あなたが愛おしい。だからあなたを憎みます。
「…こんにちは。僕の名は西郷優一です。このあたりに住んでいます。
毎日このお屋敷を通るたび、きれいなお花を眺めさせてもらっています。
本当は、お花を眺めるだけではなくて、君にも話しかけたかったのだけど、
あまりにもお花に夢中のようだったので、つい、話しかけそびれてしまって…。
こんなにも美しいお庭なのだから、夢中になるのは仕方ありませんよね。
あの、よろしければ、名前を教えていただけませんか?」
明るく優しい、品のある優一の声。
甘さと力強さが混ざった、フランコ・コレルリのような声。
美純に、例の「反応」が起こる。
もはや彼の声は、『斬首すべきカラフ王子の声』だ。
「私は北条美純です。優一さん、貴方の噂はわたくしも耳にしておりますが、
大手印刷会社の御曹司ともあろうお方が、落ちぶれ華族の屋敷の花なぞ見て、
一体何の用事があるというのですか。」
「あの、失礼ですが…。何か、気に障ることをしてしまいましたか…?
ひょっとして、挨拶もしないで、お屋敷の方を覗き見た事についてですか…?
それなら、申し訳ありません…。」
「そんな事は申しておりません。御曹司ともあろうお方が、
落ちぶれ華族の屋敷の花なぞ見て、何が楽しいのかと聞いているのです。」
「そうですね…。僭越ながら、このような身空でいると、
何が嘘の美しさなのか、何が真の美しさなのか、よくわかるのですよ。
あなたの屋敷のお庭は、西洋の花だらけのイギリス庭園でも、
格式ばったフランス庭園でも、古臭い日本庭園でもない。
和も洋も、世界中のいろいろな美しいものを取り入れた、
調和のとれた『ヘレニズム』だ。
誰の思想でも感性でもない、あなた自身の魂によって形作られた、
『エデン』そのものだ。
もちろん、この美しさに至るまでには、いろいろな事があったことと存じます。
失礼ですが、こちらも、あなた方北条家の事については、耳にいたしました。
きっと、僕には想像も及ばないような、思いがあった事でしょう…。
だけど、この庭の中には、どのような苦しみの中にあっても、
決して色褪せはしない、魂の美しさがある。
それはきっと、あなたの美しさなのでしょう。
僕は、この庭と、そして…あなたの瞳から…。それを感じざるを得ないのです。」
「あら、そうですの。では何故、貴方はそんなに華美な装いをしているのですか?
見たところ、有名なブランドメーカーや、貴金属を身に着けておられるようですが、
わたくしにはそれが、貴方のはしたない『虚栄心』にしか映りませんの。
『真の美しさ』がわかると標榜しながら、
贅沢をし、女遊びをし、大酒を飲み、虚飾に現を抜かし奢侈を尽くす。
正直に言って、あなたの言っていることは口から出まかせにしか聞こえませんの。
『御曹司』として俗物的な快楽に溢れ、何もかも手に入れたと万能感に浸り、
そして落ちぶれ華族であるわたくしを憐れむ。
そのような浅ましい魂しか、あなたからは感じられませんわ!
そしてそんな安っぽい自作自演の映画に、
わたくしがエキストラとして出演させられているのだとしたら、
これ以上の冒涜はありません!」
「そうですか…。そんな思いを、させてしまっていたのですね。ごめんなさい…。
確かに、あなたの言う通り、僕は、『虚栄心の塊』です。
僕は、僕の心の中にある、『空洞』を隠すために、虚飾で満たしています。
僕の寂しさや切なさや悲しみ、孤独を誤魔化すため、
金を使って贅沢をし、酒を飲んで心を誤魔化し、
常にだれかと一緒にいて、笑ったり笑わせあったりすることで寂しさを誤魔化し、
僕の『空洞』を悟られない様に特定の恋人をつくることを避け、
そして今も尚、あなたも見ての通り、『虚飾』で身を覆い隠しているのです。
美純さん。あなたの仰る通り、僕には、『真の美しさ』を語る資格はありません。」
「あなたの情熱と『空白』とやらはよくわかりましたわ。しかしその『空白』とは、
どの小説を参考にしたものなのかしら?
太宰治の『人間失格』かしら?確かに、あなたは太宰治にそっくりですものね。
主体性も自主性もなくて、欠乏を『奢侈を尽くす』という夥しい量のモルヒネで誤魔化し、
そしてなにより女心を掴むのがうまい。聞きましたわよ?
『ホステスやキャバレーの女は、接客する立場にも関わらず、
むしろ、西郷優一に接客されたかのような気持ちになった』だとか、
『西郷優一と夜を共にした女達は、その別れ際の礼儀の美しさ故に誰ひとりとして、
彼を悪く言う者はいなかった』、とか。
それで今度はその色目をわたくしに使おうという魂胆ですの?
落ちぶれ華族とはいえわたくしの母は、父から受け継いだ多額の遺産と、
落ちぶれた親戚達から受け継いだ遺産を所有しています。
それは多額も多額、街ひとつ動かせるほどですわ。
母が死ねば、私が遺産を受け継ぐ。そして私を手籠めにすれば、
その遺産をあなたは手に入れられる。
どうせ、こういう筋書きの映画か小説なのでしょう?
見え透いた魂胆ですこと!」
「僕の人間性が否定された以上、
その事については僕としても、正直に言わせてもらいます。
それは誤解です。あなたの思い込みです。僕はあなたの遺産なんかには、
まったく興味がありません。僕は、大手印刷会社の御曹司です。
父の会社を引き継げば、
街はおろか、国を動かすほどのお金を手にすることができます。
僕の瞳を見てください。僕が卑劣な男に見えますか?」
優一は、じっと美純の目をみつめ、顔を近づけた。
真剣で誠実で、情熱にあふれた顔。
ハンサムな顔つきに、
光のない、
昏い瞳。
確かに存在する、『心の空洞。』
『…気が狂いそうだ!』
思わず目を逸らしてしまった、美純。
そして真一文字に結ばれた優一の唇。
僅かに光沢を放つ、粘膜。
美純の目は、釘付けになった。
「目を反らしたね。、何故君がそうする必要があったんだい?
君の方こそ、僕の事を悪く言う事で、自分を保とうとしていたんじゃないか?
僕はね、知っているよ。北条一族に何があったか。
そして君が、どのような目にあったか。
お父様を毒殺され、
一族全員から犯人に仕立て上げられ、
お母様を拘禁され、
世間から蔑まれ虐められ、
そしてそれに君が耐えていた事を、知っているよ。
そのせいで君は、優しさも愛も、すべての人間らしい心を投げ捨てて、
この世界を憎み、拒絶する他なくなった。
だから君は僕の姿に、心無い親戚の姿を投影している。
お父様が毒殺された日のように、愛や優しさが壊されることを、
そして愛や優しさによって自分が苦しむ事を、誰よりも恐れている。
だから君は、この世界を『汚いもの』と認識する事でしか自分を保てない。
だけどね、僕は、君のそんなところに、惹かれたんだ。
僕は、この世界を拒絶できるほど、強くない。
『迎合』することでしか、世界を見ることができない。世界と関わることができない。
拒絶する君と、迎合する僕。これは運命だ。
運命が僕達を引き寄せたんだ。」
『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!これ以上私を凌辱するな!』
「君の事が好きだ。君の事を愛している。もし君が望むのならば、
僕はもう贅沢なんていらない。西郷の家も血もいらない。
君が嫌いな『虚飾』をここですべて脱ぎ捨てて、裸で家に帰ったっていい。
君と一緒になれるのならば、もうこれ以上、他人から認められなくたって良い。
僕はこれほどまでに君の事が好きだ、愛している!
北条美純さん。
僕と、一緒になってください。」
美純は呆けて、
その場に膝をついて、
崩れ去った。
なんだこれはなんだこの思いは?
肉体のあらゆるこわばりが、とかされていくような…。
苦しいような、でも、
とてつもなく心地いいような…。
耳から爪先まで全身が熱くなって、
光が目にチカチカと点滅して、
脳の働きが極度に遅くなったり速くなったり、
そして、ずっと、このままでいたいような…。
下穿きの中がじんわりと温かい。
床が心なしか濡れている。
『恍惚。』
それがピークに達した時、
美純は思わず失禁してしまった。
現実に引き戻された美純。
されど、
何が起こったかがわからない。
そして、
薄水色の浴衣に、
美純の体液が、
黄色く染み込んでいく。
飽和した体液が、
黒茶色の床に、
円形に広がっていく。
しばし、
体液のぬくもりが足元を覆い、
そして、外気に触れて冷めていく。
その冷たい感触が何であるか、美純はようやく気付いた。




