第121話 一人だけの世界で生きる男
銅鑼村に移住した頃の武津薙は、傍若無人な若者であった。
彼は一日の大半を不機嫌に過ごした。他人のささいな言葉でたちまち頭に血が上り、そういった時は必ず周囲の空気を一変させる行動をとった。決して無意識でそうしているわけではなく、怒りを周りに伝えたいがための意識的な行動の結果であった。
彼はまるで激流の川の水面から顔を出す岩のような人物であった。人々は流れに沿って自然と彼に触れると、進む方向を妨害され、激しく心を引き裂かれた。彼はそれを見ても、何も動じることはなく、日常の陽だまりの中に溶け込んでいった。
他者に対しては感情を剥き出しにするか、無関心のどちらかであり、周囲のヒトは彼に人間的な精神性が無いものと信じていた。
武津薙の父は精魂を注いで息子に農業を教えた。作物の特性や栽培方法、土壌や水質の特徴がもたらす収量や品質への影響、天気の読み方や害虫との向き合い方について、自身の持てる全ての知識と技術を伝授した。
武津薙の父は、家では息子に優しく丁寧に接したが、教育の場ではまるで鬼の如く息子に応対し、声を荒げた。それは、他者から見ると、目に余る豹変振りであったが、武津薙は父の厳しさに必死で喰らいついた。
武津薙は珪藻土が水を吸収するかの如く、瞬く間に父の技を自分のものとした。それは厳格な父や、何をしても成功を収める武津薙の姉でさえ、舌を巻く程であった。
三歳から学び始めた農の技能は十七歳の頃には達人の域に達していた。しかし、武津薙自身は一つも満足しておらず、さらなる進歩を求めて研究に没頭し、作型の創出や育種に力を注いだ。
武津薙が栽培した野菜や果物は、甘い物はより甘く、酸っぱい物はより酸味が強くなった。その両者を兼ね備えた品質が求められると、彼はまるで水瓶の水位を調整するかのように、均衡のとれた味として仕上げた。
次第に、彼の評判は郷を中心とした辺り一帯に広まり、教えを乞う者達が彼の元へと訪れるようになった。武津薙はその者達に対し、初めは親切に応対していたが、その内、ある感情が彼の心に芽生えた。それは、不信感であった。
武津薙の神業は端的に表現できるものではなく、それ故に、他者に伝わらないことが多かった。しかし、教えを乞う者達は武津薙に簡潔な表現を求めた。
武津薙は疑問に思った。何故、この者達は自分の何もかもをかけて学ぼうとしないのだろう。技を磨くには実践と観察、考察と改善の繰り返しが不可欠だ。土地が変われば土壌も水質も天候も変わる。答えは自分で導き出すしかない。その方法を説明しているのに、何故、答えだけを欲するのだろう。
武津薙は、この者達のことを怠惰に感じた。不信感はやがて嫌悪感に変わり、教えを乞う者達は邪魔者となった。次第に、それは全てのヒトに対して感じるようになっていった。他者の心は理解できず、やがて、理解しようとはしなくなった。
他者への態度は無愛想となり、やがて、横暴へと変化した。背が高く、筋骨隆々で声の大きい武津薙の高圧的な姿勢は他者を委縮させた。
武津薙は孤独な人間となり、二十歳を迎える頃には、家族以外の誰とも話さないようになっていた。武津薙の評判は一転して悪評となった。郷で不作となると、上流域で彼が害虫駆除のために使用した薬が原因だと主張する者が現れた。次第に、彼の生活空間は限定されていき、郷での居場所が無くなった。
こうして、何もかもに嫌気が差した武津薙は一人で郷を出た。放浪の末、銅鑼村にたどり着き、村外れの人気の無い場所で農業を始めた。
誰とも関り合いを持たず、誰とも関り合いを持ちたくなく、一人だけの世界の中で時を過ごした。




