EP 8
帝国の侵攻、踏みにじられた畑
空を裂くような、耳障りな羽音がポポロ村の静寂を破った。
「な、なんだあれはっ!?」
「飛竜だ! ルナミス帝国の飛竜騎士が来たぞ!」
広場に集まっていた村人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
上空から急降下してきた巨大な影は、僕と村人たちが昨日、泥だらけになりながら耕したばかりの「太陽芋」の畑のド真ん中に、凄まじい風圧を巻き起こして着陸した。
バキバキッ! という無惨な音を立てて、青々とした葉が踏み躙られる。
それだけではなかった。
「ふんっ。小汚い村だ。少し消毒してやれ」
ワイバーンの背に跨った、豪奢な軍服を着た男――ルナミス帝国の視察官が鼻を鳴らすと、ワイバーンが喉の奥を赤く光らせ、畑に向かって灼熱の炎を吐き出した。
ゴォォォォォッ!!
「ああっ……!」
僕の横で、キャルルが息を呑む。
あっという間に、豊かな緑に覆われていた畑は黒焦げになり、太陽芋の焼ける焦げ臭い匂いと、黒い灰が村の空を覆った。
「はっははは! 素晴らしい眺めだ! 皇帝陛下に逆らった無能な元内政官が、こんな辺境で惨めに泥遊びをしていると聞いて来てみれば……ゴミは燃やされるのがお似合いだな、草壁颯真!」
視察官が、ワイバーンの背から僕を見下ろして下劣な笑い声を上げる。
(…………ああ。燃えちゃった)
僕の心臓の奥で、冷たい何かがドクンと鳴った。
みんなで汗水流して、泥にまみれて作った畑だ。キャルルが笑顔で水をやり、兵士たちが不器用な手で手伝ってくれた、大切な場所。
それを、こんなにもあっさりと。
(悔しい。腹が立つ。悲しくて、怒りで涙が出そうだ。……今すぐ、あいつの胸ぐらを掴んで殴り飛ばしてやりたい)
握りしめた拳が、ブルブルと震える。
隣では、キャルルの赤い瞳が縦に割れ、圧倒的な殺意と共にダブルトンファーを握りしめていた。彼女が踏み込めば、一瞬で視察官の首は飛ぶだろう。
(でも、ダメだ。怒りに身を任せれば、僕はこの「暴力の世界」のルールに屈したことになる)
僕は、深く、深く息を吸い込んだ。
頭の中に、古代ローマの哲人皇帝、マルクス・アウレリウスの『自省録』の一節を思い浮かべる。
――『岩のようであれ。波が絶えず打ち寄せようとも、岩は立ちすくみ、周囲の水の泡立ちを退ける』。
僕はゆっくりと目を開いた。
怒りも、悲しみも、恐怖も、全てを教養の奥底へ沈め込み、完全に凪いだ水面のような無表情を作る。
そして、今にも飛び出そうとしているキャルルの細い肩をそっと手で押さえ、静かに首を振った。
「ソウマ……?」
キャルルが戸惑う中、僕は一人で歩き出した。
ワイバーンが威嚇の唸り声を上げ、鋭い牙を剥き出しにしている。一歩間違えば噛み砕かれる距離。
だが、僕は視察官を完全に「無視」し、ワイバーンの横を通り抜け、黒焦げになった畑の真ん中に歩み入った。
「……おい。何をしている、貴様」
視察官が訝しげに声をかける。
僕はそれに答えず、まだ熱を持っている黒い灰の中に膝をついた。
泥と灰で手や作務衣が汚れるのも構わず、炭のようになった土を素手で掘り返す。
そして、表面が真っ黒に焦げた、小ぶりな太陽芋を一つ掘り出した。
僕は作務衣の袖で、愛おしむようにその芋の灰を払った。
「……よかった。表面は焦げていますが、中はまだふっくらしている。焦げた部分を削れば、今日の夕食のシチューには十分使えそうだ」
独り言のように呟き、僕はまた次の焦げた芋を拾い集め始めた。
「な……」
視察官の顔から、余裕の笑みが消え失せた。
「き、貴様……俺が、俺が見えないのか!? 皇帝陛下の名代たる、この俺が!」
彼が怒鳴っても、僕は振り向かない。
ただ黙々と、一つ、また一つと芋を拾い続ける。
「理不尽な天災など、この世界にはいくらでもありますからね。日照り、台風、そして……害獣。嘆いている暇があるなら、一つでも多くの命を拾い上げなければ」
「が、害獣だと……!? この俺を、愚かな獣と同じだと言うのかっ!」
視察官の声が上擦る。
彼の目に映る僕は、怒りもせず、恐れもせず、ただひたすらに「自分の日常」を遂行し続ける、理解不能な不気味なバケモノだったはずだ。
圧倒的な武力と暴力で支配しに来たのに、相手はそれを「ただの自然現象」として処理し、見向きもしない。
存在そのものを否定されるという、底知れぬ恐怖。
「ふざけるな……ふざけるなぁぁっ! 俺を無視するな!!」
恐怖をごまかすように、視察官はワイバーンの背から魔導ライフルを引き抜き、その銃口を僕の背中にピタリと突きつけた。
「死ねッ! 狂人め!!」
引き金に指が掛かる。
だが、僕の背中を守るための『絶対防壁』は、すでに完成していたのだ。




