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「嘘よ…」
「いいえ、貴女の…お前の本当の母親が、プリシカ国なんかに逃亡しなければ…」
アーテルが握り拳をテーブルに振り下ろした。
「こんな…邪魔くさい事にならなかったんだ」
机が割れて、机の脚が音を立てて折れた。
空中に残ったアーテルの拳が、怒りで震えている。
「あの女の所為で俺は…子爵として紛れ込んで、あんな教皇の面倒まで見させられた!」
屈辱の日々を過ごして来たと、苦々しい思いを吐露し、テーブルの残骸を蹴り散らかすアーテルは、普段からは想像の付かないくらい、髪を乱し紅い顔をしていた。
(これが…ブラッド卿…?)
赤黒い髪と信者に対しては厳しい態度が、ブラッド…血を連想させ、そうあだ名された。
目の前の卿はまさしく真っ赤な血の様な顔をしている。
普段とは違い、醜悪さを隠そうともしていない。
教皇の腹心として側に佇む彼は、落ち着いた紳士だったのに、その影は微塵もない。
「伯父上…」
アスールの声に、アーテルがじろっと視線を向ける。
「危険ですのでお止め下さい」
何かを察したかの様に、アーテルは乱れた髪を撫でつけ、首を鳴らした後、襟を正した。
「そうだな…」
アーテルは、セピアへ視線を向けた。
怯えた顔をみて、嬉しそうな顔をする彼に、背筋が冷える。
(怖い…気持ち悪い)
教皇の側に居る時のアーテルには抱かなかった思いが、セピアの身体を固くする。
ニヤニヤと笑うアーテルは、見知らぬ男の様だった。
「まあ、少しの間ここで待って居ろ。迎えを寄越す手筈はしてある」
そう言うと、アスールの頭に触れ、美しい水色の髪を一掴み握りしめた。
「逃がすなよ」
顔を歪めるアスールに、自分の顔を近付け凄むとまた殴りつけた。
(どうして…されるがままなの、アスールさん…)
グッとセピアは自分の拳を握りしめ、魔法を打とうとした。
(上手く…行くかは分からないけど…)
皆が魔法を放つ時の様に、見よう見まねで手を前に差し出すとアーテルの体がビクつくのが分かった。
魔法を放とうとするセピアに、彼は怯えていた。
(聖人であるアスールさんには強気なのに…)
「止めろ…セピア嬢…止めてくれ」
アスールが制する。
「どうして?止めるの?」
アスールの左頬が赤く、唇が切れたのか、血が滲んでいるのが見て取れた。
その瞬間、セピアは自分の力でアスールの肋骨を折った事を思い出す。
「加減…出来ねえだろ」
その言葉に反論できずにいると、アーテルは二人をその場に残し、出て行った。
出て行く際、悪態を吐くのも忘れずに、舌打ちの音を残して去る姿は、威勢を張った小者の様だった。
「…あんな…人だったなんて…」
「まぁ、ノワールの男は外面…特に男への愛想は良いからな。それを女性にまで保っていた伯父は…相当ストレスが溜まってるだろう」
壊れた机を端に寄せ、服の汚れを叩く。
「頬…大丈夫…?後…その…肋骨…も」
「あぁ、大丈夫。治りはしないけど、止血は出来るから」
血も水の魔法でコントロールできるのだと、片眉をあげ余裕を見せるアスール。
(でも…痛いはずなのに…)
セピアが消沈していると、ベッドに座ったアスールが腕の中へ引き寄せた。
「アスールさん!?」
「何だよ。またキスでもして、今度こそ返してくれんの?」
「嫌よ!」
「したくてした訳じゃない」と、顎をくいっと持つアスールの手を叩き、離れようとしてセピアは止まった。
二人は少し見つめ合う。
そこには恋愛的な感情は流れていない。
探る様な視線と、それを受け止める視線。
「返すって何」
「…言葉の通りさ」
「私が何か盗ったの?」
(王様も何か…私に他にもある様な言い方をしていたわ…)
「何か…私の魔法?」
「そうでもあるし…違うモノでもある」
「何なの…」
ドクドクと胸が鳴る。
自分がノワールの人間だと言われた時と、同じくらいに。
「俺の魔法…食っただろ…自覚は無いだろうがな」
「え?」
「勇の体を復元しようとしたあの時、君が使ったのは俺の水魔法だ」




