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世忌花娘 【完結済.全58話・約125000文字】  作者: 仲渡 温紀


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20/20

愛ゆえに痛む愛

『失禁。』


「だ、大丈夫…?」


心底心配している優一の声。

しかし美純にとってそれは、最大限の侮辱でしかなかった。

敵の前で子供のように尿を漏らす。それだけではなく、敵から同情される。

辱められた、これは魂に対する凌辱だ。

『殺してやる。殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す』


美純は屋敷の中を駆けて台所から包丁を取り出し、その切っ先を優一へと突き付けた。

目はひん剥かれ顔は血走り赤くなり、額には青筋が立ち美貌をすべてかなぐり捨て、

その姿は鬼女へとなり果てていた。

「…君はそんなことをする人じゃない。わかっているよ。

どれだけ世界を拒絶しても、君の魂には、

お父さんが生きていた頃の優しさが残っている。

だから君に僕は殺せない。君に人は殺せない。」

「ええい忌々しい!さっきから勝手な事ばかり言いやがって!貴様に何がわかる!

これ以上減らず口を叩くなら殺す!…立ち去れ。二度とこの家を通りすがるんじゃない…!」

「僕は帰らないよ。だってまだ、君の答えを聞いていないから。

僕は君に、一緒になってほしいと言った。そして僕はまだ、君の答えを聞いていない。

言っておくけど、君が失禁した程度で、僕の思いが変わる事はないよ。

だから帰るわけにはいかない。殺されたって帰るわけにはいかない。」

「うるさいっ!うるさいうるさいうるさいっ!殺す、ほんとうに殺すっ!」

「…いいよ。それで、君が満足するのなら。君はどこまでも世界を拒絶する。

それが君の世界に対する在り方なのであれば、僕はそれを受け止める。

さっき言ったよね。僕はこの世界に対して、『迎合』以外の在り方を知らない。

そして、世界を『拒絶』する君の事が好きだ。

だから『僕を拒絶する君』の事を、僕は受け止める。『迎合』してみせる。

だけどね、これだけは覚えていてくれ。

君が僕を殺したとしても、僕に苦しみを与える事は出来ない。

命を奪う程の『拒絶。』

僕の魂が、君の心に、そこまでの強い思いを抱かせたことに僕はすっかり満足して、

なおのこと君の事を愛おしみ、喜ぶだろう。僕は絶対に君を愛することをやめない。

命が尽きるその瞬間まで、君の事をずっと見ている。

だから、いいよ。僕の事を殺しておくれ。」


眉を下げ、

悲痛で、

今にも涙しそうな、

昏い瞳。


美純は、刀を落とした。

美純の目から険が取れ、

その真ん丸な瞳は、

少女そのものであった。


「…ほらね。やっぱり君は、優しい人だ。僕は『迎合』で、君は『拒絶』。

お互いに弱くて歪だからこそきっと、本物の『愛』や『幸せ』を二人して手探りで、

時には上手くいかなかったとしても…きっと必ず、手に入れられる。

例えそれが茨のように厳しい道だとしても、僕と君となら歩んでゆける。

僕の弱さを君が守って、導いてくれ。そして僕も君の弱さを守って、導くから…。」


頬を涙で濡らしながら、

陽を照り返し、

美純を見つめるその瞳。

美純はかつて、

優一とよく似た男に、

このような瞳で見つめられた記憶がある。

思い出そうとするだけで、

頭痛がして、

思い出すことのできないあの男。


『僕も、美純のことが大好きだよ、愛しているよ。

君はとても賢くて繊細だから、この汚くて醜い世界では、生き辛いかもしれない。

だけどね、安心しておくれ。君の賢さや繊細さを守ってくれる優しい男の人が、

恋人が、旦那さんが、君に見つかるまでは、僕や母さんが、君を守ってあげるからね。

だからね、泣かないでおくれ。

これからも一緒に絵を描こう。音楽を奏でよう。お庭仕事を一緒にしよう。

そして時々は母さんの実家に帰って、みんなで楽しく過ごそう。

君の魂は、誰よりも美しい。その美しさを、どうかずっと忘れないで…。』


そうだ、

父だ!


父はあの激しい断末魔の後、

眉を下げ、

口を半開きにし、

目を見開き、

涙を流しながら、

シャンデリアの灯りを照り返した目で、

美純の目を、見たのだ。

そして、

すー、と涙を流しながら、

その暗い瞳は、

「不本意だ」、

「無念だ」、

「こんなはずじゃない」、

「死にたくない」

と、そう語ったのだ。


突如としてカオスに蘇る、優しい記憶と、優しい思いの数々。

そして悲しい記憶と、悲しい思いの数々、


「いやあああああああああああああああああああああああああああああ!」


金属を引っ掻き回すような甲高い悲鳴。さすがの優一も何が何なのか、

美純の心のダイナミクスをとらえきる事ができず狼狽した。


「もうやめてよ、これ以上傷つけないでよ、お父さま言ったじゃない、

美純を守ってくれる強い男の人があらわれるまで、わたくしを守ってくださるって!

だけどお父さま、お父さま…お父様は死んじゃったじゃない!

お父さまは最後まで私を守ってくれなかったじゃない!

お父さまみたいに強くて優しい人でも私を守れなかったのなら、

もう、誰も私の心を守ってくれる人なんているはずないじゃない!

私の魂の美しさを守ってくれる人なんていないじゃない!

だから私が強くなって私の魂を守るしかないじゃない!でも美純の美しさは、

強さはどこにいってしまったの!?もうどこにもないじゃない!

だったらもうしかたないじゃない…!お父さまのせいよ!お父さまが悪いんだわ!

お父さまがお人好しで、あんなもの食べたから、お父さまは毒殺されたのよ!

なんで殺されちゃったのよお父さまあ!お父様が殺さたから、わたし、

犯罪をおかしちゃったじゃない!罪もない女の子の指に怪我をさせちゃったじゃない、

みんな自殺しちゃったじゃない!わたしそんなことがしたかったわけじゃ、

ないもん!私は、お母様とお父さまと一緒に、絵を描いたり楽器を演奏したり、

お花を育てたり、四国の田舎で暮らしたかっただけなのよ、なのになんで生きて、

私を守ってくれなかったの、なんで、なんで…。

大切な人が殺されたのに、強く美しくなんか、なれるわけないじゃない!」


「お父様の…お父様の、バカぁあああああああああああああああああああああ!」


美純の抑圧された悲しみが、堰を切って溢れ出た。

普段の冷徹な姿とは打って変わって、幼子のように泣き崩れる美純。

優一はなんとかして彼女の心を取りなおそうとしたが、

彼女の母が買い物から帰ってきて、風呂敷を持ったまま美純のもとへと駆け寄る。


「どうしたの、なにがあったの!?美純!」


失禁しながら子供のように泣きじゃくる我が娘の背中を、

事態も呑み込めぬままさする伝恵。

やがて彼女は優一に気づき、そちらに体を向けた。


「あら、あなたは…ええと、西郷さんちのお坊ちゃんね。

何があったのか、何がおこったのか、わからなくて申し訳ないのだけど…。

見ての通り、こんな有様だから、何か用事があったのだろうけど、

とりあえず、また次の日にしましょう、ね。

ここは私に任せて。あなたはお忙しいだろうから、お家へ帰んなさい。」


やりきれない顔で、優一は、トボトボと帰路についた。

美純の甲高い泣き声が、切なく響いて背中にはりつく。

優一は、

美純の悲しみが我が事かのように悲しく、涙を流した。、

そして彼女への愛を、強く募らせていた。



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