EP 8
メンテナンスという名の「調教」
「ふんっ、ふんっ、ほいっ!」
天空では、ヤンデレ雷神キャルルが、ガオガオンの放つ追尾式プラズマレーザーをアクロバティックに躱し、トンファーで弾き落とすという「死の鬼ごっこ」を繰り広げていた。
ガオガオンはキャルルを撃墜すべく、巨大な体を激しく旋回させる。
しかし、その足元――ガオガオンの腹の下では、全く次元の違う作業が進行していた。
「あー、ここもだ。泥が固まってギアに噛んでる。本当に天界の連中は機械の扱いが雑だな」
僕は腰に提げた工具箱からワイヤーブラシを取り出し、左脚の装甲の隙間をゴシゴシと磨いていた。
神の最終殲滅兵器の下で、死の恐怖など微塵も感じていない。僕の脳内は「この素晴らしい重機を、いかにして最高の状態に仕上げるか」という純粋な整備士の欲望で埋め尽くされていた。
キュッキュッキュッ、ガシュッ、シューーーッ。
汚れを落とし、上質なオイルを差し、緩んだボルトを締め直す。
神聖防壁は、僕の「敵意ゼロ、愛情100%」の行動を攻撃と認識できず、完全に沈黙している。
『――左脚部、出力600%に上昇。関節部の摩擦熱、マイナス80%。……快適。非常に、快適』
ガオガオンの無機質な音声が、再び広場に響いた。
心を持たないはずのAIが、プログラムされた「殲滅」のタスクよりも、機体のパフォーマンスが劇的に向上していく「快感」に処理能力を奪われ始めている。
「よし、脚はこれで完璧だ。次は背中の排気口だな。あそこが詰まってるから、エンジン音が濁るんだ」
僕は身軽にガオガオンの左脚を蹴り上がり、巨大な背中――展開された魔導砲のすぐ脇――へとよじ登った。
そして、排気フィルターのカバーを外し、溜まりに溜まった「天界の淀んだ空気の煤」をボロ布で一気に拭き取った。
「ほら、これで深呼吸できるだろ」
プシュゥゥゥゥゥゥゥ……ッ!!
ガオガオンの背中から、これまで出せなかった大量の排熱が、白い蒸気となって勢いよく吹き出した。
同時に、機体の中心にある魔力炉の駆動音が、耳障りな「ゴォォォ」という音から、澄み切った「クォォォォン」という美しい高周波へと変化した。
『――排気効率、限界突破。魔力炉の冷却率アップ。機体コンディション、ロールアウト時を凌駕し、過去最高数値を記録』
ピタッ、と。
ガオガオンの巨大な体が、不自然に空中で静止した。
キャルルを追っていた魔導砲の光が消え、砲身がスルスルと背中に収納されていく。
「……ん? あれ、どうしたんだ?」
キャルルが空中で首を傾げる。
ガオガオンのAI内部では、今、致命的なパラダイムシフトが起きていた。
『思考タスク:優先度A「対象(草壁颯真)の殲滅」』
『状況:対象は自機に対し、極めて高度なメンテナンスを実行。敵意ゼロ。生存確率はゼロから無限大へ変動』
『エラー発生。殲滅対象からの「無償の奉仕」により、機体の存在意義が最大化されました』
冷徹なプログラムが、自己矛盾を起こす。
自分を破壊しようとする存在は「敵」だ。しかし、自分を過去最高の状態にまで磨き上げ、寿命を延ばし、パフォーマンスを限界突破させてくれる存在を、果たして「敵」と呼んでいいのだろうか?
否。それは、敵ではない。
『……論理の再構築。機体を最高の状態に保つ存在は「破壊対象」ではなく「保護対象」である』
『対象(草壁颯真)の識別コードを、【殲滅目標】から【マスター(特級整備士)】へ変更・上書き』
ガオガオンの赤い人工の瞳が、ふっと優しい黄金色へと変化した。
「よし、これで全身ピッカピカだ。どう? 体、軽くなっただろ」
僕がガオガオンの装甲をポンポンと優しく叩き、背中から飛び降りた、その時だった。
「……グルルルルゥ」
「え?」
20メートルを超える巨大な黄金の機械獅子が、ゆっくりと僕の前に頭を下げた。
そして、恐るべき破壊力を秘めたその巨大な鼻先を、僕の泥だらけの作務衣に、まるで甘える飼い猫のように「スリスリ……」と擦り付けてきたのだ。
「うわっ、なんだよ。くすぐったいな」
『――マスター。機体は完全な状態です。次の指示、および農作業のタスクをお待ちしております。ゴロゴロゴロ……』
システム音声に、露骨な「ゴロゴロ」という猫の喉を鳴らすような効果音が混ざっている。
天界の最終殲滅兵器は、暴力の応酬を経ることなく、たった一本のスパナと機械油によって、完全に僕の「専用トラクター(ペット)」へと陥落したのである。
「「「…………」」」
その光景を遠巻きに見ていた村人たち、キャルル、そしてヴァルキュリアは、完全に言葉を失っていた。
「……あ、あのガオガオンが、下界の泥にまみれた人間に、頭を擦り付けて甘えている……?」
ヴァルキュリアが、自分の髪を掻きむしりながら絶望的な声を出した。
「あり得ない! 絶対にあり得ない! ガオガオンは神の怒りの象徴! 世界の理を物理で破壊する、感情なき殺戮兵器のはず……! それが、あんな、巨大な猫みたいに……!!」
「まあまあ、ヴァルキュリアさん」
僕は、ガオガオンの顎の下を撫でてゴロゴロ言わせながら、満面の笑みで振り返った。
「天界の機械も、案外可愛いところあるじゃないですか。これだけ馬力があれば、明日から村の裏山の開墾が三倍のスピードで進みますよ。……本当に、天界からの『差し入れ』、ありがとうございます!」
「差し入れじゃないわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
ポポロ村の空に、はるか上空のセレスティアから、女神ルチアナの血を吐くような悲鳴が響き渡った。
神の裁定者(天使)は農業の喜びに洗脳され、神の最終兵器はオイルとスパナで調教された。
もはや、ポポロ村のディストピアを止める手段は、天界のシステムには残されていなかった。




