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EP 4

満月の絶望、あるいは壊れた愛情

雲一つない夜空に、真珠のように輝く巨大な満月が浮かんでいた。

絶好の月見日和だ。……もしここが、血の雨が降る戦場の中央でなければの話だが。

ズドォォォォンッ!!

「ひぃぃぃっ! お、お助けぇぇぇ!」

「姉御ォォ! もう勘弁してくだしゃぁぁい!」

ルナミス帝国とレオンハート王国の駐留兵たちが、空の彼方へボロ雑巾のように吹き飛ばされていく。

だが、彼らが地面に叩きつけられ絶命するかと思った瞬間、淡い月光の魔法陣が展開され、彼らの傷は一瞬で「全回復」してしまった。

「あははははっ! ほらほら、どうしたの? まだまだ夜はこれからだよっ!」

広場の中心で、マッハ1の速度で暴れ回っているのは、我らがポポロ村の村長・キャルルだった。

月兎族の特性である「満月時の超絶強化」と、溢れ出す回復魔法の暴走。

凄まじい暴力で兵士を半殺しにし、直後に全回復させ、また殴る。痛みと恐怖だけが蓄積していく「死と再生の無限ループ」が、広場をこの世の地獄に変えていた。

「あ、あきまへん……! 今月の村長、いつもよりテンション高すぎまっせ! ソウマ先生、はよ逃げなはれ!」

「……お恥ずかしながら、今のキャルル様を前にすれば、私も五秒で挽肉にされるだけでしょう。お下がりください」

物陰に隠れながら、ニャングルがガタガタと震え、リバロンが冷や汗を流しながら僕を庇うように立つ。

(……すごい。本当にマッハで動いてる。僕の動体視力じゃ、赤い残像にしか見えない)

僕は足の震えを必死にごまかしながら、その惨状を見つめていた。

すると。

ピタリ、と。

広場を支配していた暴風が止んだ。

赤い残像が実体を結び、キャルルがゆっくりとこちらを振り向く。

獲物を探すように揺れていた長い兎耳が、真っ直ぐに僕を捕捉した。

(……あ、目があった)

ドンッ!!

音より速く、風が爆ぜた。

リバロンが反応する暇すらなく、次の瞬間には、キャルルが僕の目の前数十センチの距離に立っていた。

「……ソウマ。見ぃつけた」

鼓膜を撫でるような、甘く、酷く冷たい声。

彼女の白い手が、スッと伸びて僕の両腕を掴んだ。

ミシリ。

(いっ……つぅぅぅ!?)

僕の骨が、万力で締め上げられたような嫌な音を立てた。

痛い。めちゃくちゃ痛い。闘気で強化されていない僕の腕など、彼女が本気を出せばポッキーのように簡単にへし折れてしまう。

「ねえ、ソウマ。ここは危ないよ。外の世界は、みんなソウマを傷つけようとするの」

彼女の赤い瞳孔が、大きく開かれている。

その瞳の奥にあるのは、いつもの優しさや芯の強さではない。過去に「便利な道具」として扱われ続けた孤独な魂が、満月の力によって暴走し、歪な形で表出していた。

「だから、私がみんな殺してあげる。……そしたら、誰もソウマを傷つけない。私とソウマだけの、安全な村になるよ」

キャルルは、僕の腕を掴んだまま、ふわりと微笑んだ。

それは、凄惨な血の匂いの中で咲く、狂気に満ちた狂おしいほどの依存。

「……そうだ。ソウマの足、折っちゃおうか」

甘い声が、耳元で囁く。

「そうすれば、もうどこにも行けないよね? 大丈夫、痛いのは一瞬だけ。あとは私が全回復してあげる。でも、骨の形だけは元に戻らないようにしてあげる。……そうすれば、私が一生、ソウマのお世話をしてあげられるから……ね?」

(ヒィィィィッ!? 冗談だろ、目がマジだ! 完全にイっちゃってる!!)

心臓が破裂しそうだった。

本能が「今すぐ腕を引きちぎってでも逃げろ」と警報を鳴らし続けている。

ヤバい。これは本当にヤバい。足が、両足が物理的にもがれてしまう。

だが。

僕は逃げなかった。いや、逃げられなかったわけではない。

(……怖い。でも、ヴィクトール・フランクルは『夜と霧』の中で語っていたじゃないか)

ナチスの強制収容所という極限の地獄にあっても、人間は「自らのあり方」を選ぶ自由だけは最後まで奪われないのだと。

暴力と恐怖に屈し、自分の精神まで明け渡してしまえば、そこには本当の死しかない。

そして何より。

僕の腕を掴む彼女の手が、ほんのわずかに、小刻みに震えていることに気づいてしまったのだ。

誰かに見捨てられることを、心の底から怯えている迷子のような震えに。

(……この手を振り払って、彼女を恐ろしい孤独の中に置き去りにすること。それこそが、足を失うより辛い本当の地獄じゃないか)

僕は大きく息を吸い込んだ。

冷や汗をかいた顔に、無理やり、いつもの静かな微笑みを貼り付ける。

「……折っても構いませんよ、キャルルさん」

「え……?」

僕は、マッハ1の暴力を持つヤンデレの瞳を、真っ直ぐに見つめ返した。

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