庭を、コンクリートで埋めること等、
優一には決断できなかったろう。
優一が決断できなかったことを、父が代わりに決断してくれたのだ。
父がやった事とあらば、
自分は傷つかず、罪悪感を抱かないで済む。
だけど、
父の決断の重さを知ろうとするより前に、
罪悪感の回避を真っ先に思い浮かぶ事自体、
浅ましい己の本性であると、
自分が一番可哀想だと思い代だけの被害妄想であると、優一は自己嫌悪した。
『母を死に追いやった癖に、
この期に及んでまだ、「繊細で優しい自分」に酔っている。』
優一は、そう、己を断罪しつづけた。
『僕は呪われた子だ。僕なんて、産まれなければ良かった。僕は悪魔だ。
もう一生、誰にも、好かれないだろう。』
………
さりとて、まったく人間関係を断つわけにはいかない。幼稚園には通わなくとも、
小学校へは行かなければならない。
誠生は、
『友達をつくって、いい思い出を、たくさんつくりなさい』と、
優一へと応援の言葉をかけたが、
それは、
『もう、私がお前にしてやれることはないから、他人にどうにかしてもらえ』
ということなのだろう。
実際として、
小学校に通うのは優一であり誠生では無いのだから、
それが突き放しであったとしても、
父の言う事は何も間違っていないと、優一は考えた。
であるならば、
好かれる好かれないは別として、人付き合いはしなくてはならない。
例えこの心の中が、『空洞』であったとしても。




