5
「あれは実験用に捕まえた男が持っていた物だ」
「なん…で…」
壊れたロケットの上にやっと手が乗った頃、もう写真は流れて無い。
オンブル伯爵は軽い冗談だと言った。
アスールの一喜一憂する顔が面白かったのだと。
そして、写真の女性が母親だと言う嘘を明かすのをすっかり忘れていた。と笑った。
オンブル伯爵にとって、アスールの『唯一の希望』は忘れるくらい軽い嘘だった。
ロケットを握るアスールの手が、わなわなと震える。
「この…」
上半身を起こしたアスールの体を、紅い液体が取り囲む。
怒りの炎の様に見えたそれは、アスールの水魔法で操られていた。
「何だ、動けるじゃないか」
軽い調子でオンブル伯爵が言う。
アスールが本気で向かえば、自分は死ぬと言うのに。
しかし、アスールはアスールで攻撃できるチャンスに躊躇していた。
握りしめた拳が、彼の葛藤を物語る。
それを一笑したオンブル伯爵が、側付に顎で指示をする。
その合図で、アスールの後ろに立っていた側付の男が彼の首に首輪の様な物を着けた。
錠が掛けられた時、アスールの周りに立ち上っていた水が全て力を失い落下する。
「な…」
アスールが首輪を持つが、錠が掛けられたそれは外れない。
それどころか魔法すらも発動できない様子だった。
「何をしたの…」
片手で自信を支えながら、首輪を外そうとしているアスールを見て、セピアがオンブル伯爵に問うた。
「なんの為に魔法使いを連れ去っていると思うのだ」
スッとオンブル伯爵は指を差す。
「アレの魔法を相殺する物を作る為に決まっているじゃないか」
プリシカ王国の聖人さえも押さえ込む魔法道具。
それを開発する為で、魔法使いを作る為ではないとオンブル伯爵は言った。
「生活魔法?そんな物に興味はない。我が国は特化した攻撃魔法だけあれば十分だ…それに…」
オンブル伯爵は奴隷商が立ち並ぶ街を見回す。
「使える者は一握りで良い」
庶民に必要な物ではない。そう言い切った。
その声が聞こえたのか、店のドアからのぞき見していた者達が顔を引っ込める。
二人を助ける者は誰一人としていない。
アスールは魔法が使えなくなった事で、怪我の血を止める事が出来ず、嫌な咳をしては血を吐いた。
見る見るうちに彼の顔から、血の気が引いていく。
「アスールさんを…アスールさんを助けて」
セピアが倒れ込むアスールの体を抱きかかえた。
彼女は治癒魔法が使えない。
「そうだな。コイツの血は使えるし…」
オンブル伯爵が側付に手を向けた。
予想通りの動きの様に、側付の男が懐から小さな輪を出し、伯爵の掌に置く。
「君がこれを付けるなら。それの代わりに」
オンブル伯爵はセピアの腕輪をスッと撫でた。
「どうせまだ、何か隠し持っているのだろう?」
「…」
「人間にいう事を聞かせるのは簡単なのだ。殴るか犯すかその両方でどんな者でもいつかは心が折れる。…アスールを見てみろ。私よりも強く魔力が有り、あの高名なプリシカ王国の聖人だ」
血を吐き続けているアスールは、側付が脇を捕まえ、攻撃も逃亡も出来ない状態だった。
「だが、あのざまだ。私に攻撃魔法の一つも放てない。…さぁ。どうする?このままアイツが死ぬのを待つか?他のと同様ヤラレたいか?アイツの母親の様に。私としては…君にそんな事をしたくないが…」
丁度良い格好をしているな。と、オンブル伯爵の目が怪しく光る。
セピアの背筋がピリッとヒリ付いた。
セピアはようやく自分の恰好があられもないと思い出し、ローブの残骸を引き寄せ胸を隠した。
そして、オンブル伯爵の手を腕輪から振り払い、左手でそれを外し地面に置いた。
「これで…アスールさんを助けてくれるのね?」
腕輪の代わりに伯爵の持つ小さな輪を腕に着けた。
「あぁ。良いだろう」
アスールとセピアを繋いでいた手枷と鎖が外される。
側付の男が金色の水が入った小瓶を出すと、それをアスールに飲ませた。
「これでアイツは死なない。…立て」
オンブル伯爵に誘導され、セピアは馬車に乗る。
意識のないアスールも運び込まれ、側面に在る寝台が倒されると、そこに横たわらせられた。
「座れ」
アスールの横の席へ、セピアは言われた通りに座る。
そして、オンブル伯爵が乗り込むと、側付の男が重厚な装飾で縁取られた扉を閉めた。




