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『…セピア…』
誰かの声が、セピアを呼んだ。
それは聞き覚えのある声だった。
(誰…)
オンブル伯爵に捕まれ、意識が朦朧としているセピアは、声も出せずにいた。
聖女とオンブル伯爵の会話が、遠くなっていくにつれて、呼ぶ声がハッキリと聞こえ始めた。
『セピア。君に…戻りたい』
(あなたは…誰)
『セピア』
(誰なの…)
セピアの問いも聞こえてはいないのだろう、返事もない。
ただ声の主は、一方的にセピアへの想いを投げかけて来る様だった。
『胸を焦がすような愛おしさ』が、声と共にセピアの頭と心に流れ込んできた。
一緒に居たい。と、少しでも触れたい。と、嘆いている。
裏切られ、酷く嘆く女性の影が浮かび、泣く彼女の腹には子がいた。
それは、聖女の母シャインなのか、タドミール女王なのか、セピアには分からない。
彼女は子を産み、首を切られ、箱に入れられた。
二人共が歩んだ道だった。
爆発音が一つ上がった。
オンブル伯爵に今までの『研究』を説かれた聖女が、ガラスケールの一つを破壊した音だった。
「素晴らしい。ここの制御の中、ケースを一つ破壊するとは」
拍手が出来ないのが残念だ。とオンブル伯爵は笑った。
「そう。だから貴方は回復して、それの副産物を摂取して私達が来るのを待って居たのね?」
「いやいや、若返るのは副産物などではない。これも研究の一つさ。若さを保つ事に執着する者が多くてね」
「貴方もその一人でしょう?」
聖女はもう一つガラスケースを破壊した。
中から液体が流れ、研究員がバルブを閉めに走る。
液体から出された王弟の身体が、黄色く変色し、さらにはドロドロに溶け、中に入っていた液体と共に排水溝へ流れて行った。
「自分の父親を溶かすだなんて…酷い聖女様だ」
オンブル伯爵は何がそんなに楽しいのか、機嫌が良いのが一目でわかる。
先程の、セピアの言葉に絶望を浮かべていた男とは思えないくらいの明るさだった。
「イかれてるの?お前。お前の話が本当なら…いいえ、複製体になったアレはもうお父様では無いわ。同じ形の何か。よ」
「それでもシャインの頭には攻撃できないだろう?アレは複製体ではない。ちゃんとした君の母親の頭部だからな」
オンブル伯爵の言葉に反応する様に、聖女はまた次のガラスケースを破壊した。
走り回る研究者達の数が、少しずつ増えていくが、兵の数は最初の二名のままだった。
彼らはアスールの手首に短剣を指したまま、指示が来るのを待って居る。
オールは聖女シャインの頭をどうにか外せないかと、装置に近付いていたが、そこで妨害してくる研究者と戦っていた。
しかし、研究者は負傷しても蘇る死人の如く、回復薬を飲んではオールを襲う。
回復薬は尽きる事無く、研究者達のポケットから次から次へと出て来る。
「厄介だな」
ポケットは収納魔法が掛けられているのだろう。
内容量が分からないが、いつかは底を尽きるはずだとオールは自分の精神を鼓舞する。
「良い狙いだオール王子。頭部を外さない限り、彼らの回復薬は底を尽きる事を知らないぞ」
「何だと!?」
「彼らの服にかけられているのは収納魔法ではない。空間魔法だ」
「空間魔法だと?」
「そうだ。それを縮小したのが収納魔法だが、彼らのは倉庫に繋がっている」
回復薬の倉庫。
それは切り離された空間で、バカでかい容量を持つ。
空間魔法の始祖がかつて使った、秘術だった。
「そんな!」
オールはこの上ない恐怖を感じた。
ノワールがプリシカを侵攻したとしたら、勝てる要素が無い。
ただの研究者の三人や四人、本来なら蹴散らして同然の非戦闘員でも、オールは苦戦している。
それが、兵士となれば…そして、空間魔法を全ての者が持っているとしたら。
「勝てる訳がないだろう?君達が」
オンブル伯爵が余裕なのはその為か。と、オールは唇を噛んだ。
「だが、回復薬自体は有限だろう?」
迫り来る研究者を切る。
オールがそいつを切るのは何度目だったか、また回復しては立ち上がって来た。
「そうだな。それでも、だいぶ作らせて貰ったよ。たかが頭部の一部でね」
まあ、頑張りたまえ。とオンブル伯爵は左手を軽く挙げた。その左手を、聖女の矢が突き刺した。
「終わりかね?」
聖女は肩で息をしていた。




