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世忌花娘  作者: 仲渡 温紀


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30/58

夢のように美味しかった、あのクリームソーダ

翌朝、親子三人で食事を済ませ、

習い事を終えた慈与と優一は、

昼ご飯を食べるのももどかしく、さっそく屋敷の外へと出た。


そして慈与が、

こほん、と咳をして、

教師のようにわざとらしく気取って、優一に教育を施す。

どうやら慈与は、

「アルプスの少女ハイジ」というテレビアニメに登場する、

ロッテンマイヤー先生というキャラクターの真似をしているらしい。

「アーデルハイド。まず、道路を歩くときは、歩行者用の道を歩くように。

あちらをご覧になって。線が引かれてあるでしょう?

あの内側が、歩行者専用の道です。

それから、あの白い塀のようなもの。

あれはガードレールと言います。危険ですから、

くれぐれも腰をかけたりしないこと、よろしいですわね?

それから横断歩道を渡るときは、必ず信号を確認するように。

赤と黄色の時は、渡ってはいけませんよ。青になってから、渡るのです。

それから、横断歩道に信号が無いときは、手を挙げて渡る様に。

そして、狭い道を渡るときは、左側を歩くように。

道が二手に分かれているときは、その手前で立ち止まり、必ず左右を確認するように。

よろしいですわね、アーデルハイド。」

優一が笑いを堪え、

返事するのを忘れていると、

「返事をしなさいアーデルハイト!」

と更に追い打ちをかけてくるので、

腹の底から笑ってしまった。

「は、はい、ろ、ロッテンマイヤー先生…。ははははは!」

「わかればよろしい。では、ゆきますよ、アーデルハイド。」


幼くも聡明な優一は、

慈与のコミカルな説明に笑いながらも、きちんと内容を覚えていた。

目を輝かせ、

外の風景に心躍りながらも、

必要な時には心を切り替え、

母から教わった事を、寸分の狂いもなく実行した。

母と会話をしながらも、

道が左右に別れていれば、立ち止まり左右を確認し、

横断歩道があれば立ち止まり信号を確認し、

慈与の放つジョークに腹の底から笑うことがあっても、

決して道の左側から外れなかった。

それだけではなく、

ご近所とすれ違うたび「こんにちは!」と笑顔で挨拶をし、

愛嬌をふりまき、

「幼いのに良い子だねぇ。」と、

すれ違う人々を、優しく和やかな気持ちにさせた。

慈与は決して愚鈍ではないが、

要領はあまりよくないので、

屋敷の中だけではなく、

屋敷の外ですら聡明な我が子を見て、大変誇らしく思った。


『これだけ飲み込みが早ければ、電車やバスの乗り方も、教えても良いかもしれない。

勿論、まだ一人で外出させるわけにはいかないが、きっと、良い社会勉強になるだろう。』


「優ちゃん、そろそろお昼ご飯の時間ね。そろそろ帰ろうか?

「うん、そうだね。ボク、ちょっとお腹空いちゃったかも。」

「…せっかくだから、ちょっとだけお茶しましょう?」

「え?いいの?父さんに、叱られるよ。」

「大丈夫よぉ。言わなきゃバレないわよォ。」

「アーデルハイド!なんてはしたないことを!」

慈与は、

裏声でつくった優一のロッテンマイヤー先生に、腹を抱えて笑った。


……


近くにあった喫茶店に、ふたりは立ち寄った。

父の仕事柄、

外食や会食する機会は多く、

優一は、

一通りのテーブルマナーを身につけていた。

明るく店員に挨拶し、奥のテーブルへと座る。

注文を伺いにきたウェイトレスへと顔を向け、

淀みなくメニューを読み上げ、

最後に「よろしくお願いします」と付け加える。

ウェイトレスも、

いじらしいほど礼儀の正しい優一に向かって、

「かしこまりました」と、満面の笑みで応える。

そのメニューが「クリームソーダ」である事を除けば、

完全に大人の仕草そのものである。

このような場面では、

慈与よりも優一の方が水を得た魚であり、

もはや慈与の方が「ハイジ」である。


「優ちゃんは賢いねえ。母さんは鈍いから、あんなに早く覚えられないよ。

テーブルマナーも、すっかりお上手よ。うらやましいわ。」

アイスティーの氷をストローで弄びながら、慈与はそう褒めたたえる。

「母さんは、鈍くなんかないよ。

ただ、おっとりしてて、背伸びするのが苦手なだけだよ。

僕はただ単に、皆にイヤな思いをさせたくないし、皆と仲良くしていたいだけ。

マナーなんて、どうでもいいじゃないか。

僕は、料理を美味しく食べる母さんが好きだよ。」

クリームソーダのアイスクリームを、

スプーンで掬いながら、優一が熱弁する。

「…ふふふ。ありがとう。優ちゃんに、守られちゃったわね?」

仄かに香るアールグレーに、

うっとりしながら慈与がそう言う。

優一は、

アイスクリームを口に運ぼうとした動作のまま、固まった。

「え…!?僕が、母さんを守ったの…!?」

驚きと、喜びが混ざった優一の姿。

慈与は、

その姿を愛おしそうに微笑みながら見て、

からん、と氷の音を鳴らしながら、アイスティーを啜った。

「…『喫茶店でお茶をしよう』と言ったのはね、

今日、優ちゃんがとっても頑張ったので、

ご褒美をあげたいなと思ったからなのよ。

本当はそれだけのつもりだったんだけど、

お母さんの事を守ってくれたお礼に、もうひとつ、何かプレゼントしなきゃね…。」

「なにをプレゼントしてくれるの!?」

爛々とした瞳で、

目の前にあるクリームソーダの事すら忘れて、尋ねる優一。

「母さんね、とっても美しいお屋敷を知っているの。

そこにはね、ヨーロッパのお花や、日本のお花や、

本当にたくさんの木やお花が咲いているの。

住んでいる人達も、とても良い人達なのよ。

あまりにお花が美しいので、

母さん、不躾にも、お屋敷の方をじーっと覗いてしまったの。

でもね、

そのお家の人達は、今日の優ちゃんみたいに、

明るい声で『こんにちは!』と挨拶してくれたのよ。

そしたらついつい話がしたくなっちゃって、

『きれいなお花ですね!』と母さんが言ったら、

『僕達一家が育てているんですよ、娘の趣味でねぇ。泥臭く見えるでしょうけど、

案外楽しいんですよ!』と、豪快に話してくださったのよ。

お庭仕事の最中のようだったし、あまり長々と話するのも申し訳ないと思って、

『ここはよく通る道ですから、また、眺めさせてくださいねえ。』と言ったの。

そしたら、娘さんの方が『いつでもどうぞ!それでは、お気をつけて!』と、

とても明るく挨拶してくださったの。

優ちゃんに似てとても賢くて、とっても可愛らしい女の子だったわ。

…えーと、どういう話だったかしら?

ああ、そうそう。

明日、優ちゃんにも、その美しいお屋敷を、見せてあげる!」

優一の顔が、パァっと明るくなった。

慈与はおっとりした性分ではあるが、

妥協を許さぬ性質でもあり、

心根の美しい者としか、関わりたがらないところがあった。

また、

芸事を好み鍛錬する性質から、

そして何より彼女の庭が物語るように、

『真に美しいもの』にしか興味を示さない、強い美意識があった。

そんな彼女が、

『とても美しいお屋敷』『とても良い人達』と言っているのだから、

それは相当なものなのであろう、

優一は、早速明日が待ち遠しくて堪らなかった。


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