153.青年のプロポーズ(前)
お父さんたちの墓前でしばらく手を合わせていた泰明さんが、ゆっくりと腰を上げた。
最後に軽くお辞儀をするとこちらににこっと笑いかけてくる。
「お待たせ」
見上げた先の顔は片方が西日に照らされて淡い黄色に染まっていた。
もう片方には影ができて、その対比が美術品のように美しい。
すぐに返事ができなくて、かわりに小さくうなずく。
もう少しだけこの時間を伸ばしたくって、遠くの景色に目を向けた。
「すっかり日が伸びましたね」
三月ももうすぐ終わる。
少し濃い色味になった日差しには夕方の気配があった。薄茶色の枯れ草が多かった田畑やあぜ道も、今では緑色のほうが多い。
たった一か月で景色は大きく変わっていた。
「あかりと会えなくなる前は、今の時間だともう少し太陽が傾いてたもんね。それであっという間に日が落ちて、すぐに夜になっちゃって……」
青年もわたしと同じ方向を眺めてつぶやく。
ふと、相手の気配が硬くなるのを感じた。
泰明さんはお墓参りのあとで大事な話があると言っていた。
それが姫様に関する話であることはわかっている。
思えばあの宴の夜からふた月ちょっとが過ぎたわけで――彼に姫様への想いを打ち明けられてからこの日まで、本当にあっという間だった気がする。
泰明さんの縁談は無事解消された。
もはや彼を縛るものはない。
あとは姫様に猛アタックするのみといえる。
大好きな人だから。
すごく大事な人だから。
泰明さんが好きな人と幸せになれるように、わたしはそれを全力で応援しよう。
自分にそう言い聞かせて、身体の脇に垂らした手をぐっと握りしめる。
「午後の往診が終わりに近づくとね、田んぼがどんどん薄暗くなっていって。そうすると家の明かりがぽつぽつ浮かんでくるんだ」
はじまったのは何気ない会話の続きだった。
こちらを向いた顔にさきほどまでの笑みはない。
「夕暮れの空に一番星が出て、空でも地上でも小さな明かりが次第に増えていって。そうするとね、すごくたまらない気持ちになるんだ。屋敷に行きたくて……あかりに会いたくて。いてもたってもいられなくなるんだ」
ちょっとだけ眉をひそめたくなる。
素直に姫様に会いたいと言ってくれればいいのに。
今はわたしに気を遣わなくていい。そんな優しさはいらない。
でも――心が震える。
その言葉に嘘偽りはないのだと直感したから。
「帰り道、みんなの家のそばを通るたびに夕飯のいい匂いがただよってきてね。そのたびに今夜はあかり、なにを作ったんだろう……あかりのご飯食べたいなぁって、毎日ずっと思ってた」
あかり食堂と呼ばれたことを思い出す。
会いたい人に毎日会うための方便、のはずなのに。そんな風に言われるとすごく気恥ずかしい。
……というか、さっきから妙に身体が熱い。
顔もすごく熱くて、ファンデーション越しでも赤くなっているのがバレていそう。
なんだろう。なにかがおかしい。
今、なにが起きているんだろう。
「文通もいいんだけどさ、でもやっぱり顔を見たいんだよね。君の目を見て、声を聞いて、今日はこんなことがあったよって……一緒にお喋りしたくって。だからあかりと会えないこの一か月は本当に辛かった。毎日寂しくて、もの悲しくて……ずっと辛かった」
苦しそうな声に胸が締めつけられる。
それはわたしも同じだった。
この一か月は胸にぽっかり穴が開いたみたいで。
いつも寂しくて、もの悲しかった。
「あかりにおかえりって言ってもらえないと家に帰った気がしないんだ。まるで迷子になってるみたいで、胸の奥がずっと暗くて冷たいままなんだ。僕にはあかりが必要で、君が欲しくてたまらなくて、明日も明後日もずっとずっと……死ぬその瞬間まで君の隣にいたいんだ」
声が熱を帯びていく。切羽詰まった響きに心臓が早鐘を打つ。
あぁ、どうしよう。
続きを聞くのが怖い。
今この瞬間にも叫んで逃げてしまいたい。
泰明さんが目を伏せる。
緊張がゆるんだ隙に呼吸を落ち着かせようとしたけど、でもダメだった。
うるんで輝く黒曜石の瞳を向けられて、それだけで心臓が大きく跳ねる。
「あかり。僕は君のことが好き。ずっと前から好きだった」
熱っぽく光る目はどこまでもまっすぐだった。
これは夢か現実か。思わず自分の頬をつねりたくなる。
「僕と結婚してください」
その言葉に、地面がぐらりと揺れた気がした。




