第126話 息子の夢を叶えるために
一年後、武津薙の妻、兎厨芽は夫に訴えた。
「本当に行くの?」
武津薙は目を真っ赤にして、込み上げてくるものを押し止めて答えた。
「大和の事故は俺の責任だ。あの子はよく言っていた。俺よりも大きな体になって、俺よりも強くなって、家族を守るんだと。くったくのない笑顔で宣言していた。」
武津薙は兎厨芽の目をしっかりと見て、自分の気持ちを妻に伝えた。
「俺が、大和の夢を叶えるんだ。」
気迫とは裏腹に、武津薙の心は弱りきっていた。可愛い息子を想う度に、武津薙の精神は消耗していった。まるで、自分自身の一部が欠損していくような感覚だった。
心は無防備となり、ささいな出来事のほんのわずかな刺激に絶え切れず、涙が流れた。とても自分らしさを保つことはできなかった。一本の細い糸でかろうじて繋がり、しかし、いつそれがぷつんと千切れてしまうか分からなかった。
武津薙は、自分が大和の父親ではなく、それでも大和の魂がこの世界に生まれてきてくれていたなら、他の誰かが大和の父親であった方が息子は幸せだったのかもしれないと思ってしまっていた。
大和の父親であるという現実が彼を前へ前へと押していたが、それは、前へ進むことが出来るという状態ではなく、前へ押し出されていくという感覚であった。
一方で、衰弱していく心の中で、強く、大きくなっていく感情があった。愛しい息子、大切な息子、可愛い息子、その想いは日増しに強固となった。
太陽が二上の山の向こう側に隠れている時刻に彼は旅立った。朝霧がひやりと肌をさらった。どこか遠くの方で、名も分からない鳥がキーキーと鳴いていた。旅に出るにはあまりに寂しい朝だった。




