156.新しい同室女子
「あかりちゃーん。入るわよー」
「……はーい……」
葉月ちゃんの声に返事をすると襖がすらりと開く。
見上げた先の彼女は入浴済なのか、浴衣に半纏という恰好をしていた。
ふいにその目が丸くなり、葉月ちゃんがくすくすとおかしそうに笑いだす。
「あらあら大丈夫? 七転八倒するほどお腹が痛くなっちゃった?」
「ぅ……はい……」
その言葉にギクリとする。
いまのわたしは髪も襦袢も乱れきっていた。というのも、これまでの自分の言動を思い出しては部屋中を転がり回っていたからだ。
そしてそれ以上に泰明さんの言動を思い返しては身もだえしていた。
「もう落ち着いたので、大丈夫です。それで……どうかしましたか?」
仮病はもはやバレてる気がするけど、それでも一応具合の悪そうな声を出してぐちゃぐちゃの布団に正座する。
葉月ちゃんはわたしのそばに座ると優しい笑みを浮かべた。
「あのね、今日から佐山さんがいないでしょ? だから今後あなたがここに泊まるときは、私が一緒に寝起きさせてもらいたいのだけど。それでいいかしら?」
「葉月ちゃんが、ですか?」
佐山さん――キミちゃんはわたしが本家にお泊りする際、いつも同じ部屋で寝起きしていた。
それは彼女が同級生のなかでも特に親しい間柄で、だから奥様がわざわざ配慮してくださったものだと思っていた。
もしかしたら、ひとりでは心細かろうと思われていたのかもしれない。
「ありがとうございます葉月ちゃん。でも、わたしももう大人ですし。ひとりで大丈夫ですから」
今はむしろひとりになりたい。しばらく反省会をしていたい。
あぁでも、ここにキミちゃんがいてくれたら――。
キミちゃんにはいろいろ話を聞いてほしい。相談に乗ってほしいのに。
「うんうんわかるわよその気持ち。でもね、うちの都合で恐縮だけどあなたをひとりにすることはできないの。あ、私じゃなくてお母さんのほうがいいかしら? それでも全然――」
「葉月ちゃんでお願いします」
「オッケー!」
言うなり葉月ちゃんは襖の向こうに用意していたらしい布団一式を持ち込んで広げる。
「そうだあかりちゃん、お腹空いてない? もしなにか食べられそうなら用意するけど。卵粥とかどうかしら」
「ありがとうございます。でもお腹は空いてなくて……」
具合が悪いのは嘘だけどそっちは嘘じゃなかった。なんだかずっと胸がいっぱいでなにも食べる気になれない。
さいわいキミちゃんのパーティーでたくさん料理をいただいたから、一食くらい抜いても平気だろう。
「そっか。じゃあこれも私だけになりそうね」
葉月ちゃんはちょっと残念そうな顔になるとふたたび襖の向こうに行き、今度はお盆を運んできた。
枕もとに置かれたそれにはお漬物の鉢に徳利とお猪口ふたつが載っている。
「よかったらどう? 遠慮はなしよ?」
「そのお気持ちだけいただきますね。でも、お酌はさせてください」
徳利を取って敷布団の上に座る彼女にその口を差し向ける。
彼女はちょっと苦笑してお猪口を手にした。
「ありがとう。それじゃあ私も、佐山さんに乾杯!」
葉月ちゃんがお猪口を高々と掲げてぐっとあおる。もう一度お酌しようとすると、あとは手酌でと止められた。
二杯目を干したあとで彼女の視線がこちらに向く。
「佐山さんがいなくなると、あかりちゃんも寂しくなるわね」
「そうですね……」
「あかりちゃんはさ、前にくーちゃんと姉弟二人三脚でうまくやっていきたいって言ってたけど。結婚願望はないの?」
なんとなく来そうだと思っていた話題をさっそく振られて苦笑する。
さて、なんて答えようか。
わたしは今まで結婚したいなんて考えたこともなかった。
小さな頃は、わたしは姫様のお嫁さんだと信じて疑わず、だから誰かのお嫁さんになるという発想がなかった。
少し成長してからは、そもそも生きていたいと思えなくなっていたから、そんなことを考える余裕もなかった。
成人してからは自分のことを受け入れて、姫様と養父母……それに九摩留とずっと変わりない生活を送るものだと信じていた。
したいしたくないではなく、できないもの。
でもそれを葉月ちゃんに言えば、なぜできないのかと聞かれるだろう。
だからこう言うしかない。
「ありません」
葉月ちゃんの片眉が上がる。目には面白がるような光が宿った。
「あかりちゃんて好きな人はいる?」
「……いますよ。姫様に九摩留、それにキミちゃんとか。たくさんいます」
「気になる人は? 男女の仲になりたいって思える男はいるかしら」
「わたしはそういうの、よくわからなくて。葉月ちゃんはどうですか?」
なにやら追い込み漁にかけられている気分になってきて、急いで質問を繰りだす。
彼女は乱切りにされたカブをボリボリ噛みながら首をかしげた。
「私?」
「葉月ちゃんは気になる人はいますか?」
「ん~……そうねぇ……」
ボリ。ポリ。と咀嚼がゆっくりになる。
彼女は腕組みしながら天井を見上げ、静止した。
いつも歯切れの良い彼女にしては珍しい。
「いる……と言ってもいいのかしら。私、そういうのっていまいちよくわからないのよね」
少しして、葉月ちゃんはぼんやりとつぶやいた。
どことなく百戦錬磨の空気を感じていたのだけど、それはわたしの勘違いだったのかな。
「いわゆる真剣交際ってやつ? 私、そういうのって面倒臭いなーって思っちゃうのよね。美味しそうって思ったらお付き合いとか別にいいからとっととヤりたいって思っちゃう。獣の性が強いせいかしらね」
「やり……? 美味し?」
「だからベッドの上での付き合いが多かったんだけど、あの子は食べたくない……いや……食べたいけど食べたくないっていうのかな」
さまよう視線がこちらに定まる。
ふっと浮かんだ笑みはどこか自虐的に見えた。
「これってつまり、彼にはいい加減でいたくないってことよね。それに一度味見したが最後、もうそれ以外食べられなくなっちゃいそうな気もしてるし。誰かひとりに捕まるのが怖いのかも。でも怖い……臆病になるってことは、すでにそれだけ気にかけてしまっているってことよね」
「葉月ちゃん……」
「ま、私のほうはそんなとこよ。はい、自己分析おしまい!」
突然手をパチンと叩いて彼女は朗らかに笑った。
お猪口をあおると徳利からおかわりを注ぐ。
「次はあかりちゃんの番。あかりちゃんとくーちゃん、もう一緒に暮らしてるんだから、今更期待外れもなにもないわよね。私はくーちゃんと一緒に過ごして楽しいと思うんだけど、あかりちゃんはどう?」
「ど、どうと言われましても……」
「やっぱりあきちゃんがいい?」
ヒュッと喉が鳴る。葉月ちゃんは優しく微笑んでいた。
あぁもう本当に、誰にどこまでバレているんだろう……。
「ねぇ。もういっそのことふたりと付き合ってみたら?」
「はいっ?」
「だって実際に付き合ってみなきゃ相性の良しあしなんてわからないじゃない。何事も試して比較してみないと」
「なに言ってるんですか! そんなの相手に対して失礼です! 不誠実すぎます!」
思わず怒りの声が出るけど葉月ちゃんはそう? と首をかしげただけだった。
なんでもないことのようにお酒を飲んで、またおかわりを注ぐ。
「いきなり結婚を迫るのだってナンセンスでしょ。これからは自由に恋愛できる時代なんだからさ。どうせなら考え方とか価値観とか、そういうのもよく知ったうえで本当にいいと思える相手と結婚したいじゃない」
「それは……そうかもしれませんけど。でもそんなの二股ってやつですよね。絶対ダメですからそんなの」
「じゃあ順番に交際期間を設けて、それぞれ付き合ったあとで改めてどちらと付き合うか発表するとか」
「なんでそんな上からなんですか……」
喋れば喋るほど考えや価値観の違いを目の当たりにするようだった。
葉月ちゃんのことは嫌いじゃないけど、この件――恋愛に関することはあまりにも意見が違い過ぎてついていけない。破天荒すぎる。
そこでふと、あることが気になった。
キミちゃんのパーティーでも話題になったことだ。
「葉月ちゃん」
「はーい?」
彼女は徳利を逆さまに振って最後の一滴をお猪口に落とそうとしていた。
透明な雫が落ちるのを見届けてから口を開く。
「葉月ちゃんが結婚に求める第一条件ってなんですか?」
「そうねぇ。絶倫であることかな」
「……………………」
「私って性欲強いから。精力が人並外れて強い人じゃないと無理なのよね」
「あ~そうなんですねぇ~。あ、わたしそろそろ寝ますね。おやすみなさーい」
寝よう。
とりあえず寝てしまおう。
葉月ちゃんのおやすみを聞きながら、わたしは布団にもぐって丸くなった。




