邂逅
入用かなにかで、
やむをえなく屋敷のそばを通り過ぎる人々は、
世間の謳う「美純の呪い」を気にしてか、
極力屋敷から距離を取り、
屋敷から背をむけて通るになった。
死装束のような浴衣を着て、
縁側でずっと、花を見つめている美純。
その佇まいは美しく、
それが却って此の世ならざる雰囲気を醸し出していた。
その幽玄なる姿は、
人々に呪いの噂を信じさせるには、充分だった。
静寂と停滞が、美純を包んだ。
『これでよい。このまま何事もなく、ただ生きて、死ぬことができれば。』
そして、
美純がそう願ったとおり、
静かな月日が、過ぎて行った。
これからもずっと、そのように時を過ごしていくのであろう…。
そう思っていた。
つい、最近までは。
北条家に纏わる噂は、
月日を重ねるごとに尾ひれ背びれがつき、
入用の人ですら、滅多に通りすがらなくなった。
ある、一人の男を除いては。
『西郷 優一』
買い物をする他には外に出ない美純でも、
彼の事は知っていた。
歳は美純と同い年で、
同じ小学校へ通っていた。
美少年であるだけではなく、
頭脳明晰で運動神経も抜群。
品行方正かつ明朗快活で、ユーモアのセンスや社交術も鮮やか。
そして極めつけには、大手印刷会社の御曹司。
少女達をはじめとして、学校中から評判を受けていた。
だが美純は、
正直言って彼の事があまり好きではなかった。
確かに、彼の頭脳やユーモアのセンスには、感心するところがあった。
体育の授業でダンスをやるときなどは、彼のしなやかで洗練された動きに、
思わず目を奪われ、感動してしまったほどだ。
しかしどうにも、
明るく機知に富む彼の処世術は、
世間に対して迎合的で、
自主性・主体性というものに欠け、
何かを隠しているかのように演技的で、
他人の承認や称賛を得たくて得たくて仕方がない、
そんな動機が透けて見えるようで、気に入らなかったのだ。
そして今もなお、
成人した彼の評判は栄華を極めており、
その評判の高さと言えば、
もう仕方ないほどに彼方此方で噂になっているため、
世事に疎い美純ですら、
彼がどんな男であるか、諳んじられるほどなのである。
コーカソイド風の精悍な男前に、上背の高いスポーツマン体系。
爽やかな刈上げを金色に染め、整髪料でお洒落に整えている。
目鼻たちのしっかりとした顔つきに、人懐っこい丸い瞳。
血色の良い唇からは、真っ白な美しい歯が並んでおり、
その口からは、まるでラジオ放送のように淀みのないユーモアが流れ、
その場にいる人皆を、笑わせ、和ませる。
東京の有名な大学を出るほど頭脳明晰であるにも関わらず、
それを自慢したり、
ひけらかしたり、
鼻にかける事なく、大変かんじがよい。
女性にモテるだけではなく、
男友達との付き合いにも積極的かつ献身的で、
醜女や冴えない男を、
無視したり見下したりすることもない。
宝飾品やブランド物を好む派手好きなところもあるが、
ブランドの裏側にある物語や歴史を重んじ、
その敬意を、溢れ出る知性と感性でコーディネイトし、
豪華な宝飾品と組み合わせるそのセンスの良さには、ひとつの瑕疵もなかった。
贅沢好きの女好きで、
大変な酒飲みではあるが、
深酔いしても所作や品性の崩れるところなく、
女の扱い方は大変巧みで、
ホステスやキャバレーの女などは、
『もはや自分が接客を受けているようだ』と、口を揃えて彼を讃えた。
特定の恋人をつくりたがらないそうだが、
ゆきずりの女達は皆、
彼の紳士的な対応と、
別れ際の作法の美しさに感心し、悪く言う者はいなかった。
酒に酔って崩れた体躯すら、
映画俳優がポーズを取っているようであり、
そこには大手印刷会社の『御曹司』としての、
天性の品と、
魂の美が備わっているとのこと。
彼は、街の大スターだった。
そして美純は、
そんな優一を心底嫌っていた。
他の豚どもが、
『屋敷を見まい!』と顔を背けて去っていく中、
屋敷の中を不躾にも覗き見し、
美純に向かって、
気障な笑みを浮かべて去っていく優一。
派手な装いに身を包み、気取った眼差しで、
美純の聖域を汚す不純物。
いることにはいるのだ。
「呪いの噂」が本物かどうか、確かめたがる不届き者が。
お化け屋敷か何かだと思って、屋敷を物色せんとする無礼者が。
しかしその手の輩も、
美純のひん剝かれた瞳で睨みつけられると、
腰を抜かしながら涙を零し、
震え声で「た、助けたください!」と、
まるで銃でも突き付けられているかのように怯え、
ガタガタと覚束ない足取りで、
足をもつれさせながら、
這うように逃げていくのだ。
当然、そのような手合いは二度訪れることはない。
優一に関しても、
どうせそういう手合いだろうと思い、
美純は渾身の力で睨みつけた。
すると優一は、
最初こそ吃驚して目を真ん丸にしたものの、
次の瞬間には心底嬉しそうな顔をし、
一礼して去っていったのだ。
脅威が、通じない。
美純は反吐が出るほど屈辱的な気分だった。
それから優一は、
毎日のように美純の屋敷を横切り、
屋敷の花々を眺めては、美純に向かって微笑み、一礼した。
美純の方も、
そんな彼を何度もギョロリと睨んだが、
優一は、睨まれる度に嬉しそうな顔をした。
まるで、至福であるかのように。
全ては優一を喜ばせるだけだと悟った美純は、
大変不本意ながらも、
これ見よがしに屋敷の中へと姿を消した。
これでさすがに諦めるのではないかと思って、
障子の隙間から外を覗くと、
派手な衣服や宝飾品に包まれた優一が、
眉を下げ、
今にも泣きそうな顔で、
死人のような暗い目で、
障子越しに、
美純を見ているのだ。
そして彼は、
あの男に似ている。
思い出すだけで不快な気持ちになる、
それでいて、
思い出そうとするたびに頭が真っ白になって思い出せない、
愚かで不快な、
あの男に。
目鼻たちがしっかりしたコーカソイド風の顔に、
キリリとした眉毛と、
彫の深い、
それでいて人懐っこい真ん丸な瞳。
鼻は高く整っているがボリュームのある鷲鼻で、
男らしくしっかりとした顎。
日焼けした肌に血色のいい唇、
そしてそこから覗く、白くて美しい歯。
広い肩幅に逞しい胸板、それでいてくびれのある腹部に、
筋肉質で盛り上がった臀部に、長くて引き締まった脚。
そして、
あの、
悲しくて暗い顔。
、
突如、
美純の肉体に異変が起こった。
下腹部がキュー…と痙攣を起こし、
眩暈のように頭がチカチカとして、
そして、
下穿きと浴衣がぬるく湿った。
『魂を穢された。これは凌辱だ、粛清すべきだ!』
もはや逃げている場合ではない。父殺しの罪を暴いた時のように、
『敵』と対峙せねばなるまい。かつて豚共を相手に、手段も択ばず戦った様に。
呪い?自殺?心中?勝手にすればよい、私には預かり知らぬことだ!
『私を傷つけるものを、私は決して許さない!』
美純は心の中で、鬼神の如き憤怒を携えながら、
もはや花も木も見ず、鳥の囀りや虫の音すら聞かず、
ひたすらに毅然とした態度で縁側に立っていた。
そして、『敵』が、向こうから現れた。




