第十八章 決戦前夜
決戦前夜、食堂にはいつもより多くの椅子が並んだ。
カルミア、オワリ、フリシア、クロユリ、リナリア、ネモ、フィラ。
カルミアが作った夕食は、普段より少し豪華だった。けれど酒は出なかった。明日、剣を握る手を鈍らせないためだ。
「私は、中央で指揮を取ります」
フリシアが地図を広げた。
「姿送りを三枚。旗の守り、負傷者の誘導、敵の判断を乱すために使います」
「クロユリは後方を頼む」
俺が言うと、彼女は頬を膨らませた。
「私は、か弱い乙女ッス」
「山で俺を土壁で守った乙女が何を言ってる」
「仕込みは、近くにいるほど強いッス。オワリの短刀と、リナリアの武器を中心に守りを作る」
「うちは、旗の近くにおる。必要なら敵の武器を壊す」
リナリアが拳を握った。
「ネモとフィラは?」
「ムスカリとロベリアの動きを知っています」
フィラが答えた。
「ネモは前へ出る。私は、姉の死角と味方の逃げ道を守る」
「今までと、同じだな」
俺が言うと、ネモは首を振った。
「違うよ。今までは、フィラを守るために剣を振った。明日は、私たちが選んだものを守る」
カルミアは、修理された剣を見ていた。
「ムスカリは、俺が止める」
「一人で大丈夫か?」
「さあな。だから、オワリ。俺が倒れたら、姫様を頼む」
「倒れる前提で言うなよ」
「騎士は最悪を考えてから笑うもんだ」
「それ、俺の台詞だぞ」
食事のあと、俺は一人で中庭へ出た。
リナリアが鍛冶場から出てくる。
「眠れへんの?」
「お前もな」
「うちは、明日のために短刀を調整してた。刃が少しだけ重い」
リナリアは、俺の短刀を手に取った。
「この刀は、うちが作った。クロユリが仕込んで、オワリが使う。三人の仕事が重なっとる」
「だから、折れたら困るな」
「折れへん。作ったうちが言うんやから、信じて」
「分かった」
「それと、帰ってきてな」
「もちろん」
リナリアは短刀を返し、鍛冶場へ戻った。
今度は、クロユリが廊下から顔を出した。
「オワリ、まだ起きてるッスか?」
「みんな眠れないのかよ」
「私は、明日死ぬかもしれないと思うと、急に部屋の掃除をしたくなるタイプッス」
「それは現実逃避だ」
「そうとも言うッス」
クロユリは、俺の短刀の鞘へ新しい石を一つ埋めた。
「これは、火の依代。正確には火花しか出ないッス。魔法みたいな大技にはならない」
「火は使えないって言ってなかったか?」
「今までは、仕込みが足りなかった。オワリの短刀、リナリアの星鉄、私の依代。三つがあれば、一度だけ使える」
「一度だけ?」
「最後の奥の手ッス」
「また奥の手か」
「奥の手は、何本あってもいいんスよ」
夜明け前、フリシアが俺の部屋を訪ねた。
「眠れましたか?」
「少しだけ」
「私は、あまり眠れませんでした」
彼女は、窓の外の暗闇を見た。
「父の葬儀の日も、眠れませんでした。領主の印を受け取った日も。けれど明日は、今までとは違います」
「何が違う?」
「私が、父の代わりとしてではなく、フリシアとして戦うからです」
「なら、俺もフリシアの騎士として戦う」
「オワリ」
「なに?」
「明日、私をフゥと呼んでください」
「決戦が終わったらな」
「約束です」
窓の外で、遠くの鐘が一つ鳴った。
夜が深くなっても、食堂の灯りは消えなかった。
カルミアは、修理された剣の鞘へ油を塗っていた。ムスカリとの決闘で受けた傷は深くないと言っていたが、包帯は厚い。
「本当に戦えるのか?」
「剣を握れるなら、戦える」
「それ、カルミア基準だろ」
「俺は、昔から無茶をする側だった」
「九騎士を辞めた時も?」
カルミアの手が止まった。
「あの時は、無茶をしたんじゃねえ。無茶をしなかった」
「どういう意味だ?」
「全員を守ろうとして、誰も守れないくらいなら、目の前の子どもを選ぶ。そういう意味だ」
「明日、俺は誰を選べばいい?」
「姫様を選べ。だが、姫様だけを見るな。戦場全体を見ろ」
それは、矛盾しているようで、カルミアらしい答えだった。
ネモとフィラは、屋敷の廊下で静かに剣を合わせていた。
「明日、もし私たちが敵側へ戻ったら」
「その時は、私が止める」
「フィラに?」
「ネモ姉に」
「私を止められる?」
「止める。必要なら、見えざる刀で足を切る」
「怖い妹だね」
「姉さんが無茶をするから」
二人の会話は、互いへの信頼でできていた。
リナリアは、鍛冶場で俺の短刀の柄を調整した。
「刃が少し欠けてる。明日、無理に使ったら折れるかもしれへん」
「折れたら、作り直せるか?」
「同じものは作れへん」
「なら、折れないように使う」
「それが一番難しいんやけどな」
クロユリは、地図へ小さな印をつけていた。
「白鐘平原は、風の通り道が多いッス。朝は西から、昼は南から。乾いた地面だから土の仕込みは長く保つけど、水は蒸発しやすい」
「戦う前から、そんなことまで分かるのか?」
「分からないから調べるッス。錬金術師は、分からないまま仕込まない」
「俺は、分からないまま飛び込む」
「だから、私たちが先に調べるッス」
フリシアは、食堂の灯りを一つずつ消していった。
最後に、俺の前で立ち止まる。
「オワリ」
「何だ?」
「明日、私は領主として戦います。けれど、怖くなったら、フリシアとしてあなたを呼ぶかもしれません」
「その時は、フゥって呼ぶ」
彼女は、少しだけ笑った。
「約束しましたから」
その後、俺たちは庭へ集まった。
夜明け前の空はまだ暗く、屋敷の防御灯だけが地面を照らしている。決戦の直前に訓練をするのは危険だとカルミアは言ったが、実戦で初めて試すよりはましだと、最後には認めた。
「一度だけ、予定どおりに動いてみる」
フリシアが言った。
「カルミアとネモが敵を引きつける。フィラが死角を作る。リナリアが旗へ近づく者を止め、クロユリが退路を確保する。私は三枚の姿送りで、負傷者を運ぶ」
「オワリは?」
ネモが尋ねた。
「私は、フリシアの近くにいます」
「それだと、どこへでも行けないよ」
「だから、近くにいるまま、必要な場所へ行きます」
「難しいね」
「難しいから、オワリがやる」
フィラが淡々と言った。
俺は、地面へ引かれた線を見た。旗の位置。負傷者を運ぶ窪地。クロユリが仕込んだ金属板。リナリアが立つ場所。カルミアとネモが敵を迎える場所。
全部を覚えることはできない。
だから、全部を覚えようとしない。
フリシアの声。カルミアの剣。リナリアの足音。クロユリの詠唱。ネモの大剣。フィラの、聞こえない刃。
それぞれを合図にする。
「オワリ、私の声が聞こえなくなったら、旗ではなくカルミアを探して」
フリシアが言った。
「カルミアの声が聞こえなくなったら?」
「私を探す」
「二人とも聞こえなくなったら?」
クロユリが、俺の短刀の鞘を指した。
「短刀の火花を使うッス。光が上がれば、私たちが位置を見つける」
「火の依代は一度きりじゃなかったか?」
「だから、使う時を間違えない」
リナリアが、俺の肩を軽く叩いた。
「オワリは、全部を一人で見ようとせんでええ。見えた人に任せる。それが星走武の続きや」
「星走武に、そんな教えまであるのか?」
「今、うちが追加した」
「便利だな」
ネモが大剣を持ち上げた。
「私は、ジギタリス卿の剣を見たら、たぶん前へ出る」
「たぶんでは困ります」
フィラが言った。
「ネモ姉が前へ出る時は、私が先に道を作る。私が黙ったら、ネモ姉は止まる」
「分かった。フィラが黙ったら、私も考える」
「考えるだけで、振らないとは言っていませんね」
「考えながら振るよ」
「それが一番危ない」
カルミアが、庭の端から声をかけた。
「そろそろ終わりにしろ。戦場で眠くなったら、俺が敵より先にお前たちを斬る」
「カルミア、それは味方への脅しです」
「覚えやすいだろ」
「覚えやすさで決めるなよ」
笑いが起きた。
明日、誰かが笑える保証はない。
それでも、今笑えたことが、明日へ持っていけるものの一つだった。
夜明け前、俺たちは屋敷を出た。
東の空が白くなる。
領主旗は、カルミアが抱えていた。エクセアの青い花が、朝の風に揺れている。
フリシアは、旗の布へ手を添えた。
「行きましょう」
誰も、勝てるとは言わなかった。
それでも、誰も立ち止まらなかった。




