第133話 父としての責任
「この辺りには危険な獣がいるのですか?」
赤の女王の質問に武津薙は答えた。
「この峠道ではないが、以前に高天原から銅鑼村の道を通った時、俺の腹に消えない深い傷を付けた獣がいる。太い虎模様の肢、肉厚な茶色い胴、先が二つに割れた硬く尖った尾、まるで嘲笑しているかの様な猿顔、鵺だ。奴は凶暴で、自分より大きい生物にも平気で襲いかかると聞いたことがある。」
「鵺か。一度見てみたいな。」
「止してくれ。それと、もちろん狼も危険だ。この辺りの狼は、何故か雪原に生きる狼の様に白銀で、体も大きい。これも聞いた話でしかないが、中には魔法を操る奴もいるらしい。」
「白銀の魔法を使う狼か。一度見てみたいな。」
「だから止してくれ。真面目な旅なんだ。」
二人は再び森の中に入った。日が暮れてきたため、河原で野宿をすることにした。武津薙は手際良く火を焚き、湯を沸かしてハーブ茶を作り、蜂蜜を垂らした。二人は甘いお茶にホッと一息ついた。赤の女王は武津薙に尋ねた。
「あなたがメレリンクアティスに行くのは息子のためだと言っていたけれど、息子さんに何があったの?」
武津薙の顔がさっと暗い表情になった。焚き火の中心を、まるで遠くの景色を眺める様に見つめた。武津薙は短く言った。
「事故に遭って、下半身が麻痺した。」
赤の女王が感じたその時の武津薙の末那は、深い悲しみの色で染まっていた。それは触れただけで全てが崩壊する脆い砂の城のようであった。ただ、その悲しみの中に、自分の息子の全てを包み込む暖かさと、確固たる覚悟があった。
「メレリンクアティスの者達が治療の技を持っているの?」
武津薙は答えた。
「分からない。でも、息子のために何かをしてやりたいんだ。大和が歩けるようになるのなら、俺の足をもぎ取っても構わない。大和が元気になるのなら、俺の脳や神経をいくらでも削り取っても構わない。俺の命を捧げることで、大和が幸福になるのなら、俺は今、この瞬間に命を絶ってもいい。しかし、そんなことをしても俺の願いは叶わない。俺は息子を守ってやれなかった責任を果たしたいんだ。大和の父として。」
今にも泣き出しそうな武津薙を見て、赤の女王も悲しい気持ちになった。
山の合間を縫うように二人は歩き続けた。赤の女王はどこまでも続く深い山の美しい景色を眺めながら足を動かした。しかし、前を歩く武津薙の背中は、まるで狭い空間に押し込まれているかのようであった。
十日後、二人は街に入った。食料を補給し、食事処で夕食のうどんをすすった。武津薙が先に席を立って宿屋に向かった後、赤の女王が一人、リンゴを食べていると、熟年の男性がそれまで武津薙がいた席に座り、唐突に言った。
「君はどうしてあの男と一緒にいるんだ?」
赤の女王はなんでもない風に返答した。
「十数日前に知り合って、一緒に旅をしているのです。」
「悪いことは言わない。あの男の傍にいない方がよい。」
「何故でしょう?」
「煮ても焼いても喰えないヒトがいるとすれば、それがあの男だからだ。儂の友人が酷い目にあった。友人はあの男を見るなり、悪態をついて席を立って行ったよ。同じ空間にいたくなかったんだろうよ。」
それから、男は武津薙についてのあらゆる悪い噂を口にして去って行った。




