EP 7
裏切りと、狂人の担保
ルナキン・ポポロ支店のガラス窓が、飛んできた石で無惨に砕け散った。
「あかーんっ! ワイの高級酒がああぁぁっ!」
暴徒と化した村人たちが店になだれ込み、棚に残っていた僅かな備蓄を奪い合う。ニャングルは涙目で頭を抱え、カウンターの奥にうずくまるしかなかった。
「……終わりや、ソウマ先生。ワイらの負けや。信用が完全に弾け飛んだ。もうこの村は、自滅するまで止まらへん」
彼の絶望の言葉が、耳鳴りのように響く。
外の広場では、偽造ポポロ券を握りしめた人々が「騙しやがって!」「俺のパンを返せ!」と血みどろの殴り合いを続けている。
昨日までの笑顔は消え、そこにあるのは己の損害を他人に押し付けようとする、醜い獣たちの姿だけだった。
「……最低」
横から、氷のように冷たい声が落ちた。
キャルルだった。彼女は両手にトンファーを握りしめているが、その瞳に宿っているのは帝国への怒りではなく、暴れ回る村人たちへの「底知れぬ軽蔑」だった。
「こんな奴らのために、ソウマは腕の骨にヒビを入れてまで泥水すすってたの? ……バカみたい」
彼女は吐き捨てるように言い、僕の方へ振り返った。
「ねえ、ソウマ。もうやめよう。こんな醜い連中、助ける価値なんてない。ソウマが『うん』って言うなら、私が今すぐこいつら全員、綺麗に掃除してあげるから」
彼女の目は本気だった。
彼女にとっての「世界」は僕だけであり、僕を傷つける存在――たとえそれが守るべき村人であっても――排除することに一切の躊躇いはない。
「ダメだ、キャルルさん……」
僕は左腕の激痛を堪えながら、必死に首を振った。
「彼らは悪くない。僕が作った『貨幣』という幻想が、彼らを狂わせているだけだ。システムを作った僕が、責任を取らなきゃいけないんだ」
「責任? どうやって!? もう無理だよ! こいつら、人間の顔をした化け物じゃない!」
キャルルが悲痛な叫びを上げる。
だが、僕は一歩、暴動の渦巻く広場へと足を踏み出した。
「……わかった。勝手にすればいい」
背後で、キャルルの声が冷たく硬直した。
「狂ってる。こんな奴らのために死ぬなら、勝手にすればいい。私はもう、知らない」
カラン、と。
彼女の手からトンファーが落ちる音はしなかった。
僕が振り返った時、そこにはもうキャルルの姿はなかった。彼女は本気で僕の愚かさに絶望し、村を見捨てて去ってしまったのだ。
(……一人に、なっちゃったな)
最大の武力であり、心の支えでもあった彼女がいなくなった。
僕の足は恐怖でガクガクと震え、今すぐこの場から逃げ出したいという生存本能が警報を鳴らしている。
だが、僕は逃げなかった。逃げるわけにはいかなかった。
「そこまでだ、草壁颯真」
暴動の喧騒を切り裂くように、冷徹な声が響いた。
広場の端に、数名の護衛を連れたユリウスが立っていた。彼は惨状を満足げに見渡し、眼鏡を押し上げる。
「これが人間の本質です。あなたの『デザイン』は、人間の強欲さを計算に入れていなかった。……さあ、彼らに裁かれるがいい。偽りの神を生み出した、ペテン師の末路を」
ユリウスの言葉で、暴徒たちの視線が一斉に僕へと向いた。
「そうだ……こいつだ! こいつが俺たちを騙したんだ!!」
「俺たちの野菜を返せ! 金を返せぇぇっ!!」
殺気立った男たちが、僕を囲むようにジリジリと距離を詰めてくる。
武器を持たない僕など、彼らがその気になれば一瞬で踏み殺されるだろう。
(怖い。怖い怖い怖い怖い。……でも、宮沢賢治なら、ここでなんて言う?)
僕は、震える足を無理やり大地に縫い付け、深く息を吸い込んだ。
そして、腹の底から、血を吐くような声で絶叫した。
「――持ってこいッ!!」
「え……?」
暴徒たちの足が、ピタリと止まる。
「お前たちが持っているポポロ券を、本物でも偽物でも全部、僕のところに持ってこい!!」
僕は、左腕の包帯を乱暴に引きちぎりながら、ユリウスを、そして村人たちを真っ直ぐに睨みつけた。
「この紙切れの価値は、僕が『命』で買い戻す!! 一枚残らず、僕の労働で精算してやる! 畑の開墾でも、便所掃除でも、家の修理でも、なんだってやってやる!!」
「な……」
ユリウスの冷たい顔に、初めて「驚愕」の色が浮かんだ。
「正気ですか……!? ここにある偽札は1万枚を超えている! その全ての価値を、あなた一人の肉体労働で補填するなど、物理的に不可能です! 過労死しますよ!」
「するかもしれない。……でも、僕の命が続く限り、ポポロ券の価値は絶対にゼロにはさせない!!」
僕は手近にあったモップと水桶を掴み取り、一番近くにいた男――僕に殴りかかろうとしていた農夫の前に立った。
「まずはあんたからだ! その木札1枚で、あんたの家の泥掃除を請け負う! 終わるまで、絶対に倒れない!!」
「あ、ああ……?」
農夫は、僕の異様な剣幕に圧され、手から木札を取り落とした。
経済という名の「冷たい数字の計算」を、完全に度外視した狂人の振る舞い。
金の裏付けがないなら、自分の血と肉と命を担保にする。
それは、近代経済学の全てを真っ向から否定する、圧倒的で不気味な「自己犠牲」のシステムの幕開けだった。




