第五章 大樹の街セウブケス
セウブケスは、俺が想像していた「大きな街」とは少し違っていた。
街の中心に大樹があるのではない。
大樹を中心に街が作られ、さらに大樹の中まで街になっている。
根元には円形の道路が広がり、四方から人や荷車が流れ込んでいた。外周には住宅と工房。少し内側へ入ると商店が並び、その上には大樹の幹を利用した空洞が何層も重なっている。
「人が多いな」
「エクセア領で一番大きな街ですから。王都へ向かう荷物も、近隣領へ流れる人も、まずここを通ります」
フリシアが説明している横を、獣耳の女性が走っていった。背中には大きな籠を背負っている。彼女の後ろを、小型のドラゴンが引く荷車がついていく。
「ドラゴンが、荷車を引いてる……」
「あれは竜種の中でも小型のものです。力があり、長時間走れるので、街道ではよく使われます」
「俺の世界では、ドラゴンはもっとこう、山の奥で宝を守っている存在だった」
「こちらでも、山の奥にいるドラゴンは宝を守っているかもしれませんよ」
フリシアが冗談を言った。
異世界へ来てから、彼女が初めて自分から冗談を言った気がした。
俺たちは大樹の外周にある宿へ部屋を取った。
フリシアが領主だと知られると、宿の主人は何度も頭を下げたが、彼女は料金を正規の額で払った。
「領主なら、安くしてもらえるんじゃないのか?」
「安くしてもらう理由がありません。商売をしている方の利益を削ってまで、領主が得をするべきではないでしょう」
「そういう考え方は、父親から?」
「父は、もっと強引でした」
フリシアは、宿の帳場へ視線を向けた。
「ですが、結果として町の人には慕われていました。私は父のようにはできない。だから、違う方法を探さなければいけません」
荷物を置いた俺たちは、さっそく街へ出た。
まず目に入ったのは、さまざまな種族だった。
獣耳と尻尾を持つ半獣人。人間より頭一つ小さい種族。青い鱗の腕を持つ竜人。長い耳を揺らすエルフのような人々。商店の軒先には、瓶の中で光る魚や、眠ったまま浮かぶ小さな生き物まで並んでいる。
俺は何度も足を止めそうになった。
「オワリ、はぐれますよ」
「いや、あれは見ておくべきだろ。あの角の生えた人、あれは普通に生活してるのか?」
「普通に生活しているから、普通に歩いているのでは?」
カルミアが、俺の肩を叩いた。
「お前は、外国どころか異世界から来たみてえな反応をするな」
「異世界から来たみたいなものだからな」
言ってから、三人の足が一瞬止まった。
「……何でもない」
俺は先へ進んだ。
セウブケスの中で最初に入ったのは、小さな武器屋だった。カルミアが、俺に自分の武器を選ばせると言ったからだ。
店内には、剣、槍、弓、鎖鎌、短刀、名前も知らない鈍器が所狭しと並んでいる。カウンターの奥にいた口ひげの店主が、フリシアの姿を見るなり姿勢を正した。
「これはフリシア様。わざわざ、うちのような小さな店へ」
「新しく騎士になった彼の武器を探しています」
「それなら、扱いやすい弓など――」
「弓は無理だと思う」
俺が即答すると、カウンターの横で剣を磨いていた少女が顔を上げた。
赤い髪。頭の上には獣の耳。腰のあたりから、同じ色の尾がのぞいている。
「兄ちゃん、短刀を見てへんやろ」
「短刀?」
少女は、カウンターの後ろから一本の武器を取り出した。
短刀と呼ぶには少し長い。片手剣と呼ぶには少し短い。刃は星の光を閉じ込めたように淡くきらめき、柄には細かな凹凸が刻まれている。
「うちが作った。星鉄を混ぜた刀身や。まだ棚には置いてへんけど、今のところ最高傑作」
「名前を聞いてもいいか?」
「リナリア・リマアリス。リナリアでええよ。兄ちゃんは?」
「星野終。オワリでいい」
「オワリ……変わった名前やな」
「この世界ではよく言われる」
短刀を受け取る。
重さが、ちょうどよかった。
長剣のように身体を振り回す必要がなく、普通の短刀よりも刃が安定している。試しに一度だけ振ると、空気を切る音が自分の手の中から生まれた。
「これがいい」
「ほんまに?」
「ああ。買えるか?」
リナリアの耳が跳ね、尻尾が大きく揺れた。
「買うてくれるん? うちの短刀を選んでくれたん、兄ちゃんが初めてや」
「代金は?」
「いらん」
「いや、払う」
「いらん言うたら、いらん。うちが困った時に助けてくれたら、それでええ」
「それは代金じゃなくて、借りだろ」
「せやから、いつか返してな」
リナリアは短刀を俺の手に押し戻した。
「この世界で、うちの武器を最初に使う人になってくれたんや。うちはそれで十分嬉しい」
「ただし、一本だけ約束してほしい」
リナリアの声から、さっきまでの軽さが少し消えた。
「その短刀を、見栄のために抜かんこと。誰かに強く見せたいから振るんやったら、うちは渡したことを後悔する」
俺は、手の中の刃へ視線を落とした。
星鉄を混ぜた刀身は、店の魔法灯を反射して淡く光っている。きれいな武器だった。だからこそ、腰に差して歩くだけで自分が強くなったような気になりそうだった。
「俺は、まだ強くない」
「知っとる」
「即答するなよ」
「握り方を見たら分かる。刃を怖がっとるのに、怖がってると思われたくなくて力を入れすぎてる」
リナリアは、俺の手首へ指を添えた。
「武器は、持ち主の気持ちを隠してくれへん。怖いなら、怖いまま使う。逃げたいなら、逃げるために使う。守りたいなら、守る方向へ刃を向ける」
「ずいぶん簡単に言うな」
「簡単やないから、言葉にするんや」
彼女は店の裏口を開け、細い路地へ俺を連れ出した。表通りの喧騒が壁一枚分だけ遠くなる。路地には木箱と古い樽が置かれており、人が一人通れる程度の幅しかなかった。
「そこで、うちを通してみ」
「通すって、何を?」
「短刀を抜いて、うちの横を抜ける。斬る必要はない。触れずに、背後の壁へ先に着いた方の勝ちや」
「俺が勝てるわけないだろ」
「勝てると思ってへんから、やるんや」
リナリアが腰を落とした。
俺は短刀を抜き、正面から踏み込む。彼女は半歩だけ横へ動いた。刃先が空を切り、俺の肩が木箱へぶつかる。
「正面から行ったら、力の強い方が勝つ。今のオワリは、力の強い方と戦いたがってる」
「戦いたがってない。勝負だから仕方なく」
「その言い訳を、身体が信じてへん」
二度目は、踏み込む前に足を止めた。リナリアの耳がわずかに動く。視線が俺の肩へ落ちている。そこからなら、動き出しを読まれる。
俺は短刀を持つ手を下げ、左足を木箱の影へ置いた。
リナリアが笑う。
「それや。相手の真ん中を見たら、相手の真ん中に付き合わされる。端を見る。道がなければ、自分で端を作る」
俺は身体を滑らせ、彼女の肘へ刃の背を当てた。そこから先へは進めなかったが、最初よりは一歩近づけた。
「今のが、うちの星走武の入り口や」
「星走武?」
「星が空を走るみたいに、相手の力の外側を通る。名前は、おやっさんが勝手につけた」
「悪くない名前だな」
「せやろ。うちも気に入っとる」
店の中からカルミアの声が飛んだ。
「姫様を待たせるな。武器を選んだだけで、もう訓練を始めてるのか」
「選んだんやなくて、選ばれたんや」
リナリアはそう言って、俺の腰へ短刀を差し込んだ。
カルミアが、珍しく口を挟まなかった。
フリシアは、短刀とリナリアの顔を交互に見ている。
「では、お互いに困った時は助け合うということで」
「姫さんは話をまとめるのが上手いなぁ」
リナリアは店主へ頭を下げた。
「おやっさん、この短刀、今日からこの兄ちゃんのもんでええ?」
「お前が作ったものだ。お前が決めろ」
店を出る時、リナリアは半開きの扉から手を振った。
「また来てな、オワリ! 今度は短刀の話、聞かせてや!」
俺は、異世界で初めて買い物をした。
手に入れたのは、可愛い獣人の少女が作った、星のような短刀だった。
そしてその短刀が、後に俺の命を何度も救うことになる。
武器屋を出たあと、俺たちは改めて大樹街ウーチアへ向かった。
大樹の幹に開いた巨大な入口の上には、木製の看板が掲げられている。
大樹街ウーチア。
その内部は、上へ上へと続いていた。
入口をくぐると、外の街の音が少し遠くなった。
大樹の内部には独特の響きがある。人の話し声、荷車の車輪、金属を打つ音。それらが幹の空洞で何度も反射し、どこから聞こえているのか分からなくなる。
「迷子になったら、どうするんだ?」
「階層ごとに色の違う灯りがあります。入口へ戻る道も、一定間隔で表示されています」
「それでも迷いそうだ」
「オワリは、元の世界でも道に迷っていたのですか?」
「スマホがあれば迷わない」
俺はスマホを取り出した。
画面には地図アプリがある。けれど、この世界の地図は当然表示されない。現在地を示す青い点だけが、何もない白い画面の上で点滅していた。
その青い点が、一瞬だけ二つに分かれた。
「どうかしましたか?」
「いや……画面の中で、俺が二人になった」
「姿送りの影響でしょうか?」
フリシアが覗き込むと、青い点は一つに戻った。
俺は、見間違いだと思うことにした。
ギルドへ向かう途中、俺たちは大樹の壁に埋め込まれた古い石碑を見つけた。
『樹は道を覚え、道は人を覚える』
短い言葉が、アザレア語で刻まれている。
「この石碑は、いつからあるんだ?」
「記録では、街ができる前からです」
フリシアが答えた。
「大樹に住む人たちは、樹そのものに意思があると考えています。私は、信じるかどうか決めていません」
「信じている顔に見えるけどな」
「領主は、信じる前に記録を読むものです」
「それなら、俺は記録を読めないから信じる側だ」
カルミアが笑った。
「お前は、知らないことを知ったふりしないからな。そこだけは信用できる」
武器屋で手に入れた短刀は、宿へ戻ったあと、俺の部屋の机に置かれた。
抜けば星のように光る。置いておくだけなら、ただの武器だ。
けれど、手に取ると、リナリアの耳と尻尾、作ったものを認めてほしいという目が浮かんだ。
武器は、自分で選んだものが一番だ。
カルミアの言葉を思い出す。
俺は、短刀を腰の左側へ収めた。
「まだ、騎士らしくはないな」
鏡に映った自分は、パーカーにチノパン、借り物の剣と短刀を下げた、異世界に迷い込んだ人間だった。
それでも、少しだけ立ち方が変わっていた。




