第十九章 白鐘平原
白鐘平原は、エクセアとバラウェルの境に広がっていた。
草は短く、地面は固い。遠くには白い石の塔があり、風が吹くたびに吊るされた鐘が鳴る。その音が平原の名の由来だった。
中央には、二つの領主旗が立っている。
青い花をあしらったアンジュ家の旗。緑の盤面に白い駒を描いたアドラメレク家の旗。
王都の裁定官と記録官が両側へ立ち、ギルドの紋章を持つ者は観客席から出られない。戦場へ入れるのは、領主、騎士、そして両領主が選んだ非ギルドの協力者だけだった。
エクセア側には、フリシア、カルミア、俺、クロユリ、リナリア、ネモ、フィラ。
ジギタリス側には、ムスカリ、ロベリア。そして、まだ中央の旗立てに置かれた黒と白の旗。
ネモとフィラは、俺たちの列にいる。
けれど正式には、まだどちらの四騎士に属するかを宣言していなかった。
「素晴らしい朝だねぇ!」
ジギタリスが、両手を広げた。
「駒が揃い、盤が広がり、観客もいる。これほど楽しい日は、なかなかありませんよぉ!」
「フリシアの土地を、盤と呼ぶな」
俺が言うと、ジギタリスは首を傾げた。
「土地は、持ち主が変われば別の顔を見せる。人は、領主が変われば別の生活を強いられる。なら、最初からゲームだと考えたほうが分かりやすいでしょう?」
「分かりやすいことと、正しいことは違う」
フリシアが答えた。
ジギタリスの緑の瞳が細くなる。
「君は、以前より少しだけ領主らしくなったねぇ。父君の真似をやめたのかな?」
「あなたに教えてもらったわけではありません」
「それは残念だ」
裁定官が手を上げた。
「これより、エクセア領統治権争奪戦を開始します。開始前の殺傷は禁止。降伏の意思を示した者への攻撃は禁止。勝敗条件は、四騎士のうち二人以上が戦闘不能となり、残る騎士の所属確認が終わった後、領主同士の最終対決へ移行し、領主旗が裁定官へ渡されるか、領主が降伏することです」
「領主同士の対決に、護衛は参加できるのか?」
フリシアが尋ねる。
「領主が自らの意思で許可した者は、領主を守るために参加できます。ただし、最終的な降伏宣言は領主自身が行わなければなりません」
フリシアが、俺たちを見た。
「皆さん。私は、最後まで自分で選びます」
「俺も最後まで、フリシアの剣でいる」
「なら、私も隣におる」
リナリアが拳を握った。
「俺は、姫様の背中を見てる」
カルミアが剣を抜いた。
「私は、フリシアの死角を守ります」
フィラが言う。
ネモは、大剣を肩へ担いだ。
「私は、フィラの隣で戦う。今日は、私たちの旗も自分で決める」
鐘が三つ鳴った。
「領主争奪戦、開始」
開始の合図と同時に、観客席から息を呑む音が起きた。
戦場は、一枚の平面ではない。
白鐘平原には、古い石柱がいくつも残っている。丘と呼ぶほど高くはないが、旗を守る者にとっては視界を遮る壁になる。東側には乾いた溝。西側には、朝露を含んだ浅い窪地。
ロベリアは、開始前から地形をすべて把握していた。
ムスカリは、カルミアが左翼へ出ることを予測している。
ネモとフィラは、中央の旗立てに近い。
「フリシア、中央から動くな」
俺が言った。
「領主は、前に出すぎるな」
「あなたがそう言うなら、前に出ます」
「どうしてだよ!」
「領主が後ろで隠れていると、領民に思われたくありません」
「隠れるのと、守られるのは違う」
「では、私は守られながら前にいます」
フリシアが、真剣な顔で言う。
俺は、返す言葉を失った。
「オワリ、フリシアっちは頑固ッスよ」
クロユリが、後ろで小さく笑う。
「それは、俺も知ってる」
「なら、言い負かすより仕込むッス」
クロユリは、フリシアの靴底へ小さな紙片を貼った。
「踏み込んだ時、足元に土の印が残るッス。姿送りの写しと本物を見分けるための、味方用の目印」
「敵にも見えるのでは?」
「敵に見える頃には、もう別の場所へ移動してるッス」
ネモが、大剣の柄を握った。
「フィラ。黒と白の旗は、中央のまま」
「うん。私たちが選ぶまで、どちらにも渡さない」
「私たちを、ジギっちは待たないと思う」
「待たせる。選ぶ時間を作る」
俺は、平原の端へ視線を走らせた。
観客席と戦場の間には、細い白線が引かれている。線を越えれば裁定官が止める。けれど、線の内側にいる者が倒れた時、誰がどこまで助けられるのかは明確ではない。
「負傷者を運ぶ場所がない」
俺が言うと、フリシアはすぐに答えた。
「西側の窪地を使います。姿送りの一枚を、そこへ誘導役として残す。王都の記録官へ、治療担当の位置も伝えてあります」
「開始前から、そこまで決めていたのか」
「勝敗を決める規則には、倒れた人をどう扱うかまでは書かれていません。だから、自分たちで決めておく必要があります」
カルミアが、左翼の石柱を見た。
「ムスカリは、あの柱の影を使う。ロベリアは、地面の状態を変える。ジギタリスは、全体を見ながら、誰かを孤立させる」
「ネモとフィラは?」
「二人は、ジギタリスの意図を知っている。だからこそ、あいつは二人を中央へ置いて、こちらの判断を遅らせるはずだ」
フィラが、静かに口を挟んだ。
「ジギタリス卿は、相手が守るものを増やします。旗、負傷者、味方の退路。守るものが多いほど、判断を分けられるから」
「なら、守るものを減らせばいい」
ネモが言った。
「旗を一つだけにする」
「できるだけ、しないでください」
フリシアが、ネモを見る。
「私は、旗を守るために仲間を切り捨てるつもりはありません」
ネモは少し考えた。
「じゃあ、全部守る」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないから、言っておくんだよ」
その言葉は、いつか俺がフリシアへ言ったものに似ていた。
勝つために、守るものを減らすのではない。
守るものが多いからこそ、役割を分け、互いの判断を信じる。
俺は、短刀の柄へ触れた。
「最後まで、全員で立つ」
「無理な目標ッス」
クロユリが言う。
「でも、仕込みを考える時は、無理な目標がある方がいい。そこから、誰がどこを補うか決められる」
リナリアが拳を握る。
「せやな。折れへんために、折れそうな場所を先に知る」
フリシアは、全員の顔を見た。
「では、全員で立つことを目標にします。立てなくなった人を責めない。立てる人が、次の一歩を作る」
ジギタリスが、遠くから手を叩いた。
「相談は終わったかなぁ? では、最初の手を動かそう」
彼が緑の旗へ手を向ける。
バラウェル側の兵士が、旗ではなく、エクセア側の補給箱へ走った。
「物資を狙ってる!」
リナリアが駆けた。
彼女の拳が、補給箱を運ぶ男の槍を折る。クロユリが土の壁を出し、箱を囲む。
「戦場で、旗だけを狙う必要はない」
ジギタリスが笑った。
「人を守る者は、人を守るために動く。なら、守るものを増やせば、剣は鈍る」
「守るものが多いから、剣を増やすんだ」
俺は、短刀を抜いた。
戦場が動き始めた。




