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嘲りの含んだ声が、セピアの脳に辿り着く前に、兵士はすっと自分とセピアの体勢を立て直し、さっさと歩け。とセピアの踵を蹴った。
(耳元で…どくどくと…脈打つ音が…うるさい…)
胸元で握りしめているぼろ衣を、更に握りしめた。
(どういう…事よ…)
『アイツは男にヤラレル』
『殴るか犯すか』
『その両方で』
兵士が放った言葉と伯爵が言った言葉。
『どんな者でもいつかは心が折れる』
(あぁ…)
『無理だ。無理なんだよ…セピア嬢…』
悲し気なアスールの声が、セピアの確信を肯定する。
『魔法ではない枷』
(それが…こういう事の…積み重ね…)
自分の息子も奴隷達と同じ扱いにする目の前の男の後ろ姿を、セピアは憎々しく睨んだ。
さっきの気持ち悪い熱さとは違う熱さが、胸に広がっていく。
こんな思いをするのは初めてだった。
「そうやって…反抗できない様に…枷を嵌めるのね」
ぼそっと独り言を呟く。
左右に居る兵士にすら届かない呪言。
「許さない…」
オンブル伯爵を取り巻く呪怨の一部に、セピアも引きずり込まれる。
真っ黒な感情が肌の表面を撫で、髪の一本一本、つま先や指の先にまで行き渡る。
小さくピキンと音がした。
オンブル伯爵に渡された小さな輪っかに、微かなヒビ割れが生じていた。
そのヒビを見た瞬間、セピアは我に返った。
(今暴れても…不利だわ)
兵士が挟み、伯爵の側近も居る状況で、暴れても制御された今では街の時の様に『全てを殺す事が出来ない』かも知れない。
(時機を見ましょう…アスールさんも…助けられる…時機を)
大人しく階段を上がり、一つの扉の前に着いた。
オンブル伯爵と側付の男が中に入る。
「お前達は下がって良い」
セピアを中に入れると、伯爵が兵士達にそう声をかけた。
その後ろに居る使用人達も、その声に頷きばらばらと持ち場へ戻って行く。
セピアの背後で、扉が閉まり、部屋の中には、セピアとオンブル伯爵そして彼の側付の男、その三人だけが残っていた。
部屋は壁一面に色々な書が並び、見た事も無い字が背表紙を飾っている。
セピアも小説以外に、歴史書くらいは読んでいたが、それでも見た事の無い文字と装丁をしていた。
セピアは少しの間本に気を取られていたが、側付の男が手を差し出した。
何を求められているのか、分からないセピアだったが、男は徐に「それをこちらに」と言った。
「それって…」
男が指しているのは体を隠しているぼろ衣。
黒いローブの成れの果てだった。
「無理よ」
思わず大事な物を取られまいとする子供の様に、セピアは身を反らした。
「渡せ」
いつの間にか座り心地の良さげなソファに腰を掛けたオンブル伯爵が、セピアに命令する。
煙草ケースを取り出すと、火を点け大きく吸った。
「裸になれ」
セピアの抱きしめるローブを奪おうとする男と、それを必死で死守しようとするセピアの攻防をしり目に、煙草の煙をゆったりと吐き、緊張感のない面持ちでオンブル伯爵はもう一度明確に命令をした。
「襲う気はない」
「それでも…!」
「邪神の口付けの跡が、君の体の何処かに有るはずだ」
「…はい?」
「邪神が封印される時に、残した跡だ」
「邪神の…口付け?」
「そうだ。邪神の力が使える者の印だ」
煙草を咥えたまま、オンブル伯爵は本棚の中から一冊取り出し、ページを開けてセピアの目の前に置いた。
「ノワール国の初代王にして唯一の女王。タドミール・ノワールの後継者の証」
指さした先に載っている写真は、黒髪黒目の少女が写っていた。
丸顔の…セピアや勇に似ているその少女は、冷たい目を真っ直ぐにセピアに向けている。
「この子…が?」
「あぁ」
「…待って…この下に書いてある名前は…?」
「本当の名前だ。黒川瑠理香。彼女は元勇者だ」
「元勇者…?いいえ、元勇者の血筋はプリシカ王国の教皇様に流れているわ」
「そうだな。君の国では知られていないが、勇者は男女二人だった」
「教皇様は…男の勇者の血筋…」
「一緒に召喚された女の勇者はこの地に残り、この国を作った」
オンブル伯爵は次のページを捲った。
「しかし、斬首刑に処され王冠は息子の手に渡る」
処刑台の上だろうか、先程の少女が大人になった顔で写っていた。
少女の体は少し離れた所で後ろ手に縛られ、彼女よりも一回り大きな体をした男に組み敷かれている。
頭だけが、地面に転がっていた。
写真は惨い事に、切断された首から流れる血も、血の気が引いた彼女の肩や太ももさえも鮮やかに紅く、または白く映し出している。
憎悪を纏い見開いた漆黒の目も。
「彼女が受けた邪神の口付けの跡が…君の体にもあるはずだ」




