第125話 絶望のこだま
その日、武津薙と十歳になった大和は正月に飾る榊とウラジロを採りに、二上の山に来ていた。
美しい曲線を描くこの山は、大小二つの山が隣同士に並んでおり、背の高い方が雄岳、低い方が雌岳と呼ばれている。眺望する位置によって二つの山の間から日の入りや日の出を眺めることができ、終わりと始まりが宿る神聖な山として人々に崇められ、古代より親しまれてきた。
大和はいつもとは違って、父の後ろではなく前を歩いていた。
「今年の土筆とワラビは、両方ともパパが先に見つけたんだから、榊とウラジロは僕が先に見つけるからね。」
大和は少しでも父に認められようと、必死で辺りを見回した。武津薙は大和に忠告した。
「ウラジロはママが用意してくれる立派な鏡餅に、ぴったりの大きさの物じゃないと駄目だからな。」
「うん。あと、葉の一部が欠けていなくて、裏側に胞子のうがくっついていないやつだよね。」
風は吹いておらず、辺りはしんとしていた。武津薙は冷たい澄んだ空気が鼻腔を冷やして肺に流れ込んでくるのを感じた。冬の香りがとても美味しかった。危険な気は何も感じられず、二人は落ち着いて散策することができた。
突然、大和が立ち止まり、右前方にある藪の中を凝視した。武津薙が大和の視線の先に目を向けると、そこには目がくりくりとした与祢が顔を出していた。
与祢とは齧歯類の近縁種で、植物の根を齧ることで冬眠せずに越冬する動物である。後ろ足で立って、目と耳と鼻を駆使して周囲を警戒する仕草が特徴的であった。
与祢はしばらく大和をじっと見た後、さっと身を翻し、走り去っていった。
「パパ、今の見た?捕まえてくるよ。」
武津薙は大和の背中に向かって声を上げた。
「待て。山道から外れては危険だ。」
武津薙の言うことを聴かず、大和は走って藪の中へ入っていった。
大和は細い樹木の枝をかき分け、季節外れの白い蝶が顔面に衝突するのを手で払い、大きく育った羊歯類を飛び越えて、突き進んだ。
進行方向の角度を変えてジグザグに進む与祢の前方には光の壁があった。与祢に少し遅れて大和はその中に、駆け抜けた。
ところが、光の先は急斜面となっており、辺り一帯が灰白色のでこぼこした凝灰岩で覆われた光景が広がっていた。勢い余った大和は斜面を転げ落ちた。
息子の姿が突然に消え、武津薙は焦った。
「大和」
藪を超え、かろうじて踏み止まった武津薙が見たものは、硬い凝灰岩の斜面をまるで人形の様に転げ落ちる息子の姿だった。
武津薙は叫び声を上げながら、愛する息子の名前を連呼し、必死で斜面を駆け下りた。大和の転落先には岩が顔を出していた。大きな岩ではなかったが、まだ小さな体の大和にとっては、身体がすっぽりと納まってしまう程の大きさだ。大和はその岩に背中を激しく打ち付けた。
武津知は絶叫し、彼の目からはすでに涙が飛び散っていた。発狂しながら大和の元へとたどり着いた武津薙は意識を喪失した息子を抱きかかえた。大和の顔にはいくつもの裂傷があり、全身打撲していることが伺えた。
武津薙は、駄目だ、駄目だと懇願した。嫌だ、嫌だと拒絶した。何度も、何度も愛しい我が子の名前を呼んだ。
しかし、大和の意識が戻ることはなかった。
武津薙の慟哭は山中に振動し、絶望がこだまとなって辺りに響き渡った。




