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EP 10

女神降臨。あるいは、最大のバグとの邂逅

その日の昼下がり、世界の「時間」が止まった。

風の音が消え、鳥のさえずりが消え、木々の葉が揺れることすらやめた。

僕がガオガオンのアームの関節を拭き上げていた時、空が突然「ピクセル状」のモザイクに割れ、そこから純白の光の階段が下界へ向かって伸びてきたのだ。

「……な、なんだ?」

「空が、四角く割れてる……?」

村人たちがクワを下ろし、呆然と空を見上げる。

キャルルの表情が、かつてないほど険しく引きつった。彼女の全身から紫電が迸るが、その電気すらも、空から降り注ぐ異常な重圧の前に空中で凍りついているように見えた。

「ソウマ、気をつけて。……今までの連中とは、次元が違う」

キャルルが僕を庇うように前に出る。

「ル、ルチアナ様……!? 嘘、創造主自らが下界に降りてこられるなんて……!!」

ヴァルキュリアが麦わら帽子を押さえ、ガクガクと膝を震わせてその場にへたり込んだ。

光の階段をゆっくりと降りてきたのは、世界中のあらゆる美を集めて結晶化したような、圧倒的な存在感を持つ女神だった。

彼女の足が大地に触れた瞬間、ポポロ村の周囲に張られていた『日常』の空気が、ガラスのようにパリィィィンッ!と音を立てて砕け散った。

「……私のシステムを、私の箱庭を、よくもここまでコケにしてくれたわね」

女神ルチアナの声は、怒鳴っているわけではないのに、鼓膜ではなく脳の奥底に直接響いてきた。

彼女が僕を睨みつける。

その瞳には、ヴァルキュリアが持っていたような「使命感」や、ガオガオンの「無機質な殺意」とは違う。

世界そのもののプログラムを統べる管理者としての、絶対的な『消去デリートの意志』が宿っていた。

「あなたが、草壁颯真ね。……この世界のルールから逸脱し、私の親友ヴァルちゃんと最終兵器を狂わせた、特級のバグ」

ルチアナは、スッと右手を天に掲げた。

「対話はしない。理屈も聞かない。これ以上のエラーの増殖を防ぐため、あなたの存在コードを、この宇宙から完全に初期化フォーマットするわ。……消えなさい」

彼女の手に、世界を無に帰すための究極の神気(光)が収束していく。

キャルルが動こうとするが、神の絶対領域に縛られ、指先一つ動かせない。

ヴァルキュリアも、村人たちも、息をすることもできずに絶望の淵に立たされていた。

絶対の死。

物理法則すら無視した、創造主の権限による「存在の削除」。

だが。

「……あの、すみません。遠いところから、お疲れ様です」

僕は、全く重圧を感じていないかのような軽い足取りで、ルチアナに向かって数歩歩み寄った。

「え……?」

ルチアナの手の中で収束していた光が、ピタッと止まる。

「神の重圧プレッシャーを、なぜ平然と歩けるの……!? 私は今、この空間の『重力設定』を通常の百倍に書き換えたはずよ!?」

「重力? よくわかりませんが……天界から降りてくる階段、長くて大変だったでしょう?」

僕は、腰のポーチから「それ」を取り出した。

「今年の夏は特に暑いですし、これだけ日差しが強いと、熱中症になっちゃいますよ。……はい、これ」

僕は、泥だらけの作務衣の袖をまくり、最高に人の良さそうな、裏表のない笑顔で「それ」をルチアナの目の前に差し出した。

「今朝、井戸の冷たい水で冷やしておいた、採れたてのキュウリです。……よかったら、一口どうですか?」

「……は?」

世界の創造主である女神ルチアナは、宇宙を消滅させる光を片手に掲げたまま、もう片方の目の前に突きつけられた「水滴の滴る、新鮮な緑色のキュウリ」を見て、完全に思考を停止した。

「甘味噌もつけますか? キャルルさんが昨日仕込んだ自家製なんですけど、これがまた、冷えたキュウリに最高に合うんですよ」

「いや、ちょっと待って。おかしい。おかしいでしょ!?」

ルチアナが、思わず素のトーンで叫んだ。

「私、今からあなたを消去しようとしてるのよ!? なんでキュウリ差し出してくるの!? しかも甘味噌って何!? 私の神気より魅力的なオプションつけないでよ!!」

「でも、お腹空いてるんじゃないですか? 怒るのって、エネルギー使いますし」

僕はキュウリをポンッと彼女の手に押し付けた。

「僕は、世界を壊そうなんて思ってません。ただ、みんなが美味しくご飯を食べられるように、少しだけ『耕しやすく』しただけです。……神様も、一緒にどうですか?」

ルチアナは、押し付けられたキュウリと、僕の屈託のない笑顔を交互に見つめた。

彼女の持つ「冷徹なシステム管理者」としてのプログラムが、目の前の男が放つ『異常なまでの日常の押し売り(狂気)』によって、バグのようなノイズを上げ始めている。

「……この男、やっぱり頭がおかしい。ただのバグじゃない。世界のシステムそのものを、自分の『日常スローライフ』に塗り替えようとする、生きたウイルス……っ!」

ルチアナは冷や汗を流しながら、キュウリを握りしめたまま数歩後ずさった。

静まり返ったポポロ村の畑の真ん中。

片手に消去の光、片手にキュウリを持った【世界の創造主ルチアナ】と。

泥だらけの作務衣を着て、最高に気のいい笑顔を浮かべる【世界を塗り替えるバグ(ソウマ)】。

二つの「システム」が、ついに対峙した。

武力も魔法も使わない。ただの「教養」と「農業」で世界を侵食し続ける無能の元内政官は、果たして創造主の心をもハッキングしてしまうのか。

狂気と日常が交差する、完璧で不気味な箱庭ディストピアで。

世界の運命は今、一本の「冷えたキュウリ」に託されたのである。

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