155.お見合いの中止
お墓参りからの帰り道――泰明さんとふたりきりの帰り道は、実にぎこちないものになってしまった。
泰明さんは普段と変わらない様子でいろいろ話しかけてくれたのに、わたしはそれにぼんやりした相づちしかできなくて。だから会話が全然続かない。
目を合わせるのも恥ずかしくてずっとうつむいたまま、おまけに彼の身動きひとつに逐一びくついてしまう始末で、さぞかし嫌な気持ちにさせてしまったことだろう。
だから本家に戻ったとき、倉橋様が呼んでいると聞いたときは天の救いのように感じてしまった。
とにかくいったん泰明さんから離れないと自分がどうにかなってしまう。そんなふうにさえ思っていた。
一度客間に戻って身づくろいし、母屋の奥まった場所にある書斎へと向かう。
扉の前で一度深呼吸してからノックすると、返事はすぐに返ってきた。
「失礼いたします」
落ち着いた態度を意識してなかに入ると、倉橋様は執務机で書き物をしていた。
あげられた顔に柔和な笑みが浮かぶ。
「呼び出してすまないね、あかり君。どうぞかけてくれ」
「ありがとうございます。失礼します」
手のひらで示されたソファに座るとすぐに倉橋様がやってくる。まだくつろぐ状況にないのか、その恰好は着物ではなく背広だった。
でも気配はいつも通り穏やかで、眼帯の当てられていないほうの目は優しく和んでいる。
「さて、夕食まで時間もないことだし単刀直入にいこう。実は緑川家の麗花嬢からあかり君宛てに手紙が届いている」
「麗花さんからですか?」
そういえば、泰明さんは麗花さんからわたし宛てに連絡があるかもしれないと言っていた。
応接机の向こうから手紙が差しだされる。
受け取った封筒の表には『倉橋あかり様』、裏には『緑川麗花』と書かれていた。
消印は二日前で、倉橋様が東京から戻られるまで本家に留め置かれていたことがわかる。
というのも村外からもたらされる手紙や荷物は当主が差出人を確認するまで屋敷に届かないことになっているのだ。
「不躾で申し訳ないのだが、今ここでそれを確認してもらえないだろうか」
顔を上げると待ち構えていたかのようにペーパーナイフの柄を差しだされる。
当主といえども勝手に中身まであらためることはできない。でもごくまれに、こうして受け取った場で開封を求められることがあった。
泰明さんは昨日、お見合いの話がなくなったと言っていた。
倉橋様は泰明さんと麗花さんの結婚を進めたかったのだから当然不服に思っているだろう。そんなときに彼女がわたしに手紙を送ったとあれば、気になるのも当然なわけで。
となると、今この瞬間は山神を庇護する当主と山神に仕える世話役という立場ではなくなるのかもしれない。
今ここにいるのはひとりの父親とその息子さんの縁談をぶち壊した悪い娘――。
だったらこの手紙をいつどこで開けようが、それはわたしの勝手ではなかろうか。
……なんて考えるのはよくないな。
軽くかぶりを振って、受け取ったそれで手紙の封を切る。
取り出した便せんには流麗な字で時節の挨拶と本題――お見合いの話は緑川家から断りの旨申し入れたこと、今はアキラさんとふたりで前向きな話をしていること、そしてわたしへの感謝がつづられていた。
「お読みになりますか?」
「いいのかね?」
倉橋様も知っていることしか書かれていないから特に問題はないだろう。
応える代わりに便せんを差しだす。
倉橋様にはこの件で勝手に村を出てしまったとき、麗花さん側の事情も少し説明していた。
つまり泰明さんだけじゃなく、麗花さんにも別に想いを寄せている方がいるのだと――。
じわっと顔が熱くなる。
泰明さんの想う相手が……まさかの自分であったことに、今更ながら信じられない思いがする。
というか、倉橋様にはわたしが泰明さんを好きだと告白したも同然で……。
あぁどうしよう、いろいろ思い出すのが怖い。恐ろしい。
「そうか、麗花嬢は復縁できたのだね。あかり君の活躍は大したものだ」
「いえ、わたしはなにも……。もともとあのお二人は想いあっていたわけですから」
「つまり、想いあう二人が結ばれるのは当然の帰結であると」
意味ありげな笑みを向けられて言葉に詰まる。
どうしよう。泰明さんはみんなが知っていると言っていた。
一体それはどこまでなのか……まさか倉橋様の耳にも入っていたら、わたしはいよいよ愧死してしまう。恥ずかしすぎて死ぬなんて、それこそ恥ずかしくって浮かばれない。
「彼女があかり君に接触したと聞いたときは肝が冷えたよ。だが、よく丸く収めてくれた。さすが世話役だな」
「いえ……。この度のこと、誠に申し訳ございませんでした。加加姫様のご機嫌も損ねてしまい、あやうく村に災禍をもたらすところでした。世話役としてあるまじきことと――」
「そこに関してはなんら咎めるところにない。現に加加姫様は祟らず、それに私も君のおかげで目が覚めたよ」
倉橋様が便せんを畳んで卓上に置く。
「私は泰明に幸せになって欲しいと思っている。だが私が与えようとした幸せはあれに不幸をもたらすところだった」
彼はソファの背もたれにゆったりと身を預けた。
ほろ苦い笑みのまま天井を見つめ、わずかな沈黙のあとでふたたび顔がこちらに向く。表情はにわかに明るくなっていた。
「あれにはずっと縁談を迫っていたせいで、すっかり嫌われてしまってね。しばらくは私も大人しくしていようと思っている。もちろん、自力で良縁を結べないようならまた出しゃばってしまうかもしれないが」
「家の繁栄も御当主の務めですから、泰明さんも倉橋様のお気持ちは充分理解していらっしゃると思います。ですが彼を信じて見守っていただけたら……きっと良い方向へ……」
行くのだろうか。
彼がわたしを選んだことで不幸がはじまるんじゃないだろうか。
お父さんの懸念した通りに。
「どうした? なにやら浮かない顔をしているが」
「あっ、いえ。なんでもありません。失礼いたしました」
いつのまにかうつむいていた顔をあげて便せんを受け取る。
封筒に収めようとしたところで、まだ中になにか入っていることに気づいた。
「ん……?」
封筒を逆さまにして軽く振ると名刺のような紙が落ちてくる。
そこにはたくさんのピンク色したハートに囲まれて<あかりさんのお願いなんでも叶えちゃう券>と書かれていた。
右下には外国人俳優がするようなおしゃれな英語のサインが入って、おまけにサインの上には赤い口紅のキスマークがついていた。裏面には電話番号が――。
「倉橋様。この手紙はこちらで預かっていただけませんか?」
そっと券を封筒に戻して差しだすと相手は不思議そうに首をかしげる。それでも彼の手は封筒に伸びていた。
「それは別に構わないが……。あぁ、なるほど」
「はい。姫様が大噴火するので屋敷には持ち込めません。もしこれが目に触れようものなら、それこそこの村は草一本生えない不毛の地となるやもしれません」
真剣にそう言うと倉橋様がぷっと吹きだした。それからさも愉快とばかりに哄笑する。
わたしもようやく緊張がとけて、自然と笑い声が出ていた。
「それは大変だな、手紙は私が預かるとしよう。そういえば東京で珍しい瓶詰を買ってきてね。チョウザメの卵を塩漬けにしたものでキャビアというのだが。それに合うワインも買ってきたから、このあと夕食で…………あかり君?」
「ぅ、あ……なんでもありません」
夕食。
泰明さんが隣に座ることを想像してなぜか胃がシクシクしてきた。多分緊張しているのだろう。
思わずそこを手でさすると倉橋様の眉がひそめられる。
「具合でも悪いか? 医者を、泰明を呼」
「いいえ!!」
ものすごい大声が出て倉橋様どころか自分までびっくりしてしまう。
ひとまず小さく咳払いして笑顔を作った。
「いえ、大したことはありませんので、大丈夫です」
「そうかね?」
「すみません、でもそのえーと……念のため夕食は遠慮させていただければと思います。申し訳ありません」
「気にすることはない。すぐに布団を敷かせよう。安静にしていなさい」
「ありがとうございます……」
いかにも具合が悪いといわんばかりに声を細くしつつ、やってしまったと頭を抱えたくなる。
仮病を使ったことがお父さんにばれたら笞で百叩きにされるだろう……といっても、もうわたしを罰してくれる人はいないけど。ホッとするような寂しいような。
心配そうな倉橋様がすぐに席を立って扉を開ける。
こちらに視線を戻して、でもそこでなにかに気づいたように廊下に首を出した。
「お前、そこでなにをしているんだ?」
「あかりを待っているだけですけど」
聞こえた声に、気がつけば部屋の奥まで逃げていた。ほとんど無意識に執務机のうしろに隠れる。
わたしはいない。わたしは机、ただの家具……。
「あかりく…………泰明、こっちに来い!」
「なんですか急に。え、ちょっと?」
「どうせお前はまたろくでもないことをしたんだろう! 一体お前はいくつだ!? いい加減にしろ!」
「いや僕はなにも――」
ふたりの声がどんどん遠ざかっていく。
そっと机を抜けだして廊下をのぞいてみると、誰の姿も見当たらなかった。
わたしも応接室をあとにして、できるだけ早足で客間へと向かった。
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