第十六章 地下に眠る境界
村の火事の後、フリシアは父親の事故について本格的に調べることを決めた。
「鉱山の記録に、空白があります」
屋敷の書庫で、彼女は古い地図を広げた。
「事故の三日前から、地下第三坑道の採掘記録が消えている。父は、そこへ調査に入っていました」
「事故の原因は、ただの落盤じゃない?」
「それを確かめるために、鉱山へ行きます」
俺たちは、エクセアの旧鉱山へ向かった。
カルミアは反対したが、フリシアは領主として自分で見る必要があると言った。
坑道の入口には、事故以来使われていない封鎖札が貼られている。クロユリが札を調べた。
「この封印、鉱山の人が作ったものじゃないッス」
「では?」
「古い。少なくとも、今の王都式とは違う。言の葉の形が違うッス」
地下へ進むと、壁の岩に淡い青い筋が走っていた。
アガパ鉱石に似ているが、光り方が違う。星が岩の内部で眠っているようだった。
「父は、これを見つけたのか」
フリシアは、岩へ手を伸ばした。
守護宝珠が反応し、蒼い光が洞窟を満たす。
奥には、石でできた扉があった。
扉には鍵穴も取っ手もなく、中央に細い裂け目だけがある。
俺のスマホが、ポケットの中で震えた。
画面には、八時十八分の時刻。
そこから、細い線が扉へ向かって伸びている。
「オワリ?」
「俺のスマホが、あの扉を示してる」
「何ですか、それ」
「俺の世界の道具だ。たぶん、俺にもよく分からない」
扉の向こうから、風の音がした。
サルビアの声に似ている。
「これは、境界の跡だよ」
彼女が、いつの間にか坑道の奥に立っていた。
カルミアが剣を抜く。
「お前は何者だ?」
「サルビア。オワリを連れてきた人」
「その話は聞いた」
「この扉は、世界と世界の間にある。開けば、別の場所へ行ける。閉じれば、こちら側のものになる」
「父は、扉を開けようとしたのでしょうか?」
フリシアが尋ねる。
サルビアは答えなかった。
代わりに、扉の下へ手を置いた。
「ゼフィランサスは、開けるのではなく、閉じようとしていた」
「何を?」
「こちら側へ漏れてくるものを」
洞窟の奥で、岩が崩れた。
壁の中から、見たことのない黒い鉱石が転がり出る。
黒い石の表面に、俺の部屋の天井が映った。
一瞬だけ。
次の瞬間、映像は消えた。
「ジギタリスは、この扉の存在を知っているのか?」
「知らないかもしれない。けれど、価値のある土地を欲しがる理由は、それだけで十分」
サルビアは、俺へ視線を向けた。
「あなたが落ちてきた場所と、この扉は同じ種類の境界でつながっている」
「じゃあ、俺は帰れるのか?」
「帰る道はある。けれど、戻るためにはこちら側とのつながりを切る必要がある」
「フリシアたちを置いて?」
「選ぶのはあなた」
フリシアは、俺の隣に立った。
「帰りたいなら、帰って構いません」
「まだ決めてねえよ」
「それでも、選択肢があることは覚えていてください」
俺はスマホをポケットへしまった。
「今は、領地争いを終わらせる」
サルビアは頷いた。
「それが、あなたの選択なら」
帰り道、フリシアは父のことを話さなかった。
けれど、屋敷へ戻ったあと、父の肖像画の前で長い時間立ち止まっていた。
俺は、その横に並んだ。
「父親の代わりにならなくていい」
「まだ、その言葉を言うのですか?」
「何度でも言う。フリシアはフリシアだ」
彼女は、肖像画を見上げたまま微笑んだ。
「では、オワリ。いつか、フゥと呼んでください」
「決戦が終わったらな」
鉱山から持ち帰った記録を、フリシアは一晩かけて整理した。
帳簿の切り取られた頁。事故の前に書かれた父親の走り書き。王都へ送られなかった報告書。
その中に、一枚だけ封をされた手紙があった。
『フリシアへ。もし私が戻らなかったら、第三坑道の扉を開けてはいけない。あれは、領地の利益になるものではない。人が扱ってよいものでもない』
差出人は、ゼフィランサス。
フリシアは、手紙を何度も読み返した。
「父は、扉を知っていた」
「開けるなって書いてある」
「では、事故は扉を閉じるために起きたのでしょうか」
カルミアが、手紙の裏側を調べる。
「これは、父親が誰かへ送るつもりだったものだ。宛名がない」
「送れなかった?」
「あるいは、送る前に事故が起きた」
フリシアは、手紙を胸元へ抱えた。
「私は、父の死の原因を知りたい。でも、父が守ろうとしたものを、私が開いてしまうのは怖い」
「なら、今は開けない」
俺が言う。
「知らないものを、すぐに使う必要はない。守るなら、閉じたまま守る方法もある」
クロユリが、頷いた。
「扉の周囲へ、錬金術の封印を重ねることはできるッス。永久ではないけど、誰かが勝手に開けるのは防げる」
リナリアが、金属板を打ち直した。
「なら、うちらが勝てるまで、扉を守る」
「勝った後は?」
フィラが尋ねた。
「その時に、王都と相談する。大樹の都の記録にも残す」
フリシアが答えた。
「父が一人で抱えたものを、私も一人で抱える必要はありません」
扉へ封印を施す間、俺は何度も、最初に落ちた時のことを思い出した。
玄関を開けた先に、床がなかった。
落下しながら見た、空飛ぶトカゲと城塞都市。水色の髪の少女。空の端にいた茶色の髪。
あの扉が、俺をこちらへ通したのか。
それとも、サルビアが別の場所から俺を投げ込んだのか。
考えても、答えは出ない。
ただ、落ちた先にフリシアがいたことだけは、偶然だと思いたくなかった。
封印が完成した夜、サルビアが坑道の入口へ現れた。
「三つの鐘が鳴る夜、境界は一度だけ開く」
「決戦の日に?」
「勝敗が決まった後に。あなたが帰るためにも、残るためにも」
「扉は、通る人が意味を決めるんだな」
「あなたは、最初からそうだった。玄関を開けたのは、あなた自身だから」
サルビアは、フリシアを見た。
「彼女は、あなたをこちらへ縛らない」
「分かってる」
「なら、選べるね」
サルビアは消えた。
残された俺は、封印された扉へ手を置いた。
「今は、閉じていてくれ」
扉の向こうから、返事のように風が吹いた。
屋敷へ戻った翌日、フリシアは鉱山の入口を閉じる命令を出した。
「領主争いの最中に、採掘を止めれば財源は減ります」
商人の一人が不安そうに言った。
「分かっています」
フリシアは、王都へ提出する書類を示した。
「だから、止めた理由を隠しません。第三坑道の事故原因が分かるまで、危険な区域だけを閉じます。安全が確認できた坑道は、記録を残して再開する」
「ジギタリス卿に攻められている今、そこまで正直にして大丈夫なのですか?」
「不都合な記録を隠せば、勝っても領主として信用されません。父が残した空白を、私まで増やすわけにはいきません」
商人は、しばらく書類を見た。
「採掘を止める命令ではなく、危険区域の指定。作業できる場所を明記し、補償の条件も書く。これなら、職人へ説明できます」
「お願いします。説明する人が足りなければ、姿送りを使います」
フリシアの判断は、早くはなかった。
けれど、誰かが次に何をすればいいのかが、書類の中に残っていた。
その夜、俺はスマホを坑道の地図の上へ置いた。
画面の八時十八分は動かない。けれど、黒い鉱石を近くへ置くと、圏外の文字の下に細い光が浮かんだ。大樹街の方角、古い鉱山、そして俺の部屋があった場所。その三つを結ぶ線だった。
「扉は、帰る場所だけでなく、こちらへ来た理由も覚えているのかもしれない」
俺が言うと、クロユリは鉱石の表面を覗き込んだ。
「道具が覚えているというより、オワリが忘れていないから反応するんス」
「俺が?」
「境界の道は、場所だけでできていない。行きたいという意志と、戻りたくないという意志の両方がないと開かないのかもしれない」
「戻りたくないとは、思ってない」
「そう言い切れるなら、少し安心ッス」
クロユリは、鉱石を布へ包んだ。
「決戦の前に、境界のことで頭をいっぱいにしない方がいい。今は、目の前の旗を取ること」
「分かってる」
フリシアが、書庫の扉からこちらを見ていた。
「領主争いが終わったら、皆さんで第三坑道の記録を整理しましょう」
「皆さんで?」
「一人で抱えると、また空白ができますから」
その言葉に、俺たちは頷いた。
終末のゲームは、まだ始まっていない。
けれど、勝った後に何をするのかを考えることが、すでに戦いの一部になっていた。




