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聖女に愛された侯爵令嬢は愛を貫く決意をする  作者: 樋口 涼
ウルネス

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1

賑やかさの欠片も無い暗い路地は、あの淀んだ空気の漂う店の方が、何倍もマシだった事をセピアに突き付けた。


レンガの溝を伝い流れる水は、異臭を放ちながら、にちゃっとした粘性を持ち、靴の底をべた付かせ押しを取る。

屋根が折り重なり、夕日さえも通らない道には、二つか三つの灯りがぽつぽつと並んでいる。

闇に紛れた壁には、見た事も無い脚の数をした虫が、上へ下へと這っていた。


柔らかく小さい物が、不意につま先に当たる。

むにゅっとした感触だけが、セピアに伝わるが、暗くて何を踏んだのか分からない。

軽いモノはカランと音を立てて、転がって遠ざかる。


時折、ネズミの泣き声の様な音がして、それが走り去る気配がした。

少ない灯りの下で見えるモノは、アスールの上半身だけ。


それも、黒いローブを着た後姿。

フードの下から垂れ落ちた髪の毛は、いつもの青ではない。

色変え水で黒く変わった長い毛束が揺れるのを、セピアは『前に居るのはアスール』と信じているだけで、本当は違う人間に変わっているのではないか。と不安も襲う。


(闇を歩くって…こういう事なのね…)


自分とアスールを繋ぐ鎖が、灯りに当たって見える時だけ、ホッとする様になっていった。


(繋がっている)


店の中で、目の前で繋がれた鎖。

それはこの暗黒の中でも変わらない、そして確かな物だった。


(だから。目の前に居るのはアスールさん…)


かさかさとした音が、横で何かが這っているのを気付かせる。

その度に自分の肩がビクつくのを、セピアは止められない。


(怖い)


セピアはそっと、ローブの袖を鼻と口に押し当てた。

ローブの異臭よりも、歩くこの場所の腐敗臭が酷い。


脚に当たる何かも、大きな物に当たる時が増えて来た。

踏めるほどの大きさではないそれは、つま先に当たると鈍い音を立てた。

しかし、動く事も無い。


次第にセピアは、道に充満している匂いの所為で、ローブが無臭の様に感じ始めていた。

目も暗闇に慣れた所為か、薄明かりの下でなら自分が歩いている地面が見える様にもなった。


見えない方が良かった。と、セピアは思う。

辺りに落ちている物が何なのか、這っている虫のグロテスクな形状が目に入る。


軽く白いモノは人間の骨だった。

大きく動かない物は、人間の胴体だった。

小さくぶにゅっとしたモノは、食い散らかされた後の肉だった。


何本も足を横に並べた虫が、それの上を這いずり食っている。

何かの幼虫が、肉の間から溢れ落ちていた。


それらを、セピアは踏んで歩いて来た。


道の腐敗臭がより一層酷くなる所には、一見大きな袋の様な物が置かれている。

所々黒く変色し、カビみたいな物が生えた肉が汁を流し、袋の穴から漏れ出ていた。


中から半分液状化したそれを、ネズミ達は必死で出そうと引っ張っている。

その近くには動かないネズミも居た。

横向きになったまま、ぴくぴくと細い指を動かしているのはもうすぐ死ぬのだろう。


仲間の死に目もくれず、袋を喰い破る。

動く肉の塊である二人を標的にしない訳では無かったが、その都度アスールはネズミを水で殺した。

その死体にまた、何かが絡み付き…群れる。


アスールの前方に光が差した。

人達のざわめきが、セピアの耳に届くようになると、肩から力が抜けた。


(あぁ…明るい)


プリシカ王国よりもだいぶ暗い街中の灯りでさえ、今のセピアには救いに感じた。

路地裏よりも明るい道に出たアスールは、フードを引っ張り目深に被る。


「セピア、下を向いてろ」


安堵するセピアのフードを、引っ張り下を向かせると、路地裏の暗闇から一段登り店の立ち並ぶ道に出た。

強制的に下を向いたセピアは、自分の足元が気持ち悪い液体で濡れ、汚れているのが目に入った。

しかし、浄化魔法をかけては貰えない。


アスールが上がった段差を利用して、靴に付いた何かの塊をこそげ落とす。

くんっと鎖が引っ張られた。


「早くしろ」


頷き一段登ると、そこは新たな別世界が広がっていた。

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