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巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~  作者: さけおみ肴


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158.悩む世話役(後)

 お酒で唇を湿らせて、それからわたしは口を開いた。


「姫様のおっしゃるように、世の中にはいろんな風習があると思います。そしてそれは、その土地の人にとっては当たり前のことかもしれません。とても当たり前で愛情のある行為かもしれません。だけどそれは……別の土地の人にとっては到底受け入れがたいものであるかもしれませんよね?」


 日本人と外国人では生活や文化が違うように、同じ日本人であっても暮らす場所によって生活や文化が違ってくる。

 それに同じ土地であったとしても、時代が変わればそれに向けられる目も変わる。


 この背中の焼印が悪い意味で施されたわけじゃないとして、この村の人がそれをどう捉えるかはまた別の話なのだ。

 少なくともわたしは――この背中の焼印は異質なものだと思ってしまう。


「では訊くがな。おぬし、泰明の背中に焼印があったらどうするつもりかえ? その想いは冷めるのか?」

「泰明さんはわたしと違って素性がはっきりしていますし、人柄は温厚篤実おんこうとくじつで学業も優秀で、とにかくわたしとは違いすぎる立派なお方です。焼印があったところでせいぜいが玉にかすり傷。その素晴らしさが損なわれることなどありません」

「では拾い子でもあったとしたら?」

「そうであったとしても、今の彼はまごうことなき倉橋本家のご子息です。医師となってその家柄にも恥じない素晴らしいご活躍をされていらっしゃいます」

「つまりおぬしは泰明が出自不明でその身に焼印があったとしても、特に問題はないと申すか?」

「はい」

「カァ――――ッ」


 力強く答えると少女がカラスのような声をあげた。

 眉間をおさえたまま静止し、ややして手をパンと叩く。


「よし、ではひっくり返そう。泰明がおぬしの背のものを見たとして、それであの者もおぬしのように想いが変わらぬとは思えぬか?」

「わたしは泰明さんのように立派な人間とはいえません。先代にはいつも叱られてばかり、学校のテストだってうんと勉強しなきゃいい点数取れませんし、運動なんてずーっと最低評価です。容姿も性格も地味で暗くてパッとしないし。正直なんで泰明さんがわたしなんかを、その……そんなふうに望まれるのかがまったくわかりません」


 わからない。

 本当にわからなすぎる。

 だから怖い。


 お猪口が空になって、姫様のお酌を受ける前に手酌でもう一杯あおる。二合徳利はそれで空になってしまった。

 姫様にもお酌しているとはいえ普段よりずっとペースが早い気がする。


「ですからね、こんなわたしに焼印があるなんてわかったら……ちょっぴりプラスだったものも一気にマイナスに振れるわけですよ。告白なんてしなきゃよかったと思うでしょうし、なんならわたしに騙されたって思うかもしれません」


 へッと笑うと少女が絶句した。

 しばらく目を見開いてこちらを見ていたけど、我に返ったようにゆっくりと首を振る。


「なんと愚かな子であろう……ここまで卑屈に育つとは思わなんだ。いやはやこれはさすがに想定外……」

「どうせわたしは愚かです。愚か者でーす」


 へへへと笑って一升瓶から直接お猪口にお酒を注ぐと縁からドバッとあふれてしまった。

 布巾が見当たらなくて、とりあえず割烹着の裾で拭いておく。

 愚か者じゃなければこんなことはできまい。


 あぁ、完全に酔っている。

 ささくれた気持ちが酔いに包まれて、痛みもなにもなくなっていく。

 ぽかぽかでふわふわで気持ちがいい。

 なんだかいろいろどうでもよくなってきた。


「おぬしは自分のこととなると途端に目が曇るからのう。まるで脱皮前の蛇のようだ」

「蛇っぽいですか? やったぁー姫様と一緒ですねー」


 姫様と同じ蛇になれるならそれもいいかもしれない。

 少女はこちらをじっと見ながらお猪口を置く。足を崩すとやおらその腿をぽんぽんと叩いた。

 それはわたしがおこもり明けの姫様に向かってよくやる仕草。

 ここにおいでの合図だ。


「え?」

「たまには逆もよかろう。なぁに、誰の目もないから遠慮はいらぬぞ」


 いいんですか? と聞く前に身体が動く。

 のそのそと四つん這いで彼女のところに行き、ころりと横になって小さな膝に頭を預けた。


 柔らかな膝枕。

 まだうんと小さかった頃は、お母さんによくこうしてもらったものだ。

 仰向けになるといつもより高い屋根裏と真っ黒にすすけた梁が、そして淡く光るような白い少女が目に映る。


「もっと褒めてやればよかったのう」


 見上げた顔は苦笑していた。

 小さな手がゆっくり頭をなでてくれる。


「泰吉は厳しくせざるをえないし、そもそもが寡黙であるし。マキエも泰吉から甘やかすなと言われておったからのう。その分わしが甘やかしてきたつもりであったが……やはり親の愛情が一番か」


 少女の寂しそうな笑みに罪悪感を覚える。

 親の愛が一番だなんて、そんなことはない。

 それにお父さんお母さんにも愛情がなかったとは思わない。

 厳しくすることは突き放すことじゃないないから。

 捨てるのとは違うから。


「おぬしはとてもいい子だ。それにとてもできた子だ。このわしが保証しよう」


 天井の照明がまぶしくて目を細めていると、彼女は指をパチンと鳴らした。

 途端、あたりが暗闇に包まれる。

 囲炉裏の火が姫様の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。


「倉橋のものはわしの血が流れるがゆえ、他のものとは出来が違う。特に世話役となるものは尚更だ。だからこそ幼くして薬学や陰陽道、家政を極め、若くして農や武芸の極意を会得することができる。他のものがその域に達するのは非常に困難といえよう」


 赤い唇がゆるやかに弧を描いた。


「つまり、そもそもが無理難題なのだ。だが只人のおぬしはここまで必死に喰らいついてきた」


 でも、と出た言葉がそこで途切れる。

 彼女の細い指一本がわたしの唇に当てられていた。 


「もちろんおぬしはこう言うだろう。陰陽道や農、武芸は関与しておらぬと。だがそれを抜きにしても、学業をおろそかにすることなく、諸々であの泰吉の及第点を取ってみせた。それがたゆまぬ努力の結実であるとわしは知っておる。師である泰吉も、それに泰明も。それをよくわかっておる」


 もう一度口を開くと今度は指が二本に増えた。


「おっと、おぬしはこうも言うだろう。喰らいついたのは、そうせざるを得ない状況であったから……寄る辺ない身でこの地にとどまるにはそうするしかなかったからだ、と。まぁ……確かに弱く幼いうちはそうであろうな。誰の庇護も受けずして生き延びることは不可能、逃げるに逃げられない状況といえばそれまでである」


 ほんのり憐れみの眼をした姫様は、そこでふっと微笑んだ。

 

「しかしな、わしは知っておるのだ。おぬしはわしを愛し、泰吉たちを愛し、この村を愛してくれた。その努力は過酷な生い立ちから余儀なくされたものではない。報恩や責務もあれど、愛あればこそここまで頑張ってくれたのだ」


 少女の指が唇から離れる。

 優しい手つきでふたたび頭をなでられた。


「おぬしがいくら否定しようと、おぬしのこれまでの言葉や振る舞いがなによりの証拠だ。ほれどうだ、こんなに素晴らしい子が他におるか? いいやおらぬとも」

「褒めすぎです……」


 なんだか恥ずかしくってつぶやくと、彼女はふるりと首を振る。


「おぬしは器量も性格も地味で暗いと申すがそんなことはない。目鼻立ちは小さくとも整っておるし、その穏やかで優しい性格は顔つきにもあらわれておる。見るものはみなおぬしに親しみを覚え、安らぎを感じるであろう」

「おぁ……」

「暗いというのも違うぞ。おぬしは誤解しておるのだろうが、にぎやかで活発であることが明るい、そうでないものは暗いというわけではない。おぬしは自分には否定的だがそれ以外では前向きであるし、じゅうぶんに明るい子であるといえよう」

「うぅ……」

「痛みを知るものだからこそ痛みを抱えるものにより添い、そして慰めることができる。思慮深く慎重ながら素直で――」

「も、もうその辺で……どうかご容赦を」


 そんなに褒められると恥ずかしいを通り越していたたまれない気持ちになってくる。

 少女はまだ言い足りないというようにむむっと眉をしかめてみせた。でもそれはおふざけなのだとわかる。

 案の定、彼女はすぐに破顔した。

 

「とにかくおぬしはいい子だ。それにとてもできた子だ。これまで言葉が足らなかったことを許しておくれ」


 少女の謝罪にかぶりを振って――ふいに理解した。

 わたしが卑屈でいたら、姫様は自分を責めてしまうのかもしれない。

 その思いを見透かすように彼女が小さくうなずく。


「キミ子にも言われたであろう? 卑屈になるでないと。このところやっと前向きになってきたと思えばなぜか告白されて落ち込む始末……まったくおぬしときたら」

「でも……だって……」

「ほぅれみろ、また始まったぞ」


 姫様がくすくす笑う。

 わたしも思わず笑ってしまった。

 自虐癖はそう簡単には抜けないらしい。


「あかり双六は『振出しに戻る』のコマが多すぎる。もっと難易度を下げよ」

「……はい」

「少しずつでよい。自分のこともおろそかにせず、他のものと同じように扱ってやれ」

「はい」

「祝言もちゃんとあげるのだぞ」

「……………………」

「返事をせぬか返事を」

「姫様、大好きです」

「そうやって誤魔化すでない!」


 ビシッとデコピンを喰らって笑い声が出てしまう。

 少女は半眼になるとわたしの目の前でお猪口を振った。


「ほれ、さっさと酌をせぬか。今宵は好きなだけ飲んでやるから覚悟しておけ」

「わかりました。わたしもお付き合いします」


 身体を起こして彼女の徳利でお酌をし、自分の空の徳利にもお酒を追加する。

 仕切り直しでまた乾杯をして、今度はお猪口の三分の一を口に含んだ。


 姫様の言葉は酔い覚ましの水みたいだった。

 甘くて爽やかでいくらでも入ってしまう。強烈な渇きが満たされる幸福感に、そのまま我を忘れそうになるけど――でも自分を見失っちゃいけない。


 考えなきゃいけないことはたくさんある。

 わたしは世話役で、そして彼はお医者様で。

 自分の身の上のことを抜きにしても、お互い責任ある立場なのだ。

 それに姫様や九摩留のことだってある。

 そうしたところも考えて、わたしは答えを出さなきゃいけない。

 

 好きという気持ちはなによりも大事だけど、それだけじゃきっと駄目なんだ。 


 でも今は――今夜だけは、酔いにまかせて頭を空っぽにしよう。

 それで、明日からまたたくさん考えよう。

 約束の時がくるまで、たくさんたくさん、考えよう。


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