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EP 9

不戦の絶対防壁(思想の頂点)

「死ねッ! 狂人め!!」

背後で、視察官が魔導ライフルの引き金を引く音が響いた。

(あ、終わった)

僕の脳内で、生存本能が真っ白な遺書を書き殴った。

どう足掻いても避けられない。背中から心臓を撃ち抜かれて即死だ。

――カァァァンッ!!

だが、僕の背中を貫くはずだった凶弾は、金属が激突するような甲高い音と共に空中で弾け飛んだ。

「……なっ!?」

驚愕の声を上げたのは視察官だった。

僕が恐る恐る振り返ると、視察官の持つ魔導ライフルの極厚の砲身が、まるでバターのように斜めに切断され、地面に滑り落ちていた。

その切断面に突き刺さっていたのは、一枚の「名刺」。

「……お客様。当村での粗野な振る舞いは、お控えいただきたい。紅茶の香りが濁ります」

いつの間にか、僕と視察官の間にリバロンが立っていた。

完璧な燕尾服。一切の乱れもない所作。だが、その琥珀色の瞳には、人狼族特有の「底冷えするほどの残虐な殺意」が満ちている。

「き、貴様……たかが執事風情が、帝国の役人に逆らう気か!」

視察官が切断されたライフルを投げ捨て、腰の軍刀に手をかけようとした、その時。

「ねえ」

視察官の背後。ワイバーンの巨大な背中の上に、フワリと降り立った影があった。

「誰の許可を得て、私のソウマに銃口を向けてるの?」

キャルルだった。

彼女の赤い瞳は、光の射さない深海のように濁りきっている。口元には微笑みを浮かべているが、その笑顔は完全に壊れていた。

彼女の指先が、ワイバーンの太い首筋をなぞる。それだけで、凶暴なはずの飛竜が怯えた犬のように「キャンッ」と甲高い悲鳴を上げ、地面に伏せた。

「ソウマを傷つけようとするなら、四肢を切り刻んで、内臓を引きずり出して、一生死ねないように全回復させてあげる。……ねえ、どこから潰されたい?」

「ひ、ひぃぃぃっ!?」

ヤンデレ雷神の底知れぬ狂気に当てられ、視察官は腰から崩れ落ちた。

彼は這いずるようにしてワイバーンから距離を取り、広場の端で様子を見ていたルナミス帝国の駐留兵たちに向かって絶叫した。

「お、お前ら! 何をしている! 叛逆だ、こいつらを今すぐ撃ち殺せェェッ!!」

怒号が響き渡る。

チャキ、チャキ、チャカッ。

兵士たちが一斉に魔導ライフルの安全装置を外し、武器を構えた。

(……ああ。やっぱり、こうなるのか)

僕は絶望で目を閉じた。

いくら僕らが昨日、一緒に芋煮を食べたからといって、彼らは帝国の軍人だ。上官の命令は絶対であり、逆らえば軍法会議で死刑になる。僕とキャルルたちがハチの巣にされるのは避けられない。

しかし。

数秒待っても、発砲音は聞こえなかった。

「……ん?」

そっと目を開けた僕の視界に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

帝国兵たちの銃口は、僕たちではなく、這いずる「視察官」の頭に向けられていたのだ。

いや、彼らだけではない。レオンハート王国の獣人兵も、アバロン皇国の魔族兵も、全員が武器を構え、僕を庇うように視察官を取り囲んでいる。

「お、お前たち……狂ったか! 自分が何をしているのか分かっているのか!」

視察官が泡を飛ばして叫ぶ。

帝国兵の一人が、昨日僕と一緒に太陽芋の皮を剥いた若い兵士が、銃口をぴたりと安定させたまま、静かに答えた。

「分かっていますよ。……ですが、俺たちはもう、ソウマ先生の畑を踏みにじる奴を、許す気にはなれないんです」

「俺たちの美味い飯を邪魔すんじゃねえ、三流役人」

(ああ……)

僕は、震えそうになる足の感覚を忘れ、胸の奥から湧き上がる熱い塊に言葉を失った。

心臓の鼓動が、恐怖からではなく、圧倒的な感動で跳ね回っている。

(孔子先生……あなたが『論語』で説いた言葉、「徳は孤ならず、必ず隣あり」。……本当だったんですね。理不尽な力ではなく、正しく生きようとする者の周りには、必ず人が集まるんだ……!)

僕は、泥と灰にまみれた作務衣のまま、ゆっくりと立ち上がった。

そして、視察官の前に進み出た。

「ひっ……く、来るな……!」

僕の手には武器はない。ただ、一つだけ拾い上げた「黒焦げの太陽芋」を握っているだけだ。

だが、視察官は僕の姿を見て、まるで死神を見るように顔をひきつらせて後ずさった。

「『道之以政、齊之以刑、民免而無恥』」

僕は、静かな、だが広場全体に響き渡る声で告げた。

「法や力だけで民を従わせようとすれば、人は罰を逃れるだけで恥を知らなくなります。……あなたが力で押さえつけようとした結果が、これです」

僕の背後には、マッハの雷神、一騎当千の執事、そして国境を越えて連帯した三カ国の軍隊が控えている。

一人の無能力者よわいものを守るために、世界最強の武力が跪いている。

「本来の帝国は、武ではなく『徳』で治める国だったはずです。違いますか?」

「あ……ああ、あぁぁぁぁっ!」

視察官の心が、完全にへし折れる音がした。

「狂ってる! 貴様らは全員狂っているッ! この村はバグだ!!」

視察官は失禁しながらワイバーンにすがりつき、恐怖に顔を歪ませたまま、逃げるようにポポロ村の空へ飛び去っていった。

誰もそれを追おうとはしなかった。

ただ、焼け焦げた畑の真ん中に、暴力の嵐を非暴力で完全に制圧した、僕たちの「理想の箱庭」だけが残されていた。

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