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EP 10

世界のバグ、天界を揺らす

視察官の乗った飛竜が空の彼方へ消え去ると、ポポロ村の広場を支配していた極限の緊張が、ふっと解けた。

「……はぁぁぁぁっ」

僕は膝から崩れ落ちそうになるのを、傍らにあったクワの柄にすがりついて必死に堪えた。

(終わった……! 生きてる! 僕、生きてるぞおおお!)

背中は冷や汗でぐっしょりと濡れ、足は生まれたての子鹿のようにガクガクと震えている。

『論語』だの『自省録』だのと偉そうなことを並べ立てたが、本音を言えば、ライフルを突きつけられた瞬間から記憶が半分飛んでいる。僕の「教養」という名の自己暗示も、そろそろ限界だった。

「お見事でした、ソウマ様。まさに、王の器」

「いやぁ、ホンマにあんたっちゅー男は……ワイの算盤でも計算しきれんバケモノやで」

リバロンが深く一礼し、ニャングルが呆れ半分、畏怖半分の顔で溜め息をつく。

そして広場では、信じられない光景が広がっていた。

「おいルナミスの! こっちの灰を片付けるぞ!」

「ああっ、分かってる! 獣人の怪力で、そこの焼け焦げた柵をどかしてくれ!」

三カ国の兵士たちが、誰に命令されるでもなく、黒焦げになった畑の復旧作業を自主的に始めているのだ。

国境も種族の壁も超えた、完全な「共同体コミュニティ」。

僕が描いたデザインは、理不尽な暴力を経て、より強固な連帯へと昇華されていた。

「……ソウマ」

ふと、柔らかな声がして、隣にキャルルがしゃがみ込んだ。

彼女の手には、不格好な「人参柄の刺繍」が施されたハンカチが握られている。

「顔、ススだらけだよ。じっとしてて」

キャルルは僕の顔についた灰を、そのハンカチで優しく、愛おしむように拭い始めた。

彼女の赤い瞳からは、先ほどの据わった狂気は消え失せ、穏やかな春の陽だまりのような温かさが戻っている。

「……ごめんね、ソウマ。私、また少し頭が真っ白になっちゃって。でも、あなたが無事で、本当に……」

「大丈夫ですよ、キャルルさん。あなたが守ってくれると、信じていましたから」

僕が微笑み返すと、彼女はパッと兎耳を跳ね上げ、顔をリンゴのように赤くした。

「う、うんっ! ……でもね、ソウマ」

彼女は僕の耳元にスッと顔を寄せ、甘く、酷く重たい声で囁いた。

「もし次、あなたを連れ去ろうとする悪い奴が来たら……今度こそ、そいつの四肢を細かく切り刻んで、二度と空を見られないように土の奥深くに埋めてあげるから。……安心してね?」

(ヒィィィッ! ヤンデレの防衛本能がカンストしてる!!)

僕は顔を引き攣らせながら、「え、ええ、頼もしいですね……」と返すのが精一杯だった。

***

同じ頃。

はるか上空、雲海のさらに上。

美しき神々が住まう聖天国セレスティアの一室で、豪快に酒を吹き出す音が響いた。

「ブッ!! ゲホッ、ゴホッ! な、なにこれぇっ!?」

散らかったコタツの上で、最高級の天界ビールを飲みながらソシャゲのガチャを回していた女神ルチアナが、目の前に浮かぶ「世界のシステムモニター」を見て目を剥いた。

「ルチアナ様。また国費でガチャを回したのですか。いい加減にしないと、聖槍グラニで1億ボルトを流しますよ」

書類の山を抱えた天使族長ヴァルキュリアが、青筋を立てながら部屋に入ってきた。

だが、ルチアナはヴァルキュリアの「壁ドン説教プロトコル」を気にする様子もなく、モニターを指差して絶叫した。

「違うのよヴァルちゃん! ガオガオンのログを見て! 下界のマンルシア大陸……ポポロ村の座標よ!」

「ポポロ村? 確か、三カ国が睨み合う最悪の緩衝地帯バッファゾーンのはずですが……」

ヴァルキュリアが怪訝な顔でモニターを覗き込む。

そこには、異常な数値が羅列されていた。

『対象エリア内における、全種族の敵対感情パラメーター:ゼロ』

『三竦みシステムへの介入を確認。要因:一杯の「芋煮」および「非暴力の論理」』

「……は? 敵対感情が、ゼロ? しかも、芋煮で?」

ヴァルキュリアの手から、ドサリと書類が滑り落ちた。

「そうよ! 私が完璧にデザインしたはずの『三竦みの戦争システム』が、完全に停止してるの! しかも、魔力も闘気も持たない、ただの『人間』の男一人のせいで!」

ルチアナは信じられないものを見るように、モニターに映る泥だらけの青年――ソウマの姿を凝視した。

「バグよ……! この『ソウマ』って男、私の世界のプログラム(OS)を、根本から書き換えようとしてるわ!!」

「無能力の人間が、非暴力で世界を……」

ヴァルキュリアの凛とした顔に、驚愕と、そして「天界の過労死寸前COO」としての強烈な興味が浮かび上がった。

常に混沌とする下界の管理に頭を悩ませていた彼女にとって、この「バグ」は、あるいは世界を救う『最適解』になるかもしれないのだから。

***

夜。

宴の喧騒が収まったポポロ村。

僕は、キャルルが淹れてくれた温かいお茶を飲みながら、焼け焦げた畑の端に座っていた。

膝の上には、古いノートが一冊。

「さて……次は、どうデザインしようか」

月明かりの下、僕はペンを走らせる。

僕には世界を滅ぼす魔法も、山を砕く闘気もない。

あるのは、先人たちが残した「言葉(教養)」と、泥にまみれる覚悟だけだ。

だが、それで十分だ。

暴力が支配するこの狂った世界を、非暴力という最強の狂気で、僕だけの『理想の箱庭』に塗り替えてやる。

(第1章 完)

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