第六章 ギルドと酒場の噂
大樹街ウーチアは、全部で十五階層ある。
一階は一般の市場。二階には倉庫と運送業者の詰め所。三階には酒場と食堂。四階から十階までは商業施設や工房、宿泊所。上層部には飛行船の管理施設があり、最上層にはドラゴン飛行場がある。
大樹の中に入った俺は、幹の内側を見上げた。
壁だと思っていた部分は、木の繊維が複雑に絡み合った巨大な柱だった。そこに石と金属の床が渡され、魔法の灯りが浮かび、何層もの街が収まっている。
「樹の中に街を作る発想がすごいな」
「大樹が先にあったから、街がそこへ集まったのです」
フリシアが話す。
「昔は、樹の根元に小さなギルドがあるだけだったそうです。冒険者や商人が拠点を作り、倉庫が増え、住む人が増え、気づけば大樹の内部まで使われるようになった」
「じゃあ、街が大樹を利用したのか」
「大樹が街を許した、という言い方をする人もいます」
カルミアが、上を見た。
「実際、樹が嫌がると建物は崩れる。まあ、俺は樹の気持ちなんて分からねえけどな」
最初の目的地は、王営ギルドだった。
受付嬢へ事情を説明する。フリシアが正式な領主候補であること、三か月後に領地争奪戦があること、仲間を探していること。
受付嬢は、何度も申し訳なさそうに頭を下げた。
「現役のギルド員を、領主争奪戦へ紹介することはできません。ギルドは王都の管理下にあります」
「ギルドを辞めた方は?」
「個人情報に関わりますので、こちらからお名前を出すことも難しいです」
「ですよね」
フリシアが先に礼を言った。
「無理を言いました。お時間をいただき、ありがとうございます」
ギルドを出ても、俺はすぐには歩き出せなかった。
「予想していたとはいえ、何も見つからないと焦るな」
「最初から、ギルドは本命ではありませんでした」
「そうなのか?」
「この街には、人が集まる場所がもう一つあります」
フリシアが、三階層への階段を見上げた。
酒場だった。
酒場へ入る前に、年齢の話になった。
「この世界では、十六歳から飲めることになっています」
フリシアが言う。
「私は十七歳です。オワリは十八歳。カルミアは二十五歳」
「俺の予想どおり、フリシアは一歳年下のご主人様だったわけだ」
「今までどおり、フリシアと呼んでください」
「じゃあ、親しくなったらフゥだな」
彼女は、一瞬だけ驚いた顔をした。
「……はい」
酒場では、フリシアがラズリー、カルミアがバーリー、俺がスパリーを注文した。
スパリーは透明に近い酒で、グラスの中には黄色い果実の粒が浮かんでいる。香りは林檎に似ていた。
「飲みやすいな」
「よかった。バーリーは、オワリにはまだ早いかもしれねえ」
「次に来た時は挑戦する」
客に一人ずつ声をかけていったが、返事は簡単なものだった。
「俺はギルド所属だ。役には立てねえ」
「俺は戦いより女の子と飲むほうが好きだねえ」
「僕は、誰かに雇われるような腕じゃないよ」
それでも、最後に同じ名前が出た。
「街外れの森に住んでいる錬金術師なら、どこにも所属していない」
「クロユリ・ミンジャス」
「変わり者だけど、腕は確かだ。材料が足りなくなると、夜中でも街を走り回るくらいには真面目だよ」
錬金術師。
名前だけで、なんとなく頼りになりそうだった。
酒を飲み終え、宿へ戻る道で、フリシアの頬が少し赤くなっていることに気づいた。
「大丈夫か?」
「はい。少し、身体が温かいだけです」
「フリシア、可愛くて色っぽいな」
口が勝手に動いた。
言った瞬間、失敗したと分かった。
「な、何を言うのですか、オワリ!」
フリシアは真っ赤になり、カルミアは腹を抱えて笑った。
「こんなところで姫様を口説くとは、やるなぁ」
「違う。今のはそういう意味じゃない」
「どういう意味なら、ああいう言葉になるんですか?」
「……寝るぞ」
宿へ戻る前、俺は酒場の入口で一度だけ振り返った。
さっき話を聞いた客たちは、もう別の話題で笑っている。領地争いのことも、フリシアの父親のことも、彼らにとっては日常の一部に過ぎないのだろう。
「あの人たちは、クロユリのことを知っていた」
「噂は、情報の形をした他人の生活です」
フリシアが言った。
「助けてくれる人を探しているのに、相手の事情を何も知らないままお願いするのは、少し違う気がします」
「じゃあ、まず本人に会って話を聞く」
「はい」
宿へ戻る前に、俺たちはギルドの脇にある掲示板の前で足を止めた。
そこには、護衛、採掘、薬草採取、迷子の捜索。いろいろな依頼が紙片になって貼られている。依頼人の名前と報酬、期限が並び、危険度を示す色までついていた。
「現役のギルド員は、領地争奪戦へ参加できない。なら、登録を外した人間を探す方法くらい、どこかに書いてあってもいいと思うんだけどな」
俺が言うと、フリシアは掲示板の端に貼られた古い紙を見た。
『紹介を求める場合は、本人の同意を得ること。ギルドの名を利用して、私兵を集めることを禁ずる』
「この街では、腕のある人へ勝手に声をかけることも、簡単ではないのですね」
「ギルドの信用を守るためだろうな」
カルミアが紙を剥がさずに読んだ。
「強い奴を金で集めるだけなら、貴族が一番有利だ。だから、ギルドの規則は弱い側を守るためにもある」
「フリシアは、貴族なのに不利な規則を守るのか?」
「不利だから守らないという考え方をすれば、私が勝ったあとに同じ規則を守る理由がなくなります」
フリシアは掲示板から視線を外した。
「勝つために、勝った後の自分を壊すような方法は選びたくありません」
その言葉を聞いて、俺は彼女が領主になろうとしているのだと改めて思った。
フリシアは、勝利だけを見ていない。勝ったあと、誰がこの街に残り、どんな規則に従い、誰が自分を信じられなくなるのかまで考えようとしている。
掲示板の前を離れると、酒場の裏口から、片足を引きずった男が出てきた。腕には古いギルド章が縫いつけられている。彼は俺たちの身分証へ目をやり、すぐに視線をそらした。
「すみません。錬金術師のクロユリという人を知りませんか?」
フリシアが尋ねると、男は眉をひそめた。
「知っている。だが、あの子を戦場へ連れていくつもりなら、やめておけ」
「危険だからですか?」
「危険なのは、あの子の方じゃない。あの子を便利な道具として扱う人間の方だ」
男は、クロユリが作ったらしい小さな火打ち石を見せた。指を擦ると、火花が一度だけ青く弾ける。
「昔、薬を作ってもらった。金を払えなかった俺に、あの子は材料を持ってこいと言った。俺は持っていかなかった。代わりに酒を一杯おごった」
「それで、怒られた?」
「怒られた。酒では材料にならないってな」
男の口元に苦い笑みが浮かぶ。
「あの子は、自分の作るものを安く扱われるのが嫌いだ。けれど、必要な人間を見捨てるほど冷たくもない。会うなら、何を頼むかより、何を返せるかを考えておけ」
「ありがとうございます」
フリシアは深く頭を下げた。
男はそれ以上何も言わず、街の雑踏へ消えていった。
俺は、宿へ向かう階段を見上げた。
「俺たちは、クロユリに何を返せるんだ?」
「今は、まだ分かりません」
「それでも会いに行く?」
「分からないからこそ、本人に尋ねます」
フリシアが先に歩き出す。
「仲間を集めるというのは、仲間になってくださいと頼むことだけではありません。相手が何を望み、何を恐れているのかを知ることから始まるのだと思います」
宿の部屋へ戻ったあと、俺は短刀の手入れをした。
リナリアからもらった布で刃を拭き、鞘へ戻す。刃に灯りが反射するたび、星のような光が走った。
フリシアは窓際で、セウブケスの地図を広げていた。
「森を抜け、池を左へ。そこにクロユリの小屋があります」
「この街には、地図に載っていない場所も多いのか?」
「大樹の中の工房は、所有者が変わるたびに階層が変わることがあります。街が成長する速度に、王都の記録が追いついていません」
「大樹自体が、街を作っているみたいだな」
「そう考える人もいます」
「フリシアは?」
彼女は、少しだけ迷った。
「分かりません。領主としては、記録のないことを簡単に信じるべきではないでしょう」
「でも、個人としては?」
「……少しだけ、信じてみたいです」
その夜、フリシアはなかなか眠れなかったらしい。
隣の部屋から紙をめくる音が続いていた。俺も目を閉じたが、頭の中ではクロユリという錬金術師の姿を想像していた。
変わり者。街外れの小屋。何かを作る女の子。
普通なら、仲間になる前に一度くらい、まともな登場をするものではないだろうか。
翌朝、俺たちは東門から街の外へ出た。
小さな森を抜け、池の左側にある獣道を進む。道は何度も踏まれていたが、最近は人が歩いていないらしい。
しばらくすると、木々の間に小屋が見えた。
「ここが、クロユリの家か」
ドーンッ。
到着を確認するより早く、小屋の中から爆発音が響いた。
パリンッ。
窓ガラスが割れ、黒髪の少女が外へ吹き飛んできた。
彼女は地面に転がり、眼鏡を押し上げる。服は土で汚れ、髪には小さな葉が絡んでいた。
「ど、どうも……ッス」
少女は、壊れた窓を背中にして立ち上がった。
「クロユリに、何か用ッスか?」




