第十三章 黒と白の姉妹
ネモとフィラが屋敷へ現れたのは、月のない夜だった。
最初に気づいたのはクロユリだった。
「屋根の上に、二人いるッス」
「二人?」
「一人は大剣を持ってる。もう一人は、武器を持ってないのに、こっちの首を狙ってるッス」
俺が窓へ近づく前に、屋根から影が落ちてきた。
黒髪の少女が、窓枠へ足をかける。
「領主様の寝室は、こっちで合ってる?」
「ネモ姉、正面から入る約束だったよ」
白髪の少女が、庭へ下りる姉を追った。
「窓を割らないで。フリシアさんの家だから」
「フィラ、窓は割ってないよ。開いてた」
「それは、前にクロユリさんが直し忘れただけです」
「じゃあ、やっぱり入っていい窓だったんだ」
「違います」
二人の会話は、最初から不思議な速度で進んでいた。
ネモは自分の身長より大きな大剣を担いでいる。小柄な身体のどこに、そんな力があるのか分からない。
フィラは武器を持っていない。けれど、指先がわずかに動くたび、庭の草が一本だけ切れた。
見えない刃。
「あなたがフリシア?」
ネモが、大剣を抜いた。
「私の名前を知っているのですね」
「ジギっちが言ってた。空いた領主の席。三か月で取り合うんだって」
「ネモ姉、先に名乗って」
「私はネモ。こっちは妹のフィラ」
「バラウェル騎士団の副団長です」
フィラが頭を下げた。
「今日は、偵察です」
「大剣を抜いた偵察があるか!」
「手合わせも、偵察のうちだよ」
ネモが踏み込む。
フリシアの姿送りが、咄嗟に発動した。
庭に三人のフリシアが現れ、左右へ散る。ネモの大剣が地面を砕き、偽物の一人が光の粒となって消えた。
「面白い!」
ネモが、二人目の写しへ向かう。
俺は短刀を抜き、刃に風をまとわせた。
「風よ、滑れ」
ネモの大剣の柄へ、短刀を当てる。
正面から受けたら、腕が折れる。だから柄へ触れ、力の向きをずらす。リナリアに教えられた星走武の考え方を、短刀で真似した。
大剣の軌道が、わずかに外れる。
「オワリ、今の良いね!」
「褒めてる場合か!」
フィラの指が動いた。
空気が細く裂け、俺の頬に赤い線が走った。
「フィラの刀は、見えない」
「先に言ってくれ!」
「言えば、避けるでしょう?」
「それが普通だ!」
ネモの大剣は、正面から道を壊す。
フィラの見えざる刀は、逃げ道を閉じる。
二人の連携は、長い時間をかけて身体へ刻まれたものだった。
ネモが踏み込む時、フィラは必ず姉の死角を守る。フィラが刃を放つ時、ネモは必ず妹の足元を空ける。
「二人とも、互いを守るために動いている」
俺が言うと、フィラの指が止まった。
「それが、私たちの剣です」
「なら、二人で一人の駒って言い方は違うだろ」
ネモの表情が変わった。
「ジギっちは、そう言ってた?」
「自分で言っていた。黒と白の一枚の駒だって」
「私たちを拾ってくれたのは、ジギっちだよ」
「拾ったから、捨ててもいいのか?」
ネモが大剣を引いた。
「オワリ、あなたは変な人だね」
「そっちもな」
「次は、本気で戦おう」
フィラが、姉の腕へ手を添えた。
「今日は、ここまでです。ネモ姉、帰りましょう」
「えー」
「約束を忘れたの?」
ネモはしぶしぶ大剣を鞘へ戻した。
窓へ戻る直前、フィラが振り返る。
「もし、私たちが選べる時が来たら」
「その時は、自分で選べばいい」
俺が答えると、ネモは一瞬だけ目を丸くした。
「フィラ。あの人、変だけど嫌いじゃない」
「それは、まだ好きになってはいけないよ」
「そういう意味じゃない!」
姉妹の声が、夜の屋敷から遠ざかっていった。
窓を閉めようとした時、庭の隅で、もう一度だけ草が切れた。
「フィラ?」
返事はなかった。
俺は警戒しながら庭へ出た。月のない夜でも、フィラの姿は見えない。けれど、地面に細い線が走り、その先で小さな石が二つに割れた。
「見えていないと思っているなら、違う」
声だけが聞こえる。
「ネモ姉は、音が大きいから見つけやすい。私は、音を残さない。その違いを、敵は利用する」
「俺に教えているのか?」
「明日の敵になるかもしれない人へ、手の内を見せるのは変ですか?」
「変だけど、もう慣れた」
フィラが、庭の灯りの外へ現れた。
白い髪が、夜の中で薄く浮かんでいる。
「ネモ姉は、ジギタリス卿に恩があります。私は、その恩を理由に、姉が壊れていくのが嫌です」
「ネモは、自分で決めてるように見える」
「自分で決めているつもりで、誰かに決められた選択をしていることがあります」
フィラは、指先へ小さな金属片を挟んだ。
「この刃は、私が作りました。ジギタリス卿から与えられたものではありません」
刃が一度だけ光り、俺の足元へ落ちた。
「自分で作ったものまで、誰かの道具になるのは嫌です」
「じゃあ、好きに使えばいい」
「簡単に言いますね」
「俺は、好きに使えるものが少ない世界から来たからな」
スマホ、家の鍵、母親からの電話。
どれも、こちらへ来た瞬間に意味を失いかけた。それでも、俺は持ち続けている。
「自分のものだと言い切れるものがあると、少しだけ立っていられる」
フィラは、しばらく俺を見た。
「では、明日も自分のものを守ってください」
「お互いにな」
「はい」
フィラが消えると、庭の草が一度だけ揺れた。
俺は、落ちた金属片を拾わず、その場へ置いたままにした。
敵の武器であっても、それを作った人間の意志まで敵だとは限らない。そんな考え方は、決戦の前には甘すぎるのかもしれない。
けれど、フィラが自分の刃を自分のために使う日が来るなら、その甘さを捨てない方がいいと思った。
翌朝、ネモとフィラは屋敷の食堂にいた。
二人が食卓を囲むのは初めてだった。ネモは大皿の肉を見て目を輝かせ、フィラは姉がフォークを使う前に手で取らないかを監視している。
「ネモ姉、食器を使って」
「手で食べた方が早いよ」
「早さを競う食事ではないよ」
「でも、カルミアの料理はおいしい」
「それは、食器を使っても変わらない」
カルミアが、二人の前へスープを置いた。
「口に合うかは知らねえが、食える時に食っとけ」
ネモが、しばらくスープを見つめた。
「私たちは、食べる場所を選べなかった」
「ネモ姉」
「昔、村が襲われた。フィラと二人で逃げた。バラウェルの騎士団が見つけてくれた。ジギっちは、その時に私たちを騎士団へ入れてくれた」
フィラが、静かに続けた。
「だから、ジギタリス卿に恩がある。恩があるから従うべきだと、ずっと思っていました」
「恩を返す方法は、従い続けることだけじゃない」
俺が言うと、フィラは手元のスープへ視線を落とした。
「そう言ってくれた人は、今までいませんでした」
「俺も、元の世界で誰かに言われたわけじゃない。たぶん、今思いついただけだ」
「なら、今思いついた言葉を、忘れないでください」
ネモが、皿を空にした。
「オワリ、次の手合わせはいつ?」
「俺は朝飯の直後に戦う人間じゃない」
「私は、朝飯の直後でも戦えるよ」
「ネモ姉、食後は休むものです」
黒と白の姉妹は、まだこちらの仲間ではなかった。
けれど、少なくとも、敵の屋敷で食事をする人間ではなくなり始めていた。




