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聖女に愛された侯爵令嬢は愛を貫く決意をする  作者: 樋口 涼
ウルネス

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4

ジリっと足音がして、誰かが近付く気配がした。

街の奴隷商人達は、周りを囲んでいた者達を殺したセピアが、安全なのか危険なのか判断が付かず、遠巻きに見ている。

命令が無いと動けない奴隷達が、自主的に近付いてきた訳も無い。


アスールの側に膝を付き、呆然自失のセピアの視界に、茶色の革靴が入って来る。

紅い水面が反射し、キラキラとしたそれは、手入れの入り具合から貴族の靴だった。

とても良い革を使っている。


聞き覚えの無い声が、周りの者に何か指示を飛ばしていた。

馬の蹄の音がして止まる。


「流石。邪神に愛された娘だ」


その声はセピアの耳に低く響いた。


「しかし…こう見ると普通の娘だな」


男はグイっとセピアの顎を掴むと、自分の方へ向けた。

黒い目と黒い目が合った。


「本当にこの娘が…?」


疑わしそうに眉間に皺を寄せる。


「魔力は…強そうだが…」


男はそう言って顔をじっくりと見た後、首筋やむき出しになった胸、肩から腕へ視線を這わせ、辛うじて布が引っかかる腰、そして破れた裾から見える足へと目を動かし、観察した。


「閣下」


側付の男が横に倒れているアスールの息を確かめ、声をかけた。

その声に男はセピアの顎から手を離し、アスールの肩を革靴の踵で蹴り動かした。


力なく仰向けにされたアスールの黒髪が、血の川に揺れ、腕がその水面を打った。

跳ね返った雫が彼の服に染み込むが、それはすぐに溶け込むと黒いローブに濡れた跡を残す。


「ふんっ」


不機嫌に男は鼻を鳴らした。

片方は色変え水で黒髪になり、片方は生粋の黒髪。

二人は似ていた。

違うのは男が漆黒の目の色をしている事だけ。

彼はアスールの父、オンブル伯爵だった。


「おい」


気絶しているアスールに向かって、乱暴に声をかける。

反応が無いとつま先で脇腹を蹴った。


セピアに肋骨を折られているアスールは、苦痛に呻く。

それでも、オンブル伯爵は目を開けるまで蹴り続けた。


傷付いた肺から出る血を止める力が弱まっているアスールは、血を吐いた。

血の川に落ちるアスールの血は、見分けが付かなくなる。

高等魔法が使えるそれも、混じれば何にも使えない。


「ちっ」


オンブル伯爵は舌打ちをする。

そして黒いローブの濡れていない所へ、靴を擦り付けた。


彼は『血が勿体ない』と舌打ちしたのでは無かった。

ただ、革靴に跳ねた血を疎い、舌打ちしたのだった。


「ち…父上…」

「お前に父と呼ばれたくないな」


オンブル伯爵が冷たい目で、アスールを見下ろす。

セピアはオンブル伯約の視線が、親のする目とは思えなかった。


「愚かで役立たずの馬鹿が」


そう言ってもう一度アスールを蹴り上げる。

さっきよりも幾分強く蹴られたアスールが、鈍い動きで身を歪めた。


「止めて!」


セピアは声を上げた。

急激な力の使用で、疲弊感に体が包まれていた最中、やっとの事で声を絞り出した。


「呆けていると思えば…」


オンブル伯爵は薄ら笑いでセピアを見た。

身を歪めたアスールから、ネックレスが落ちてオンブル伯爵の革靴に当たった。


「ん?…何だこれは」


オンブル伯爵の視線が、セピアからネックレスへ移る。

彼はそれが何だか思い出した様だ。


「まだこんな物を後生大事に持って居たのか」


右口角を上げ、馬鹿にした笑いを浮かべると、オンブル伯爵はロケット部分を思い切り踏んだ。

バキンっと硬い物の壊れる音がして、中の写真が微かに見えた。


「や…止めてください…父…う…え」


ヒューヒューと空気の漏れ出るような音と共に、途切れ途切れの声が懇願した。

アスールの目に涙が溜まり、零れ落ちる。


震える手で、ネックレスを取ろうと力を振り絞るが、破片がゆっくりと血の川を流れた。

中の写真も、血に赤く染まる。


「お前はまだこれが母親と信じているのか?」


愚かな奴だ。と、馬鹿にする。

アスールの指先がロケットに触れた瞬間、写真は欠片達と共に流れて行った。

スワレ様の笑顔が遠のいて行くのを、セピアは何とも言えない思いで見ていた。


「あれは母親では無い」

「ですが…」

「冗談を真に受けるとはな」


くっくっくと、押し殺す事も無い笑い声をオンブル伯爵は出し、さも嬉しそうな顔をした。

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