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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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159.赤ん坊のご挨拶(前)

 おこもりが明けた晩の翌日、お昼。

 九摩留が屋敷に帰ってきたのは太陽がてっぺんにさしかかろうかという頃だった。


「あーうまかった……。ごっそさん」

「はい、おそまつさまでした」


 湯呑を炉縁にトンと置いて、九摩留はまるで湯上りのようにうっとりした顔でつぶやく。

 その様子にわたしもようやくホッとした。


 出迎えたときこそ殺伐とした雰囲気にギラギラと光る目、そしてなぜか全身泥だらけという格好をしていたけど、今ではすっかり元の九摩留に戻っている。


 日向水をたっぷり使った温かい行水、そして彼のためにとっておいた昨晩のご馳走で身も心もほぐれたのだろう。

 男は満足そうな笑みを浮かべるとその場にごろりと寝そべった。


「コラッ。食べてすぐ横になると牛になるんだからね」

「なれるもんならなってみろってんだ」

「ほう?」


 にやにやしている九摩留の正面、横座でお茶をすすっていた姫様がにっこりと笑う。


「霊狐から耕牛になろうとは見上げたものよ。かくも農に身を捧げようとはあっぱれである。では――」

「クソ! 飯のあとくらいちったぁ休ませろってんだ」


 柏手を打つべく両手を広げた少女に対し、男が慌てて身を起こす。

 でもすぐに後ろ手をついてだらっとした姿勢で天井を見上げた。


「お腹がちょっと落ち着いたら昼寝してもいいわよ。今日はもう仕事はいいから、ゆっくり休んでなさい」

「お、いいのか? やりぃ」


 その眠そうな声にはあきらかに疲れがにじんでいた。

 泥だらけの姿を思い返してちょっと気の毒に感じてしまう。


「追試ってそんなに大変だったの?」

「んー……まぁな」

「追試ってどんなことをしたんですか?」


 わたしの膝の上にやってきた姫様に尋ねると、彼女はこちらを見上げてカカッと笑った。


「なぁに、そうたいしたものではない。運動部の鍛錬程度よ」

「危ないことはしてないですよね?」


 一抹の不安を覚えて尋ねるものの、姫様はにっこり笑うだけだった。

 どんなことか聞いても具体的に教えてくれない場合は聞いてくれるなということだ。

 一方の九摩留は不機嫌そうにむすっとしている。


「九摩留?」

「お前が心配するようなことはねえよ」

「……ならいいけど。あっそうだ、お昼寝するなら納戸わたしのへやでお願いね。今日はさっちゃんたちが昼過ぎに来る予定だから」


 同級生の和ちゃんとさっちゃん――もとい田母山神社の若先生夫妻には先頃無事に赤ちゃんが生まれた。

 今日はその赤ちゃんを連れて二人が屋敷にやってくる。


 正式なお宮参りは自分の家である神社で行ったはずだけど、この里山一帯の鎮守はご祭神の大殿様ではなく姫様が担っている。

 姫様は田母山神社が創建されるずっと前からいらっしゃるこの地の神様だから、村で赤ちゃんが生まれるとみんな屋敷にも挨拶をしにやってくるのだ。


「納戸……」


 九摩留がつぶやき、わずかに顔を伏せる。


「なぁ。あかりの布団で寝てもいいか?」

「それは……敷いて寝るってこと?」


 こちらの質問に男がうなずく。

 黄褐色の髪の間からじっとりした視線を投げられて、なぜかぶるっと身震いが出た。


 姫様が無言でこちらを見上げてくる。

 赤い眼はやめておけと言っているようだった。

 わたしもなんとなく抵抗を感じている。


「俺さ、実はすげー疲れてんだ。だから、ねーちゃんの布団使いたい。頼むよ」


 ダメと言うべく口を開くと素早くお願いされてしまう。

 ねーちゃん。

 前までおねーちゃんだったのが、より砕けた言い方になっている。

 これは……わたしを本当にお姉ちゃんと思えるようになってきた、ということかな?


「まぁ……かわいい弟のためだもんね。使ってもいいわよ」

「ぃよっし!」

「あかりや、栗の花が咲き乱れるぞ。いいのかえ?」

「どういうことですか?」

「千摺り」

「はぁ……」


 知らない単語に首をかしげると少女はわざとらしいため息をついた。


「九摩留よ、お前は奥座敷わしのへやで寝るように。座布団を枕にすることは許可しよう」

「んだよババア、邪魔すんな。あかりがいいって言ったんだから悪いのはあかりだろ。俺はあかりの布団で寝るからな」

「そういう悪い口を直せない弟に貸すお布団はありません」


 よくわからないけど今の言葉が決定打だった。

 どうやら九摩留はなにか悪だくみをしている。そして姫様に対してまだひどい呼び方をしている。

 そんな子に貸せるものはなにひとつないのだ。


「ねーちゃぁあん、そんなこと言うなよぉ。俺ほんとのほんとにすげー疲れてんだって。なぁ~いいだろぉ~、んなぁあああ~」

「ダメ。絶対ダメ。ダメダメダメ」


 ものすごい猫なで声に確信する。

 とりあえず姫様が言ってたことはあとで辞書で調べてみよう。


 そのときだった。

 それこそ猫のような声がかすかに耳に入る。

 思わず姫様を見ると、彼女はこくりとうなずいた。若先生夫妻が思いのほか早く来たらしい。

 柱時計に目をやると針は二時前をさしていた。


「九摩留、さっさと食器を片付けよ。客人に見られたらあかりが恥をかくであろ」

「ババアぁぁぁ……」

「わたしは座敷の準備をしてきます。九摩留、洗うのはいいから盥にちゃんとつけておいてね」

「あかりぃぃぃ……」


 恨めしそうな声は無視して割烹着から黒の羽織りに着替え、縁側で干していた座布団を引き上げに向かう。

 二人の赤ちゃんに会うのは今日がはじめてで、ずっと前からこの日を楽しみにしていたのだ。

 その泣き声が大きくなるにつれてこちらのワクワクも大きくなっていく。


 座敷を整えて庭におりると、ちょうど一組の夫婦が門扉をくぐるところだった。

 ふたりとも着物に羽織姿。そして赤ちゃんも着物らしい。

 お母さんの腕に抱かれている赤ちゃんはますます元気に泣き叫んでいた。


「よしよしいい子いい子。ほーら大丈夫だからね、笑ってわらってー」

「も〜そんなに泣くなよぉ~。お山様が怒るだろ~」


 二人は赤ちゃんをとんとんしながら必死にあやすものの、泣き声はちっとも収まらない。

 我が子を前にして彼らはすっかり弱った様子だった。


「さっちゃん和ちゃん、いらっしゃい!」


 途方に暮れる同級生たちに声をかけると二人が顔をあげる。

 一瞬の驚いた表情はすぐに泣き笑いに変わってしまった。


「あかり~! 久しぶりね、うるさくしちゃってごめんなさい」

「山上頼む! こいつ見ての通り赤ん坊だしうるさいかもしれないけどお山様にはどうか――」

「大丈夫だよ二人とも。姫様はぜーんぜん気にしないからね。大丈夫だいじょうぶ」


 言いながらもそばに寄って、さっちゃんに抱かれた赤ちゃんをのぞきこむ。

 顔をくちゃくちゃにしながら見事な声量を披露する彼もしくは彼女は、突然現れたわたしに少しだけ興味を持ったようだった。

 薄く開いた目がちょっと大きくなって、その泣き声もちょっとだけ落ち着く。


 でも残念ながら泣きやむほどではないと判断したらしい。

 赤ちゃんはすぐに顔をくしゃっと歪ませて大人ものけぞるような雄叫びをあげた。


「あはっ、元気だねぇ!」

「すまん山上! すぐに落ち着かせるから待っててくれ」

「おしめかしら……でもさっき換えたばっかりだし、おっぱいかしら? あなたちょっと交代して」


 さっちゃんはオロオロする和ちゃんに赤ちゃんを渡して羽織を脱ぐ。

 着物の身八ツ口に手をかけたところでパッと顔を上げた。わたしも近づいてくる人物に声をかける。


「九摩留」

「おうおう、うるせぇガキだなオイ」


 にやにや笑う大柄な男に若夫婦の気配が強張った。

 最近は村の人にも馴染んできた彼だけど、二人にはあまり面識がないのだろう。ムキムキの長身かつやや強面の弟が来たことでわずかに緊張感がただよっていた。

 それを機敏に感じ取ったのか赤ちゃんがいっそう声を張りあげる。


「ちゃんとご挨拶して」


 九摩留の作務衣を引っぱって耳打ちすると、彼はうなずきながら片手をあげた。


「よっ!」


 男の背中をぎりっとつねる。


「こんちゃー」

「こんにちは、でしょ!」


 こちらのやり取りにさっちゃんがふふっと笑う。

 和ちゃんも気が緩んだのか、どこかほっとしたように頭を下げた。


「えっと、九摩留……さん。ドウモ、コンニチハ」


 青年のぎこちない挨拶に鷹揚にうなずきつつ、男は赤ちゃんに顔を近づける。

 凄まじい泣き声を気にする様子もなくまじまじと見つめたあと、突然プルルルルルルッ! と甲高い音を発した。


 その場にいる全員がハッと息を飲む。

 赤ちゃんまでもがピタッと泣くのをやめた。


 九摩留は唇を震わせてプルル、プルルルルップル、プルッと不規則に音を出す。

 同時に作務衣のポケットから出したのはでんでん太鼓だった。どうやら座敷に念のため用意していたのを持ってきたらしい。


 そのでんでん太鼓を鳴らしながら、男は赤ちゃんの顔のそばで数字の八を描くようにそれを動かす。

 赤ちゃんがキャハッと笑い声をあげた。

 でんでん太鼓をつかもうと、紅葉のような手のひらを一生懸命天に伸ばす。


「お見事……」


 誰かが言った一言に彼が顔をあげた。

 おもちゃを和ちゃんに渡してどうだと言わんばかりに胸を張ってみせる。


「ありがとう、九摩留」


 驚きつつお礼を言うと、男は二カッと大きく笑った。

 そのまま顔が近寄ってきて、あっと思う間もなく頬ずりされてしまう。


 背中を叩こうとするも拳は空振り。

 九摩留はとん、と軽快な足取りで後ずさるとそのまま屋敷に行ってしまった。

 恐るおそる前を向くと正面の二人がなぜか視線を下げる。


「今のはほら……ふざけただけだから。弟だし」

「そうだな。弟だもんな」

「わかってるわよ、あかり」

「今のは誰にも言わないよね?」

「言うわけねえだろ」

「言わない言わない」


 急に静かになった庭に春のそよ風が通り抜けていった。


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