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ジリっと足音がして、誰かが近付く気配がした。
街の奴隷商人達は、周りを囲んでいた者達を殺したセピアが、安全なのか危険なのか判断が付かず、遠巻きに見ている。
命令が無いと動けない奴隷達が、自主的に近付いてきた訳も無い。
アスールの側に膝を付き、呆然自失のセピアの視界に、茶色の革靴が入って来る。
紅い水面が反射し、キラキラとしたそれは、手入れの入り具合から貴族の靴だった。
とても良い革を使っている。
聞き覚えの無い声が、周りの者に何か指示を飛ばしていた。
馬の蹄の音がして止まる。
「流石。邪神に愛された娘だ」
その声はセピアの耳に低く響いた。
「しかし…こう見ると普通の娘だな」
男はグイっとセピアの顎を掴むと、自分の方へ向けた。
黒い目と黒い目が合った。
「本当にこの娘が…?」
疑わしそうに眉間に皺を寄せる。
「魔力は…強そうだが…」
男はそう言って顔をじっくりと見た後、首筋やむき出しになった胸、肩から腕へ視線を這わせ、辛うじて布が引っかかる腰、そして破れた裾から見える足へと目を動かし、観察した。
「閣下」
側付の男が横に倒れているアスールの息を確かめ、声をかけた。
その声に男はセピアの顎から手を離し、アスールの肩を革靴の踵で蹴り動かした。
力なく仰向けにされたアスールの黒髪が、血の川に揺れ、腕がその水面を打った。
跳ね返った雫が彼の服に染み込むが、それはすぐに溶け込むと黒いローブに濡れた跡を残す。
「ふんっ」
不機嫌に男は鼻を鳴らした。
片方は色変え水で黒髪になり、片方は生粋の黒髪。
二人は似ていた。
違うのは男が漆黒の目の色をしている事だけ。
彼はアスールの父、オンブル伯爵だった。
「おい」
気絶しているアスールに向かって、乱暴に声をかける。
反応が無いとつま先で脇腹を蹴った。
セピアに肋骨を折られているアスールは、苦痛に呻く。
それでも、オンブル伯爵は目を開けるまで蹴り続けた。
傷付いた肺から出る血を止める力が弱まっているアスールは、血を吐いた。
血の川に落ちるアスールの血は、見分けが付かなくなる。
高等魔法が使えるそれも、混じれば何にも使えない。
「ちっ」
オンブル伯爵は舌打ちをする。
そして黒いローブの濡れていない所へ、靴を擦り付けた。
彼は『血が勿体ない』と舌打ちしたのでは無かった。
ただ、革靴に跳ねた血を疎い、舌打ちしたのだった。
「ち…父上…」
「お前に父と呼ばれたくないな」
オンブル伯爵が冷たい目で、アスールを見下ろす。
セピアはオンブル伯約の視線が、親のする目とは思えなかった。
「愚かで役立たずの馬鹿が」
そう言ってもう一度アスールを蹴り上げる。
さっきよりも幾分強く蹴られたアスールが、鈍い動きで身を歪めた。
「止めて!」
セピアは声を上げた。
急激な力の使用で、疲弊感に体が包まれていた最中、やっとの事で声を絞り出した。
「呆けていると思えば…」
オンブル伯爵は薄ら笑いでセピアを見た。
身を歪めたアスールから、ネックレスが落ちてオンブル伯爵の革靴に当たった。
「ん?…何だこれは」
オンブル伯爵の視線が、セピアからネックレスへ移る。
彼はそれが何だか思い出した様だ。
「まだこんな物を後生大事に持って居たのか」
右口角を上げ、馬鹿にした笑いを浮かべると、オンブル伯爵はロケット部分を思い切り踏んだ。
バキンっと硬い物の壊れる音がして、中の写真が微かに見えた。
「や…止めてください…父…う…え」
ヒューヒューと空気の漏れ出るような音と共に、途切れ途切れの声が懇願した。
アスールの目に涙が溜まり、零れ落ちる。
震える手で、ネックレスを取ろうと力を振り絞るが、破片がゆっくりと血の川を流れた。
中の写真も、血に赤く染まる。
「お前はまだこれが母親と信じているのか?」
愚かな奴だ。と、馬鹿にする。
アスールの指先がロケットに触れた瞬間、写真は欠片達と共に流れて行った。
スワレ様の笑顔が遠のいて行くのを、セピアは何とも言えない思いで見ていた。
「あれは母親では無い」
「ですが…」
「冗談を真に受けるとはな」
くっくっくと、押し殺す事も無い笑い声をオンブル伯爵は出し、さも嬉しそうな顔をした。




