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EP 2

推し活と哲学(神の完全なる陥落)

「……っ、ズズーッ。だいたいねぇ! ヴァルちゃんが有休取らないから、私が全部のハンコ押さなきゃいけないのよ! 世界の創造主が、なんで毎日デスクワークで腱鞘炎になりかけてんのよ!!」

ポポロ村の集会所。

真夏だというのに、部屋の中は魔導冷房クーラーがガンガンに効いており、シロクマでも凍えるほどの室温に設定されていた。

その部屋のど真ん中に鎮座する「コタツ」に首まで潜り込みながら、女神ルチアナはタローソンで買ってきた『ストロング系チューハイ(レモン味・アルコール9%)』のロング缶をあおり、真っ赤な顔で管を巻いていた。

「はい、お疲れ様です。……おつまみの枝豆、剥いておきましたよ。塩加減、どうですか?」

僕はコタツの向かいに座り、せっせと枝豆を小皿に取り分けながら、彼女の無限に続く愚痴にウンウンと頷いていた。

「おいしい……っ。あんた、ホント気配りできるわね……」

数時間前まで「宇宙を消滅させる」と息巻いていた絶対神の威厳は、冷やしキュウリとアルコールの前に完全に霧散していた。

今の彼女は、ただの「推し活の時間が取れなくてストレスを溜め込んだ、限界アラサーOL」そのものである。

「ソウマ、聞いてよぉ! この前、朝倉月人君の新しいPVが公開されたの! ラスティア(魔王)と一緒に福岡のライブハウスまで遠征する予定だったのに、東の森で魔物の大繁殖バグが起きたせいでドタキャンよ!? アリーナ最前列のチケットだったのに!!」

「それは……辛かったですね。最前列なんて、そうそう当たるものじゃないのに」

「でしょ!? なのに天界の連中ときたら『ルチアナ様、世界をお救いください』って……。私の心の救済(推し)はどうなるのよ! バカァァァッ!」

ルチアナはコタツの天板に突っ伏し、空になったストロング缶をゴンゴンと叩きつけた。

「いいですか、ルチアナさん」

僕は、新しいストロング缶のプルタブを開けて彼女の前にそっと置き、静かに、しかし深い確信に満ちた声で語りかけた。

「19世紀の哲学者、ショーペンハウアーはこう言っています。『人生は欲望と退屈の間の振り子であり、本質的な苦痛である。しかし、そこから唯一逃れられる手段がある。それが芸術(音楽)である』と」

「……しょーぺん、はうあー?」

「ええ。あなたが月人君の音楽やライブに心を奪われ、彼を推すこと。それは決して『神としての職務放棄サボり』なんかじゃない。終わりのないシステム管理という根源的な苦痛から魂を解放する、最も気高く、哲学的な『救済』のプロセスなんです」

「救済の、プロセス……っ」

ルチアナの薄紅色の唇が、ワナワナと震え始めた。

僕の言葉(教養)が、彼女がずっと心の中に抱えていた「神としての罪悪感」を、論理という名のメスで完璧に切除したのだ。

「世界を救うシステムは、確かに必要かもしれない。でも、そのシステムを管理する『あなた自身の心』を救うのは、月人君の歌声と、彼を応援するその情熱(オタ活)だけだ。……だから、ルチアナさんは何も間違っていない。もっと、自分の欲望(推し)に忠実に生きていいんです!」

「ソウマぁぁぁ……っ!!」

ルチアナは、コタツから身を乗り出し、僕の手を両手でギュッと握りしめた。

その瞳には、かつてないほどの輝き――自分を全肯定してくれる絶対的な理解者に出会えたという、狂気的なまでの「歓喜」が宿っていた。

「あんた……あんた、わかってるじゃない! そうよ! 私はただ、月人君の『月曜日の社畜』を聴いて、ペンライトを振りたかっただけなのよぉぉぉっ!」

「わかります。推しの尊さの前では、世界の理なんてただの背景モブですよね」

「その通りよ! ああ、なんでもっと早くあんたに出会えなかったのかしら! 天界の連中は『お酒臭い』だの『ジャージやめてください』だの、文句ばっかり言って私を否定するのに……っ!」

ルチアナは僕の手に頬をすり寄せ、完全に「堕ちた」女の顔で微笑んだ。

「決めたわ。私、もう天界には帰らない。この村で、あんたの作ったコタツに入って、毎日タローソンのチューハイ飲みながら月人君のDVDを見る! システム管理なんて、もう知らない!」

「ええ、大歓迎ですよ。ゆっくりしていってください」

僕は、女神の頭を優しく撫でながら、聖母のような笑みを浮かべた。

「……また、ソウマのヒモ(信者)が増えた」

部屋の隅で、ヤンデレ雷神キャルルが、呆れ果てた目でその光景を見つめていた。

彼女の隣では、麦わら帽子を被ったヴァルキュリアが「ルチアナ様が、あんなに幸せそうな顔を……ソウマ先生はやはり、神よりも偉大な存在だったのですね」と、両手で顔を覆って感涙にむせんでいる。

そして、窓の外。

集会所を取り囲むように集まっていた村人たちは、無表情のまま、一糸乱れぬ動きで深くお辞儀をした。

「創造主すらも、先生の慈愛に救われました」

「これでもう、先生を邪魔する者は誰もいません」

「ああ、完璧な世界だ」

武力ゼロの男が、ただ「美味しいおつまみ」と「徹底的なオタ活への共感」を与えただけで。

世界の創造主は、宇宙のフォーマットボタンを捨て、コタツでストロングチューハイを飲む「限界オタクのニート」へと堕落した。

暴力よりも、魔法よりも恐ろしい。

「圧倒的な共感と思いやり」という猛毒が、ついに世界の頂点すらもディストピアの底なし沼へと引きずり込んだのだ。

「ぷはぁーっ! ソウマ、チューハイもう一本! あと、そこの棚にある月人君のDVD、再生して!」

「はいはい、今開けますからね。DVDは福岡ライブのやつでいいですか?」

平和だ。

少なくとも、ポポロ村の中だけは、誰も傷つかない完璧な平和(狂気)が完成していた。

だが、創造主が完全にニート化したことで、世界のバランスは当然のように崩壊する。

ビリィィィィッ!!

突如、集会所の空間が、巨大な漆黒の刃によって物理的に「斬り裂かれた」。

「な、なんだ!?」

「……我が友ルチアナよ! 貴様の神気が途絶えたゆえ、もしや下界の虫共に討たれたかと駆けつけてみれば……!」

裂け目から姿を現したのは、漆黒のドレスに身を包んだ、圧倒的な闇の魔力を放つ美しい少女。

アバロン皇国を統べる絶対者、魔王ラスティア(永遠の17歳)だった。

彼女の手には、次元すら断ち切る『魔王剣』が握られている。

「貴様ら! 我が友に何をした! この魔王ラスティアが、貴様らの魂ごとブラック・ホールで……」

激昂する魔王の視線の先。

そこには、ジャージ姿でコタツに潜り込み、片手にストロングチューハイ、もう片手に枝豆を持ったまま、呆然とこちらを見つめる創造主(親友)の姿があった。

「……えっ?」

魔王が、間の抜けた声を漏らす。

さあ、天界の次は、魔界の番だ。

僕は、最高に人当たりの良い笑顔を浮かべ、厨房に用意してある「とっておきの夜食」を取りに向かった。

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