第十四章 作戦参謀ロベリア
フリシアが村々へ補償金を運ぶ途中、街道の橋が崩れた。
橋そのものが壊されたわけではない。支柱に水の精霊の力が染み込み、木材の内側だけが腐っていた。
「錬金術ではないッス」
クロユリが崩れた柱を調べる。
「複数の精霊へ、同時に細かい命令を出してる。こんな精度は、私には無理ッス」
「私の仕業だ」
橋の向こうから、赤い髪の女が歩いてきた。
細い眼鏡。冷静な瞳。片手に短刀。周囲には、火、水、風、土の微精霊が小さな光となって漂っている。
「ロベリア。バラウェル騎士団軍務長。作戦参謀を務めている」
「四騎士の一人か」
「そう。私は、戦場を設計する側でもある」
ロベリアが指を鳴らした。
橋の下から土の槍が生え、俺たちの退路を塞ぐ。カルミアが剣で砕き、リナリアが倒れた柱を踏み台に跳んだ。
「獣の足運びか。面白い」
ロベリアの短刀が、リナリアの拳を紙一重で受ける。
「作戦参謀が前へ出てええんか?」
「必要なら出る。指揮官が安全な場所にいるほど、部下は死にやすい」
火の精霊がリナリアの足元を焼く。
彼女は半歩退き、拳を引いた。
「熱いのは苦手やねん」
「なら、拳以外を使えばいい」
「うちは武器を作る側やからな。壊すのは得意やで」
リナリアが地面へ手をつく。
星走武は相手の重さだけでなく、地面の重さも借りる。橋を支える金属杭が、一本、二本と折れた。
ロベリアの精霊陣が崩れる。
クロユリが、地面へ細い金属板を投げた。
「準備の数で勝負するッス!」
土の壁が立ち上がる。ロベリアの火が壁を焼き、水が蒸気を作る。風が蒸気を散らし、土の粉が視界へ舞う。
「錬金術は、前もって仕込むもの。精霊使いは、その場で命じるもの。なら、こっちは準備の数で――」
蒸気の向こうから、刃だけが見えた。
ロベリアは壁と壁の間を抜け、クロユリの肩を浅く斬った。
「クロユリ!」
リナリアが飛び込む。
ロベリアが、土の精霊へ命じた。地面が跳ね、リナリアの足が取られる。
俺は短刀を抜き、クロユリの前へ立つ。
「風よ、滑れ」
刃を風が押す。
ロベリアの短刀を弾き、眼鏡の横をかすめた。
「オワリ。今の言葉は、錬金術か?」
「魔法と錬金術の間だ。俺もよく分かってない」
「理解していないものを、よく使える」
「使えるなら、後で考える!」
クロユリが、水の依代を開いた。
霧が広がる。
ロベリアの周囲に、複数のクロユリの姿が映った。フリシアの姿送りではない。錬金術で作った一瞬の水鏡だ。
ロベリアはすべてを焼き払おうとした。
その瞬間、リナリアが地面を蹴った。
彼女の拳が、ロベリアの手首を外へ流す。短刀が地面へ落ちた。
クロユリの土壁が、ロベリアを囲む。
「ロベリア、戦闘を続けるか?」
カルミアが尋ねた。
ロベリアは、焼けた金属板と、傷ついたクロユリを見た。
「私は戦闘不能ではない」
「なら、なぜ剣を置く?」
「橋を壊した目的は、あなたたちの補給を止めることだった。だが、すでに村の物資は別の道へ回されている」
ロベリアは、フリシアを見た。
「予定を読み、先に手を打った。領主としては、悪くない」
「私たちを試したのですか?」
「作戦の結果を知りたかった」
ロベリアは短刀を拾わず、地面へ置いた。
「私は戦場が嫌いではない。だが、勝敗を決めるために人を数字にする者へ、これ以上作戦を渡す気はない」
「ロベリア、戦闘不能」
裁定官がいない場で、誰かが宣言したわけではない。
けれど、ロベリアが戦う意思を失ったことは、全員に分かった。
彼女は去る前に、クロユリへ言った。
「錬金術師。精霊に頼る方法は、魔力を持たない者の工夫だ。私は、その工夫を軽蔑しない」
「次は、正面から来るッス」
「もちろん」
ロベリアは封書を一枚、フリシアへ投げた。
「王都から正式な日取りが届いた。宣戦布告から三か月後、白鐘平原」
封書を開く。
決戦まで、残り二十日だった。
橋の仮修繕を終えたあと、フリシアはロベリアへ一人で話しかけた。
「どうして、私たちへ日取りを教えたのですか?」
ロベリアは、橋の欄干へ背を預けた。
「決戦の日が変わることはありません。あなたたちが逃げれば、探す手間が増えるだけです」
「それだけではないでしょう」
「あなたは、私を疑うのが上手い」
「領主として必要だと、父の帳簿に書いてありました」
「ゼフィランサス卿は、疑うことを恐れない人だった」
ロベリアは、壊れた橋の下を見た。
「私はジギタリス卿の軍務長です。命令を遂行することが仕事。ですが、命令が正しいかどうかを考えることまで、放棄した覚えはありません」
「では、ジギタリス卿の勝利を望んでいない?」
「望んでいます。私は、仕えると決めた相手の勝利を望む」
「矛盾していませんか?」
「人は、矛盾したままでも戦えます。だから、作戦を立てる」
ロベリアは、赤い髪を風に揺らした。
「あなたは、戦いの後に何を残すつもりですか?」
「街道を直し、鉱山を調べ、父の帳簿を読み直します」
「それだけ?」
「それだけではありません。領民が、領主に期待してよいのか分からない状態を終わらせたい」
ロベリアの瞳が、初めて少しだけ柔らかくなった。
「そういう言葉を、戦場で言えるといいですね」
「戦場で言うために、今から練習しています」
「では、明日も会いましょう」
ロベリアは背を向けた。
フリシアは、その背中を見送りながら、手紙を握り直した。
「敵にも、敵の事情があるんだな」
俺が言うと、彼女は頷いた。
「だからこそ、戦う前に決めなければなりません。誰を敵と呼ぶのか」
橋の仮修繕が終わるまで、俺たちは近くの村へ滞在した。
村人たちは、ロベリアが来たことを知っていた。敵の作戦参謀が橋を壊し、フリシアたちが直した。そこまでは、噂としてすぐに広がっている。
「あの女を、捕らえなかったのですか?」
村の代表が尋ねた。
「戦う意思を失った人を、こちらから捕らえることはしません」
フリシアが答える。
「王都へ証言することは、本人も了承しています。彼女を許したわけではありません。けれど、敵だからという理由だけで、言葉まで奪うつもりはありません」
代表は、壊れた橋を見た。
「もし、また攻撃されたら?」
「今度は、攻撃された後に直すのではなく、攻撃される前に守ります」
フリシアは、橋の両側へ小さな見張り台を置く案を出した。クロユリが水の精霊の流れを監視する板を作り、リナリアが金具を補強する。カルミアは夜間の見回りを村人へ教え、ネモとフィラは橋の下へ降りて隠れ場所を調べた。
「領主様は、戦いに勝つ前から、橋の話をするのですね」
「橋は、戦いが終わっても残りますから」
フリシアは、村人が持ってきた粗末な椅子へ腰を下ろした。
「私はまだ、誰を敵と呼ぶべきか、すべて分かっているわけではありません。ですが、誰が困っているかは、見れば分かります。そこから始めます」
村の代表は、しばらく黙ってから頭を下げた。
「では、橋が直ったら、こちらからも見張りを出します。領主様だけに守らせる橋ではありません」
帰り際、俺は橋のたもとで、地面に残った赤い草の切れ端を見つけた。
アカサス草ではない。けれど、ガルラ山で見たものと同じ刃物の跡があった。
誰かは、戦う場所だけでなく、逃げ道や補給路まで先に見ている。
俺はそれをフリシアへ伝えた。
「記録しておきます」
彼女は帳面を開いた。
「証拠にならなくても、同じ印が続けば意味を持つかもしれません」
その三日後、東部の村から倉庫火災の知らせが届いた。




