第134話 集団の一部になりたくない
翌朝、二人は早くに街を出た。暫くして、赤の女王が武津薙に言った。
「前の街でも、さっきの街でも、武津薙さんの噂を耳にしたよ。皆、あなたとは直接関わり合いを持った者ではなかった様だけれどね。」
武津薙は表情を欠いた顔で言った。
「そうか。連中はなんて言っていたんだ?」
「武津薙さんのことを見事に表現してた。豚の餌がどうとか、ミルクを拭いた後の雑巾がどうとかってね。まあ、至極控えめに言っても、どうしようもないろくでなしだという意見で一致していたかな。えらく悪名を轟かせてるんだね。」
武津薙は下を向いて、暗い口調で言葉を発した。
「俺は酷い人間だったからな。文句を言う事の出来る立場じゃない。ちなみに、あんたはそれを聞いて、どう思ったんだ?」
「ああ、このヒト達は武津薙さんのことをそういう風に感じているんだなと思ったよ。」
それを聞いた武津薙は不思議な気持ちになって、赤の女王を振り返って尋ねた。
「連中の話を聞いて、俺がそういう人物なんだな、とは思わなかったのか?」
赤の女王は青い空を優雅に飛んでいる鳶を見上げながら答えた。
「俺は他人の人間性を判断する時は、第三者の意見を聴かないことにしているんだ。」
「何故だ?」
「必要がないからさ。何故、周りにいるヒトの意見を聴く必要がある?」
武津薙は歩きながら少し考えて答えた。
「大抵のヒトはこう言うだろうな。自分の意見だけでは、そこに偏見が含まれていた場合、誤った判断になるかもしれない。だから、周りのヒトの意見を聴くんだと。」
「そうだね。でもさ、本当に他者の意見を聴くことの出来るヒトは、極めて稀な気がする。大抵のヒトは聴いているふりをしているだけだと思うんだ。」
「どういうことだ?」
「仮に、甲という人物がいたとする。自分はその甲のことを嫌なヒトだと感じていたとする。そこに乙という人物がやってきて、こう言うんだ。甲だろ、あいつはとても良いヒトだよな。それを聴いた自分はどう思う?ああ、甲でも良い所があるんだな、と素直に思うかな?そうは思わないはずだ。乙は甲と限定された付き合いをしているから、本当の甲の姿を知らないんだ、と思うだろう。次に、丙という人物がやって来て、こう言うんだ。甲は嫌な奴だよな。それを聴いた自分は、そうだよ、甲は嫌なヒトなんだよ、と思うんだ。そして、最終的にこう結論付ける。甲は嫌な奴だ、皆言ってる、と。結局、自分は、自分と反対の意見だった乙の意見を聴いていないばかりか、実は、自分と同じ意見だった丙の意見すらも聴いてはいないんだ。単に、自分が抱いた感情や考えを正当化したいにすぎない。そのために、他者の意見を利用するんだ。そういうヒトほど、自分は多くのヒトの意見を聴いて、総合的に判断している、と主張する。」
武津薙は赤の女王の話を聞いて、考えてみた。
「そういう者もいるだろうが、全ての者がそうではないだろうさ。」
「他者の意見を聴くという事は、自分と異なる意見を聴く、という事に他ならない。自分と正反対の意見を受け入れる余地が初めから無いのなら、他者の意見を聴く意味なんてないよ。」
「だから、あんたはヒトの意見を聴かないのか?」
赤の女王は歩きながら首を横に振った。
「ううん。俺がヒトの意見を聴かないのは噂話のほとんどがヒトの悪い情報だからだよ。自分の意見に偏見があるかもしれないけれど、それ以上に、噂話は偏見に満ちている。そんな話で、例え部分的にでもヒトの人格を決定付けるのは馬鹿げているよ。だからさ、俺はヒトの良い情報ならちゃんと聴く。それ以外はそのヒトと直接関わり合いを持って、自分で判断すると決めているんだ。」
「そのやり方が、正しいのか、間違っているのか、よく分からないな。」
「きっと、正しくはないのだろうね。大きなリスクも伴うだろうし。でも、公正ではあると思う。だって、俺なら、自分のいないところで語られた俺への批判や悪口で、俺の人格を評価されたくないもの。」
「あんたが、そういう考え方で、俺にとってはありがたいのかもな。」
「武津薙さんの事を酷く言った街のヒトは、武津薙さんとは直接関わり合いの無いヒト達だった。俺に対しては親切で言ってくれたのかもしれないし、あのヒト達にはあのヒト達の物語や立場があるのだろうと思う。でもね、結果的には大勢の中の一員になって、特定の人物を追い込んでいるんだ。俺がヒトの意見を聴かないのは、あるいは、自分がそういった集団の一部になりたくないからなのかもしれない。」
武津薙は赤の女王の言った事について、再び、よく考えてみた。
「俺が言うのもなんだが、あんた、友達が少ないだろ?」
赤の女王は肩を落として返事をした。
「ううっ。その通り。」
「だろうな。友達が言った誰かの悪口に同調してやるのも、友達の役目だ。」
「そうかもしれないね。でも、数は少ないけれど、俺には大切な友達がいるよ。」
「ああ。そうだろうな。」
武津薙の足取りは少し軽くなり、ヒューヒュヒュヒュヒュと鳴いてる鳶を見上げた。太陽が眩しく、真っ白な雲が緩やかに風に吹かれていた。




