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「父上が…」
いつもは自分に厳しい父親が不意にくれた、たった一つのプレゼント。
それがこのロケットだった。
その日珍しく上機嫌のアスールの父親、オンブル伯爵が折檻後、床に這いつくばるアスールに向け「いいモノをやろう」と投げて寄越した。
「その時、母親だと」
それを長年、大事にアスールは肌身離さず持っている。
地獄を生き抜くための、たった一つのお守りとして、母との繋がりを唯一の光の様に思って来た。
「それから…プリシカ王国に母が居ると知って、半ば捨てられる様に送り込まれても…君を探すついでにでも会いたかった…なのに、母は聖女を産んで死んでいた。しかも、どこの誰とも分からない男の子供を…」
アスールは苦々しい表情を浮かべ、聖女とその父親を憎悪する。
セピアは「ありえない」と言えなかった。
否定すれば、アスールが傷付く事が分かっていた。
逆に信じて貰らえないかも知れない事も。
(でもどうして、アスールさんのお父さんはそんな事を言ったのだろう…)
それに。とセピアはロケットの中を見る。
その中で微笑む女性は肖像画ではなく、生きている瞬間そのものを写し取った様な異質な絵だった。
それも、普段公に配布される様な微笑む顔ではない。
満面の笑みとはこういう表情なのだと言える、まさに幸せの真っただ中の…顔。
(これが、もしかして勇さんが言っていた…写真?)
「セピア嬢は写真を見るの…初めてか」
アスールの言葉にセピアは頷く。
(勇さんの世界に有って、プリシカ王国には無いモノだわ。…ノワールには…あるのね)
中の写真以外、本当にシンプルな金のロケット。
誰の名もメッセージも彫られていない。
持ち主の名さえも、ない。
プリシカ王国ではプレゼントの際には、必ず持ち主となる人の名かメッセージが彫られている。
思いを込め、伝えたい言葉を込め、送る。
(そんな風習がノワールには無いのかしら…?)
段々と辺りが静かに、暗くなっていく。
太陽が沈んでしまうと、気温も下がり海が近い所為か、空気がヒンヤリとしてくる。
水の結界が有ろうと、温度が下がれば体温も下がる。
水のベッドも冷たい。
セピアの心も暗く重くなっていく。
いつまでこうして居るのか。
本当にもう帰れないのだろうか。
そんな事が頭を駆け巡る。
ベッドから降りたセピアの足が、砂に埋まる。
一歩また一歩と歩くたびに足跡が出来て、それを優しく風が消そうとする。
(休暇で…皆となら…楽しかったかも)
ロホの笑顔や家族の笑顔を思い出す。
聖女の腕の暖かさが恋しい。
オールの困った顔が、愛おしい。
(なんだか…遠い昔の事の様…)
海のうねりが、黒い闇のうねりに変わり、セピアは結界から一歩出ると忽ち絡め捕られ、深い闇に落ちていく気がした。
(こんな…このままじゃダメだわ)
セピアは思い切り両手で自分の頬を叩いた。
パンッと、小気味良い音が響く。
「よし!」とセピアは、目を丸くしているアスールに向き直る。
「火を起こして…結果内なら良いでしょ?まずはお腹を満たしましょう!」
セピアは種火から周りに落ちている枯れ木を集め、立派な焚火に仕立て上げた。
その間、アスールはセピアに言われた通り、もう一度魚を数匹捕りに行き、戻って来る。
「一度やって見たかったのよ」
そう言うと、アスールが処理したに木を差した。
枯れ木は串の代わりに魚を貫き、焚火の周りに刺さって行く。
「塩ある?」
「作れる…」
「じゃ、お願い」
呆気に取られたアスールに、セピアはどんどん指示を出していく。
「オール様や聖女様が見たら…驚くわね」
そう言って、焼けた魚を丸かじりにする。
バーガーを頬張るセピアを知るアスールでも、マホンの様に魚を齧るセピアは見た事がない。
「マホンさんがこうやって食べていたの、知っているわ」
「…君まで…真似しなくても」
「さっきも言ったでしょ。やりたかったの!」
熱さにほくほくと成りながら、セピアは美味しそうに食べていく。
「それに、魚しかないのよ?切り身だけじゃ足りないわ」
女の子のお腹は、ご飯とケーキとクッキーと紅茶で満たされるもの。
「朝も食べていない。お茶の時間も過ぎた…私の一日のお腹は満たされない!」
その後、アスールが捕まえた大き目の魚を二匹食べた所で、満足げに笑ったセピアを見て、アスールは腹を抱えて笑った。
「やっぱ、元気な君は君らしい」




