第147話 緊張と悲観の渦にのまれて
武津薙と赤の女王がメレリンクアティスに到着したのは立春を迎えた頃だった。ここに至る道程に問題は生じなかった。それは、赤の女王が周囲を警戒し、辺りにいた生物に警告の末那を発していたからであった。
都市の領域に入り、赤の女王は、自分が魔法の国に抱いていた想像とは異なり、農業が盛んな国だなという印象を受けた。
林檎、キウイ、苺が綺麗な果実を実らせていた。畑に魔法を使う特別な装置は認められなかった。
武津薙は道行く男性に声をかけ、救護院はどこにあるかと尋ねた。その男はボタンのある黄土色のウールのセーター、灰色の綿のパンツ、葡萄色の革靴を履いていた。眼鏡を掛け、分厚い図鑑と木製のバインダーに挟んだ白地の和紙を手に持っていた。
男は救護院までの道順と建物の外観を丁寧に武津薙に教えた。
赤の女王は武津薙が道を教わっている間、落葉した七竈の樹を眺めた。低い気温の中で、七竈は真っ赤な実を房状に実らせていた。
そこに、お腹がお椀のように丸い形をしたツグミが飛来して、実を一つ食べた。赤の女王はこの七竈を一目見た時、奇異に感じた。葉が一枚も無く、エネルギーが生成されない状態で、何故、実を付けていられるのだろうと彼は思った。赤の女王は実を一つ採り、ほんの少し齧ってみた。
「うえぇ。」
何者かから守るために、意識的に追及された苦味を感じた。そのままでは決してヒトの食用に向かない宿命的な味だ。実が腐らずに樹上で維持できるのは、この苦味に起因するのか、低温の環境によるものなのか、あるいは、怪しい魔法をかけられて育ったからなのか、赤の女王には判別がつかなかった。
彼は、可愛いお腹の形をしたツグミが胃腸を悪くしないか心配になった。
武津薙と赤の女王は救護院の門をくぐり、建物に入った。武津薙が受付で事情を話すと、患者当人がおらず診察とはならないため、時間外にもう一度来てくれないかと告げられた。
それを了承した武津薙は「食事を摂ろう」と赤の女王に言った。二人は近くに見つけた店に入り、蕎麦を啜った。
口の大きな丼に蕎麦が入れられ、潮の香りがするお汁に、醤油味のお揚げ、たっぷりの鰹節、少量の刻みネギが乗せられていた。
赤の女王は店に入った時、赤い煉瓦造りの建物に蕎麦は似つかわしくないと感じたが、ここの蕎麦の味はとても美味しかった。彼は全てのお汁を飲み干した。
赤の女王がちらりと武津薙を見ると、彼は弱々しく蕎麦を啜っていた。まるで形の無い未知の気体を胃に収めているかのようであった。
武津稚の肩に白い蝶が止まっていた。しかし、武津稚は白い蝶の存在に気付くことなく、緊張と悲観の渦の中に身を置いていた。
二人は口を開くことなく、とろりとした蕎麦湯を飲んで、食事を終えた。




