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聖女に愛された侯爵令嬢は愛を貫く決意をする  作者: 樋口 涼
邪神の口付け

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1

オンブル伯爵は屋敷までの道中、一言も話さなかった。

ずっと、漆黒の目で向かいに座るセピアを観察していた。


(アスールさん…)


セピアは目を覚まさないアスールの手を握りしめた。

掌から伝わる熱と手首の脈で、生存を確認しては安心を得ている。


それでも、アスールの顔色は悪い。

普段よりも揺れない馬車の、細やかな揺れでさえ、彼の命を縮めてしまう。

そんな気になっては、脈を確かめ、体温が下がっていないか手に触れる。


ぼろ布の様なローブとドレスを片手で支え、オンブル伯爵の視線にさらされたセピアは身を縮ませた。

恥ずかしさと不安と心配で、頭がいっぱいになる。


(アスールさん…生きていて)


そう願った。


(私には治癒魔法が使えない…使えたら…良かったのに)


握りしめた手を自分の額に当てて、再度祈る。

信仰深い信徒や、聖女の様がしていた様に…神へ願った。


(お願い…神様…アスールさんを助けて…)


いつもは強く思うだけで、魔法が発動した。

使おうと考えなくても使えた。

しかし、今はもうセピアの魔力は腕輪で封じられている。


(どうして、そうなる前に使わなかったの…)


セピアは自分を責めた。

アスールが倒れる前に、路地裏から出た時に、周りを囲まれたあの時に。

使っていればもっとましな結果が待って居ただろう。と。


(結局は…)


奴隷商街に血の川を作り出した。

勇が死んだ時と同じように、アスールが水魔法で殺した様にセピアも人間を破裂させた。


正しくは風魔法で切り刻むと同時に、水魔法で破裂させたのだが、二属性を同時に使える者などいない為に、彼女は自分が使ったのは水魔法だと思い込んでいた。


セピアの頭には、勇の死んでいたあの部屋の惨劇が浮かんでは消える。

同じ様に人を殺した自分に嫌悪し、吐き気が喉元を叩く。

胸に気持ち悪い熱さが広がり、心臓がぎゅっと鳴る。


(私も…いいえ、私の方が…)


『人殺し』


それは王息の婚約者と言う肩書よりも重く、誉無き黒い罪だった。


(お母様…お父様…リーベ…オール様…聖女様…)


一人ずつ顔が浮かぶ。

家族や愛してくれる者はもちろん、友好的な聖人達も皆、セピアが人を殺したと…しかも、戦場でも無い街中で、大人数を一瞬にして血に変えたと知ればどう思うだろうか。


考えれば考える程に、セピアの気持ちは暗く陰鬱になっていく。

せめて、触れる位置に居るアスールだけでも助けたい。


(それで全てが許される事はないけれど…)


少しだけ、セピアは自分の魔力が動いた気がした。

セピアからアスールへ。

血に染まった手から、血で汚れた手へ。


(どうか…この…迷える子羊に慈悲を)


教会の女神像の前で、降り注いでいる光の中。

真摯に祈りを捧げる聖女を思い浮かべた。


彼女の美しさの、ほんの一欠けらでも有ればアスールは助かるかも知れない。

治癒魔法を使う聖女の美しさの、一筋の光を…。


(お分けください)


セピアの祈りは神に聞き届けられたのか。

不確かなまま、馬車は静かに止まった。

そして、ノックされると扉がゆっくりと開かれる。


「着きました」


側付の男が頭を垂れ、主人を迎えた。

その先にも、使用人達がずらりと並ぶ。

剣を携えた兵士も多く居た。


オンブル伯爵が下りるのを待つ彼らは、微動だにしなかったが、主人の足が地面に着き、玄関扉へ歩みを進めると、装備や剣をガチャガチャと鳴らし、馬車へ乗り込んで来た。


「女は手荒にするな…一応な」


主人の声でセピアとアスールに掴み掛ると、セピアはオンブル伯爵の元へ、アスールは寝台から降ろされセピアとは別方向へ連れていかれる。


「彼をどうするのですか」


オンブル伯爵の背後から、セピアはキッと睨みつけた。


「アイツは…いつも通りお仕置きだ」

「何ですって?…話が違うわ」

「命だけは助けてやる。そういう約束だ」

「…卑怯者」

「殴るだけがお仕置きではないよ」


オンブル伯爵がニヤリと笑う。


「私に反抗しそうになった事は事実だからな。お仕置きは必要…ただ、君との約束も守ろう」

「何を…する気?」

「なあに、いつも通りアイツは可愛がられるだけさ…丁重にな」


ははっと渇いた笑い声をあげた伯爵は、これ以上ここで話す事はない。と、エントランスの先に在る階段を上がっていく。

その後を、セピアは兵士に挟まれながら上がった。


「…ねえ…アスールさんは…どこへ?お仕置きって…?」


オンブル伯爵に聞こえぬ様、兵士に小声で問いかける。

彼らはセピアの声がまるで聞こえない様な、素振りで彼女の声を無視した。


「ねえ…彼に…何をするの…?」


セピアの足がもつれ、よろけた拍子に一人の兵士が耳元で囁いた。


「アイツは男にヤラレルのさ」

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