EP 6
バグる監視カメラと、裏切りの隠密
「……どういうことだ。なぜ、暴動が起きない?」
ルナミス帝国、内務省の地下データセンター。
情報統括局長オルウェルは、冷徹な仮面をかなぐり捨て、モノクルの奥の目を血走らせながら魔導モニターを睨みつけていた。
『ソーシャル・クアランティン(社会的隔離)』を発動してから、丸三日が経過した。
L-Pay口座はすべて凍結され、ゴルド商会の物流ルートは完全に遮断。さらにT-TUBEを通じて、ポポロ村がいかに恐ろしいカルト集団であるかというフェイクニュースを大陸全土に垂れ流し続けている。
近代国家の国民であれば、情報と経済を絶たれた時点で、数時間以内にパニックを起こし、略奪が始まり、最後は自滅する。それがオルウェルの愛読する『群集心理』の絶対の法則だった。
だが、監視カメラ(魔導ハエ型ドローン)が送ってくる映像は、彼の常識を根底から破壊していた。
『あーもう! 画質がガビガビで月人君の顔が見えないわよ! 早く電波状況良くしなさいよ帝国!』
『文句を言いながらも手を止めるなルチアナ。ほら、このハニーかぼちゃはもう収穫時だぞ』
『ソウマ先生、フェイクニュースを見て怒るなんて時間の無駄ですよ。帝国の皆さんは、本当の幸せを知らない可哀想な人たちですから』
パニックどころか、誰も「外の世界(デジタル社会)」など気にかけていない。
彼らは完全に自給自足のサイクルを完成させており、むしろ「邪魔な外部情報がなくなって、先生との農作業に集中できる」と、ディストピアの純度をさらに高めてしまっていた。
唯一キレているのは、「通信制限で推しの動画が低画質になった」という理由でクワを振り回している、神と魔王だけだ。
「あり得ない。人間は、より便利で、より利益のある方へと流れる生き物のはずだ。なぜ、あんな前近代的な泥仕事と、一人の男への妄信を自ら選ぶ……ッ!」
オルウェルがキーボードを叩く手が、怒りと恐怖で震える。
だが、彼に最大の絶望を与えたのは、村人たちの反応ではなかった。
「……シャドウ01。応答しろ。なぜ工作活動の報告を上げない」
オルウェルは、ポポロ村に潜入させていた内務省直属の最精鋭・隠密部隊のリーダーへ通信を繋いだ。
彼らには、村の貯水池に毒(下剤)を撒き、内部から混乱を引き起こす任務を与えていた。
『……ザザッ。あ、局長。お疲れ様です』
モニターの端に、隠密部隊のリーダーが映し出された。
しかし、その姿を見た瞬間、オルウェルは息を呑んだ。
漆黒の隠密装束はどこへやら、リーダーは『首に手ぬぐいを巻き、泥だらけの長靴を履いて、ネギオ(論破しないと抜けない毒舌ネギ)を抱きしめながら』通信石に向かって泣き笑いを浮かべていたのだ。
「貴様……その格好はなんだ! 任務はどうした!」
『任務? ああ、あの下剤撒きですか。やめましたよ、あんなくだらない真似。だって……』
リーダーは、通信石のカメラに向かって、かじりかけの「肉椎茸」を突き出してみせた。
『この村のご飯、本当に美味しいんですよ。僕たち隠密は、生まれてからずっと帝国の暗闇で、味のしない携帯食料を囓って生きてきた。L-Payに振り込まれる無機質な数字だけを頼りに……』
彼の目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
『でも、ソウマ先生は違った。見ず知らずの僕たちに「泥だらけで疲れたでしょ。お腹空いてない?」って、ホカホカの肉椎茸丼をご馳走してくれたんです。……僕が「美味しい」って言ったら、先生、嬉しそうに笑ってくれて……っ』
「な、何を言っている……! 貴様は帝国のエリートだぞ! 洗脳されているだけだ、目を覚ませ!」
オルウェルの叫びも虚しく、リーダーは憑き物が落ちたような、清々しい笑顔を浮かべた。
『局長。……人間は、冷たいデジタルの数字(L-Pay)じゃ生きていけないんです。血の通った温かいご飯と、感謝の言葉……それこそが、僕たちの求めていた本当の報酬だったんですよ』
「ふざけるなッ! シャドウ01、これは反逆だ! 貴様のL-Pay口座を今すぐ……!」
『もう解約しましたよ。そんなもの、この村じゃ何の価値もないですから』
隠密のリーダーは、腰から「ポポロ券(どんぐりの木札)」を自慢げに取り出した。
『僕は今日から、帝国の犬をやめて、ソウマ先生の農家になります。……それでは局長、長年お世話になりました』
バキィッ!!
通信の向こう側で、帝国が誇る最先端の魔導通信石が、クワで粉砕される音が響いた。
そして、無機質なノイズと共に、モニターが暗転する。
「……あ、あぁ……」
オルウェルは、椅子から崩れ落ちた。
彼の信奉する『資本論』の経済支配も、『1984年』の監視・情報統制も、ソウマの放つ「肉椎茸丼と、圧倒的な人間性(狂気)」の前に、完全敗北を喫したのだ。
(これが、思想の感染……! ウイルスは村人だけではない。帝国最強の隠密すらも、たった数日で『取り込まれて』しまった!)
恐怖。
オルウェルは、生涯で初めて「計算できないバグ(人間の感情)」に対する底知れぬ恐怖を覚えた。
もし、このポポロ村の異常性が帝国全土に広がれば。
すべての国民が通信石を捨て、L-Payを捨て、ソウマという男を神として崇めるようになる。帝国は内側から完全に崩壊する。
「……絶対に、ここで食い止める」
オルウェルは、這いつくばるようにしてコンソールにすがりついた。
人間関係の根幹は「信用」だ。
ポポロ村の異常な結束は、ソウマという男への絶対的な信用で成り立っている。
ならば、その「信用」そのものを、デジタル技術で強制的にへし折ってやればいい。
「ビッグ・ブラザー、最終プロトコル起動。……草壁颯真の過去の音声データを抽出。ディープフェイク技術を用いて『偽造音声』を生成しろ」
オルウェルのモノクルが、邪悪な光を放つ。
「どんな強固な信仰も、教祖の『裏切り』を知れば一瞬で瓦解する。……ソウマが村人たちを『ただの使い捨ての奴隷』と嘲笑っている音声を、村の全スピーカーから最大音量で流せ。これで終わりだ、バグめ」
帝国の内務卿が最後にすがったのは、人間の心を弄ぶ、最も卑劣でデジタルの極致とも言える「虚構の毒」だった。
だが彼はまだ知らない。
ポポロ村のディストピアは、そんな陳腐な離間工作が通じるような、生易しいステージはとうの昔に過ぎ去っているということを。




