第二十章 命を斬る剣
戦場の左翼で、カルミアとムスカリが向かい合った。
「二十日ぶりだな」
「決闘の日から、まだ二十日だ」
「俺にとっては長いんだよ」
カルミアは笑っていたが、右手の指が微かに動いていた。
古傷が疼いているのだろう。彼は、それを見せないように柄を握った。
ムスカリは、剣先を低く構えた。
殺気が薄い。だからこそ、危険だった。
次の瞬間、彼が消えた。
カルミアの胸元で火花が散る。
一合目から、俺には剣が見えなかった。聞こえるのは金属音だけだ。カルミアはムスカリの剣を受けず、横へ流し、踏み込む位置を変え、何度も攻撃の中心を外している。
ムスカリは、その先に刃を置いた。
二人の間には、十数年分の記憶があった。
同じ師から剣を習い、同じ隊列で歩き、同じ命令書を読んだ。カルミアが九騎士を辞めた後も、ムスカリは騎士団へ残った。離れたから敵になったのではない。離れたまま、それぞれの選択を続けた結果、敵の旗の下で向かい合っている。
「カルミアの動きが、少しおかしい」
フリシアが呟いた。
「肩の傷だけではありません。ムスカリさんの方へ、わざと浅い攻撃を許しているように見えます」
「相手の剣を誘ってるのか?」
「はい。ムスカリは、カルミアの古い癖を知っている。カルミアは、ムスカリが知っていることを利用して、別の癖を見せようとしている」
「それって、剣で会話してるみたいだな」
「会話ができるなら、殺し合わずに済むのですが」
フリシアの声には、領主としての冷静さより、個人の願いが混ざっていた。
俺は、カルミアが落とした小石を見つけた。彼は攻撃の合間に、左足で小石を二度蹴っている。訓練の時にも使っていた合図だ。
一度なら、右へ。
二度なら、左へ。
三度なら、誰かの援護を求める。
カルミアは、俺へ直接助けを求めている。
けれど、ムスカリの方もそれに気づいているはずだった。
「オワリ、まだ動くな」
カルミアが、剣を交えたまま叫ぶ。
「今、手を出せば、ムスカリはお前へ向く。俺が欲しいのは、一瞬だけ視界を奪うことだ」
「それを先に言え!」
「言ったら、合図の意味がなくなる」
「俺は合図を見つけただけだぞ!」
ムスカリの目が、ほんの少しだけこちらへ動いた。
「カルミア。若い騎士を戦場へ置くようになったか」
「若いから、足が速い」
「剣は遅い」
「なら、足だけ借りる」
カルミアが、ムスカリの剣を受け流した。
彼は俺へ視線を送らない。ただ、左足で小石を一度だけ蹴った。
右。
俺は、短刀の鞘へ指を添えた。
「お前は、昔から人を守るために剣を遅くする」
「お前は、昔から勝つために人を数える」
「数えなければ、守れない」
「数えた結果、見捨てた子どもたちを忘れたか?」
ムスカリの剣が、カルミアの肩を裂いた。
血が、白い騎士服へ広がる。
「カルミア!」
「見るな、オワリ。自分の戦場を見ろ」
「でも――」
カルミアが、ムスカリの刃を受け流す。
「俺はまだ立ってる」
ムスカリが、一歩下がった。
敵の動きを見るのではなく、敵が動く前の準備を見る。肩の傾き。足の向き。呼吸の長さ。
俺は、決闘の時に聞いたカルミアの言葉を思い出した。
「ムスカリの剣は、次に斬る場所を呼吸から決めている」
「知っている」
カルミアが答えた。
「だから、呼吸を乱す」
彼は、わざと大きく息を吸った。
ムスカリの視線が、ほんのわずかに動く。
その隙に、カルミアが低く踏み込んだ。
ムスカリはそれを読んでいた。
読んでいたからこそ、俺の方を見なかった。
俺は、短刀の鞘に手を添えた。
「風よ、滑れ」
刃の周囲に風がまとわりつき、足元の砂を細く巻き上げる。
ムスカリの視界が、わずかに揺れた。
カルミアの剣が、ムスカリの剣を弾く。
俺は、その手首へ短刀を当てた。
ムスカリは、もう一方の手で俺の肩を打ち、俺を飛ばす。地面を転がった俺の背中へ、彼の刃が向いた。
「オワリ!」
カルミアが割り込んだ。
ムスカリの剣が、カルミアの胸元で止まる。
カルミアの剣も、ムスカリの喉元で止まっていた。
「どちらも、動くな」
裁定官が叫んだ。
「ムスカリ、戦闘不能。武器を置け」
ムスカリは、ゆっくりと剣を地面へ置いた。
「二人で来るとはな」
「俺一人じゃ勝てねえからな」
カルミアは、血を流しながら笑った。
「弱さを認めるのか」
「他人の力を借りるのは、弱さじゃねえ。俺たちは最初から、一人で戦ってない」
ムスカリは、カルミアの肩を一度だけ叩いた。
「数年前、王都の鉱山で暴動が起きた。坑道の奥に子どもたちが残された。騎士団は敵を制圧し、坑道を封鎖する命令を受けた」
「俺は命令を破った」
カルミアが言う。
「子どもたちを助けに行った。ムスカリは正面を守った。だから、俺たちはどちらも完全には間違っていないし、完全には正しくない」
ムスカリは、遠くのジギタリスを見た。
「ジギタリス卿は、勝敗が決まれば問題が消えると思っている。だが、勝敗の後に残るものを見ているのは、君たちのほうだ」
「それを、本人に言ってやれよ」
「今から言う」
ムスカリは戦場の外へ下がった。
カルミアは、その場で膝をついた。
「カルミア!」
「大丈夫だ。ちょっと血が出ただけだ」
「ちょっとじゃねえ!」
「騎士は、最悪を考えてから笑うもんだ」
「それ、俺の台詞だろ」
その瞬間、一本目の四騎士の旗が倒れた。
カルミアの傷を、フリシアの姿送りが作った写しが運んだ。
本物のフリシアは中央に残り、写しは負傷者を後方へ誘導する。
「写しに傷を治す力はない」
俺が言うと、フリシアは頷いた。
「だから、治療できる人のところへ運ぶだけです」
「それでも、戦場では大きい」
「一人で全部をする必要がないと、少し分かってきました」
カルミアは、簡単な止血を受けながら、ムスカリの方を見ていた。
ムスカリは、戦場の端で剣を置いている。
敗北した騎士は、すぐに離脱する必要がある。けれど彼は、まだ戦場を見ていた。
「ムスカリ。お前が、あの時の子どもを助けたかどうか、俺は知らねえ」
カルミアが言った。
「だが、正面を守ったから、俺は奥へ行けた。お前が命令を守ったから、俺は命令を破れた」
ムスカリは、少しだけ顔を上げた。
「それを、今になって言うのか」
「今まで言う場所がなかった」
「なら、今は聞いておく」
ムスカリは、倒れた旗へ一礼した。
「お前たちが勝つかどうかは、まだ分からない。だが、今回の戦いでは、俺はもう剣を出さない」
「最初から、そう言ってくれれば楽だったのにな」
「騎士は、楽な道を選ぶためにいるのではない」
「それを言うなら、俺たちは似た者同士だな」
ムスカリは、返事の代わりに背を向けた。
カルミアが立ち上がろうとしたが、俺が肩を押さえた。
「お前は、ここで休め」
「俺はまだ、剣を握れる」
「だからこそ、次に必要になるまで温存する」
カルミアは俺を見て、少しだけ目を細めた。
「言うようになったな、オワリ」
「三十回負けた成果だ」
「なら、三十一回目は勝てるかもしれねえ」
「今から訓練の話をするな」
左翼で勝敗が決まったことで、戦場の視線が中央へ集まった。
ロベリアが、クロユリとリナリアを見ている。
彼女の背後で、四つの精霊が光った。




