第八章 ドラゴン便とガルラ山の仮面
大樹街ウーチアの最上層へ向かう昇降機は、ワイヤーも歯車も持っていなかった。
床の下に刻まれた魔法陣が淡く光り、扉は人が近づくと自動で開いた。
「魔法ってすげえな」
「お前の世界には、扉が勝手に開く仕組みもなかったのか?」
「あったけど、電気っていう別の力だ」
「電気?」
「説明すると長い」
「なら、いつか聞かせてくれ」
カルミアは、いつもの調子で言った。
俺が元の世界の話をしても、彼は笑わない。分からない言葉を聞き返すだけだ。帰る場所の話をしても、変に励まさない。
その距離感が、ありがたかった。
最上層は、二階分を吹き抜けにした巨大な空間だった。
商人が荷を運び、小型ドラゴンが荷車を引き、飛行船が次々に発着している。
「ここが飛行場か」
「大樹の都の物流は、ここから始まります」
フリシアが説明する。
「エクセア領内の村や街へ、食料や鉱石が運ばれる。逆に、各地の品物がここへ集まり、王都へ向かう」
「つまり、ここを押さえられると領地全体が困る」
「はい。だから、ジギタリス卿がエクセアを欲しがる理由の一つです」
ガルラ山行きの小型飛行船へ乗り込んだ。
船の前方には小型ドラゴンが繋がれている。翼は飛行船の横幅ほどあり、眠そうに鼻を鳴らしていた。
「あのドラゴン、ちゃんと働くのか?」
「働きたくない日もあるでしょうね」
「人間みたいだな」
「ドラゴンですから、考えていることはもっと違うかもしれません」
フリシアが笑う。
離陸すると、セウブケスの街がみるみる小さくなった。
大樹の枝葉が雲のように広がり、街道が細い線となって遠ざかる。湖のような水面。別の街。山脈。空を飛ぶドラゴンの群れ。
「すごい眺めだな」
「私は、飛行船から見るエクセアが好きです」
フリシアは、窓の外へ流れていく雲を眺めていた。
「父が生きていた頃、何度か一緒に乗りました。父は飛行船が苦手で、離陸してすぐに顔色を悪くしていましたが、窓の外だけはずっと見ていた」
「怖いのに見てたのか?」
「怖いからこそ、見ておきたいのだと言っていました。知らない場所へ行くものは、まず自分の目で確かめなければならない、と」
その言葉は、フリシア自身にも向けられているようだった。
父親を失ったあと、彼女は知らない場所へ放り出された。領主の席。領地争い。俺たちのような、昨日まで存在しなかった仲間。怖くないはずがないのに、窓の外を見て、知ろうとしている。
「フリシアは、元々飛行船が好きだったのか?」
「好きというより、父が好きだったものを覚えているのだと思います」
彼女は少し考えてから続けた。
「父の好きなものを、全部受け継ぐ必要はありません。でも、忘れてしまうと、父の死までなかったことになるような気がして」
「忘れないことと、同じになることは違う」
俺は、スマホの黒い画面へ視線を落とした。
「俺の母親は、俺が一人暮らしを始めるのを心配してた。俺は大丈夫だって言ったけど、たぶん大丈夫じゃなかった。今は、その電話に出られないことの方が怖い」
「お母様へ、戻ったら何と伝えるのですか?」
「異世界にいた、って言っても信じないだろうな」
「私なら、信じます」
「フリシアは優しいな」
「優しいのではありません。オワリが嘘をつく人には見えないだけです」
クロユリが、座席の下から顔を出した。
「二人とも、空の上で重い話をしないでほしいッス。揺れが大きくなった気がする」
「それは話のせいじゃない。山へ近づいたからだ」
カルミアが前方を見ながら言った。
「フリシアが好きだって言うなら、そうなんだろうな」
クロユリは、俺の足元へしがみついていた。
「私は、景色より、揺れない床が好きッス……」
「まだ出発して十分も経っていないぞ」
「だから困ってるんスよ」
ガルラ山は、自然豊かな森の山ではなく、灰色の岩肌が目立つ山だった。
鉱石が採れるため、定期便が出ている。けれど観光地ではない。乗客は少なく、山腹の簡易発着場で俺たちが降りると、飛行船は別の場所へ向かっていった。
「アカサス草は、発着場の周囲にも生えているッス」
クロユリは、草へ手を伸ばす前に、周囲の地面を見た。
「……変ッスね」
「何が?」
「発着場に近い場所なら、人が何度も歩く。アカサス草は踏まれると葉の先が赤くなるんス。でも、ここは採取されていないのに、何本かだけ根元から切られている」
彼女は、土の上に残った細い跡を指でなぞった。
「刃物で切った跡ッス。採取じゃなくて、目印にしたみたい」
カルミアが、すぐに周囲を見回した。
「発着場の人間が、採取場所を印した可能性は?」
「その場合、草を残しておく意味がないッス。誰かが、私たちに見せるために切った」
フリシアは、草の茎へ触れた。
「私たちが材料を探しに来ることを、知っていた人がいる?」
「領主争いの準備で、ガルラ山へ向かう許可は出しています。飛行船の発着記録を調べれば、分かるかもしれません」
「調べるのは帰ってからだ」
カルミアが剣帯へ手を置いた。
「今は、知られている前提で動く」
俺は、草の向こうに広がる灰色の岩場を見た。空は広く、隠れる場所は多い。飛行船はすでに遠ざかり、発着場の係員の声も届かない。
「材料を採る前に、帰り道を決めよう」
俺が言うと、カルミアがこちらを見た。
「やっと、騎士らしいことを言ったな」
「帰る道を考えるだけで褒められるのか」
「生き残る奴は、だいたい帰る道を先に見る」
フリシアが、発着場へ続く岩の並びを記憶するように見つめた。
「では、採取場所を三つに分けます。私とカルミアは北側の岩場、オワリとクロユリは南側。互いに見える範囲から離れない。十数える間に返事がなければ、すぐ合流する」
「領主様、十数えるのは短すぎるッス」
「襲撃なら、短い方がいい」
フリシアの声は静かだったが、もう旅に出る前の少女のものではなかった。
誰かに守られるだけではなく、守るための順番を決める声だった。
クロユリが、すぐにしゃがみ込んだ。
「本当に見つけるのが早いな」
「見つけやすい場所に生える草なんス。問題は、アガパ鉱石のほう」
フリシアとカルミアが、少し先の岩場へ向かう。
俺とクロユリは、比較的安全な斜面で草を集めた。
小型の獣種が何度か現れたが、俺が剣を振ると、訓練の成果が少しずつ形になった。
「オワリ、前より動きがよくなってるッス」
「カルミアに三十回負けた成果だ」
「負けることを、よくそんなに明るく言えるッスね」
「勝てないなら、せめて面白がるしかないだろ」
草を袋へ詰め終えたあと、クロユリが少し先を指した。
「あっちにも、もう一本あるッス」
「発着場が見える範囲ならいいぞ」
「すぐそこッス」
岩陰を回り、開けた場所へ出た。
空気が冷たい。山肌を撫でた風が、草を横へ倒していく。
「これで、しばらくは材料に困らないッス」
クロユリが頭を下げた。
「ありがとうございま――」
岩陰から、何かが飛んできた。
「クロユリ!」
俺は彼女を抱え込むように倒れ込み、飛来した刃を剣で弾いた。
着地した俺たちの周囲に、仮面をつけた人間たちが立っていた。
武器はばらばらだが、立ち位置は整っている。正面に三人、左右に二人ずつ。逃げ道を塞ぐための配置だ。
「誰だ、てめえら!」
返事はない。
前列の一人が走った。
ナイフの軌道を避ける。剣を返す。肉と布を断つ感触が、手のひらへ伝わった。
人を斬った。
そう思ったのに、吐き気は来なかった。身体は冷静に次の動きを探していた。冷静すぎることのほうが、怖かった。
次の男がクロユリへ向かう。
「大丈夫ッス!」
クロユリの前に土の壁が出現した。けれど、壁は一度きりの仕込みらしく、剣を受けるたびにひびが広がっていく。
「オワリ、できれば助けてほしいッス! これ、最後の仕込みなんスよ!」
俺は剣を握り直した。
相手の剣を受ける。重い。
腕が震え、剣が手から離れた。
短刀を抜く。
二度目の攻撃を受けたところで、それも弾き飛ばされた。
「くそっ……俺じゃ、足りないのかよ!」
敵の剣が振り下ろされる。
地面に落ちた短刀が、風に押し上げられた。
刃は俺の横を通り抜け、襲撃者の背中へ突き刺さった。
「街で仕込んでおいた風の依代ッス!」
クロユリが叫ぶ。
「主のピンチを助ける刃になるように、条件を付けておいたんス!」
「そんなものがあるなら、先に言えよ!」
「言ったら奥の手じゃなくなるッス!」
残る襲撃者のうち、三人が前へ出た。
斧。鎖のついた刃。細い針。
ガルラ山で出会った、ただの山賊ではない。
それぞれの動きには、訓練された癖があった。
俺は落とした剣を拾い、クロユリの前に立つ。
その時、背後から声がした。
「わりいな。遅くなった」
風が、もう一度動く。
カルミアが立っていた。
その手には、抜き身の剣。
カルミアは、俺たちを見てから、仮面の三人へ視線を移した。
「武器を置け」
彼の声は、いつもの軽さを失っていた。
三人のうち、斧を持った男が吠えた。言葉ではない。仮面の内側で、喉を潰すような音を鳴らした。
「あいつら、逃げる気はないッス」
クロユリが呟く。
「依代を使って、命令に縛られている」
「命令を出した奴は、部下が死んでも構わないのか?」
「だから、先に終わらせる」
カルミアが、地面を蹴った。




